008 高位把握野(ハイクルーフ)
マイペース更新
肉体性能のスペックアップ。
苦手教科での抜き打ちテスト満点とか、浮き立つほどに嬉しくなる反面、ほんとうにこれでよいのかとも思ってしまう。
あくまでテスト後の授業の一環としての答え合わせ、自己採点の結果であるので、厳密にはまだ満点を取ったわけではないのだけれども。
その日の午前の授業は、そんなスペックアップの恩恵を堪能するためのわくわくタイムとなった。いままで詰まらないものだと思っていた教科書が、まあほんとに面白いこと。教師が教えている現時点でのおさらい箇所では足りずに、時間中ついつい読みふけってしまった。
いままで脈絡もなく詰め込まれてきた知識のピースが、脳内で面白いように繋がっていく。ただばらばらのピースはそのままでいるとやたらとかさばるジャンク情報なのだが、きっちりと収まるところに収まるとずいぶんと量がコンパクトになる。すべての情報が整理整頓されてしまうと、頭のなかに運動場もかくやというくらいの空白スペースが生まれ、余剰した処理能力がうずうずと計算対象の到来を待ち構えているような、そんな感覚が意識を支配するようになっている。
(これが高位把握野とかいうやつか)
まだ興味の対象が見つけやすかった座学の間は気も紛れていたのだが、午後の実技授業になると、一気にその全能感を持て余してしまうようになる。
いつものごとく実技指導の先生による「《第5の力》は素粒子的なもので」という、耳にタコができるような前置きを体育座りをしながら聞いていた冬夜。
当然のように、《第5の力》とは具体的に何ぞや? などと考え始めている。
子供にはしょせん理解できまいと、講釈する先生も思っているのだろう、その言い聞かせるだけのひどく表層的な説明が冬夜にはなんとも歯がゆい。
ふと、彼は思い出す。
昨晩の、近衛隊長ヘラツィーダによる初めての特訓で、半ば強制的に体感させられた、宝石箱をぶちまけたような光のしぶきの感得……世に満ちている《精霊子》の存在、その把握作業の感覚を反芻するように思い出す。
ヘラツィーダは言った。
「優秀な術士は『地の利』をよく読むものだ」
『地の利』とは、世界に偏在する力の因子……天朝国人言うところの《精霊子》の局所的な偏在のことらしい……の分布状況とその種類と多寡……それらの地点条件に即した戦い方を適宜読み解くという主旨の言葉である。
術技行使前に、その場に合ったやり方を選択することで魔法行為が効率化させられる。そんなノウハウみたいなのがあるようなのだ。
(…いまあの先生が、天井の高圧線から訓練機に電力を準備しているところだと仮定するなら、サンプルが確認できるはずだけど)
冬夜は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
ヘラツィーダからぶつけられて、初めてリアルに、触感的に感じることができた《精霊子》の存在……水のしぶきが当たってくるようなあの感覚を思い出してみる。
集中しろ。
世界のどんな場所にも、必ず《精霊子》は漂っている。
手を伸ばして拳を握れば、最低でもいくつかの《精霊子》が不可抗力的に捕まえられる。第一の力《電磁力》ならば、この地球上であるのならばイオンとして無数に漂っているはずである。
…。
……。
………きた。
わずかに、炭酸飲料の極小の気泡が肌に触れるのを感じるように、ちりちりと不思議な触感が生まれてくる。
《電磁力》はちりちりする。脳筋のヘラツィーダさんらしいひどく体感的な教えが脳裏をよぎる。感覚が研ぎ澄まされ、透明度を増していくほどにおのれの知覚領域が広く薄く拡大していく。
まず感じられたのが、まわりに同じように待機する、生徒たちの熱気。
ホメオスタシス機能を搭載した哺乳類であるのだから、個々に体温を持っていることは当たり前なのだけれども、その『熱』と感じられる放射物はこの場合まったくの別物。
生物が生物であろうとする意思がその生命活動を成り立たせているという、なじみのない逆説的な理解からのアプローチが、人を魔術士に近づけるのだと彼は居候の天朝国人に教えられた。
生物は生きているからこそ生物。
ではない。
そこにそうあるべきと望む魂が、その希望に沿って受肉しただけのもの。
生きている、という状態は、魂がそうありたいと望んだことで生まれた副産物に過ぎない、ただの『現象』だとする考え方。
その認識にいたることで、魔術士は存在の根源、《第6の力》……《存在核力》へと理解を深めることができる。
