022 光って見えたの
さて。
腕を組んでむっすりと睨んでくる明日奈に、冬夜はリアクションに困ってもじもじするしかなかった。
てか、座らせてはもらえないんですね。
「…あれからあたしらがどれだけ駆けずり回ったのか、あんたわかってんの?」
茶髪をガリガリと掻きながら、口を開いたのは副会長の扇谷さんだった。
背もたれを抱え込むように椅子にまたがったその姿は、あまりおしとやかとは言い難いのだけれども。
彼女にとって、年下の冬夜など気を使うべき異性だなどと思われてもいないのだろう。
「…まあ、あんたはあの場にはいなかったから、知りようもなかったかもしれないんだけれど」
「七瀬くんがキツネの怪獣に食べられちゃったって、『本部』でも大騒ぎだったんだから」
書記のメガネさん、戎原さんも前のめりに会話に参加してきて、その二人によって当日の顛末が語られることとなったのだった。
冬夜が連れ攫われた。
それも普通の拉致っぽいのじゃなくて、狐の化け物に咥えられて、そのまま持ってかれた感じであったので、その姿が見えなくなった瞬間に「ああ、あれは食べられたな」という一種諦観のような憶測があっさりとみなに広がった。
付近を跋扈していた白い子