いま冬夜が感じている生徒たちの『熱』のようなものは、その《存在核力》が、おのれのありようを希求し続ける活動から生み出されたものに他ならない。
そう、その《存在核力》の活動が活性化することで自己実現の欲求が高まり、肥大化した自意識が飽和し閾値を超えることで、《第5の力》……《思惟力》という素粒子の放射が始まる。
いま冬夜が感じているのは、まさしくクラスメイトたちの《思惟力》の余剰放射であった。
(…これが現状の人類が持っている中学生レベルの《思惟力》……魔力みたいに思っている力の源は……よくわかんないんだけど日向ぼっこするぐらいの熱感は『しょせん』っていう程度なのかな)
そしてすとんと腑に落ちる。
薄く広く、おのれの知覚領域を拡大させているこの感覚もまた、七瀬冬夜という存在が放っている《思惟力》が獲得した感覚に過ぎないのだということ。
(…それが高位把握野か……納得した)
冬夜はさらに意識して目を凝らす。
そうすることで本来なら肉眼で見ることなどかなわない、脳内のスクリーンにセンサー画面が投影されるように、感覚の視覚化処理が始まってくる。
世界と重なり合うようにして存在する、《精霊子》という名の星の海。
目にした瞬間に焦点の合わせどころを喪失して、うっとかすかな吐き気を覚えてしまう。暗い部屋の中で、舞い上がる大量の埃に光が当たったような、呼吸の困難を覚えるような景色だった。
教えられてすぐに使えるようになった自分にも驚きだけれども、宇宙のハイスペック生命体ならばやれて当然なのだとヘラツィーダは言っていた。地球人類の種としての未熟さがひどくリアルに身に迫った。
(もうほんと、人間やめちゃったな…)
ただただそれは、情報の洪水だった。
与えられた高位把握野に余剰計算力があるからこそ、彼の脳髄は耐えられているに過ぎない。
漂う星の海は、そのまま術士の『地の利』を形作る膨大な情報の海でもあった。この情報を処理して使うのは、いまの人類ではたしかにキツイ。わずかでも触れたら脳組織がハングアップしてしまう。
(…この改造人間スペックでも、けっこうきついかも…)
息を詰めて過負荷に耐える。脳が爆発しそうに膨らんでいる気がする。
そうして彼は、じっくりと観察の対象である実技指導の先生の姿を見る。
(へえ……魔力って、頭から出てるんだな…)
先生から放たれている、電源を準備しようとする《思惟力》の光の帯が、額の上の辺りからぼんやりと熱対流のように放たれて、それが距離を置いて減衰しながらかなりかろうじてな感じで天井の高圧線へと繋がっている。
そして天井の鉄骨に這っている高圧線の中で、凝縮されて強い光を放っている《電磁力》が、先生の《思惟力》の干渉接点を中心に活性化していることが分かる。
そうしてここで、実技指導の先生による涙ぐましいインチキが露呈する。
(…やっぱ魔力の弱い生徒とかは、先生がこっそり通電のサポートしてんだ。あきらかに不得意な奴に強めに電気を送ってるのがバレバレだよ)
なるほど、これが学校教育という現実の真の姿というわけだ。
誉められて伸びるタイプの生徒も確実にいるわけだから、子供たちのモチベーションを維持する上でも、そうしたインチキは結果論として普通に認められるべきであったろう。
観察にも飽きてぼんやりとしていると、当然のことながら一介の生徒でしかない冬夜にも訓練の順番が回ってくるわけで、テンションの上がらぬまま訓練機へととりついた。
そこでもう一度、目でモーターにつながっている配線をたどっていくと、案の定先生のインチキ……モブ要員が何を偉そうにといわれそうだけれども、その、『ありがたい補助』が手元まできているのが分かる。
まあそうなんだろうなと生暖かい気分のまま、モーターに手をかざしたところで、様子をうかがう先生の目がちらりとこっちを見たのに気付く。
(…あっ、さらに電気が強めに流れてきた)
どうやらさらにゲタを履かせないとならない不出来な生徒の一人だったらしい。ショック。
そうして訓練機での《電気系魔法》の練習が終わって、魔法の応用術と称するレクチャーをしばらく受けた後、その日のおさらいという感じで『護身術』の時間となった。
若干、まだぼんやりとしていたようだ。気が付くといつものようにペアがすでに決まっていて、冬夜の目の前には昨日と同じく口元をゆがめている学級委員の長谷部の姿があった。
「今日もやるぜ」
坐ったまま見上げた冬夜は、「どうしようかな」と小さくつぶやいた。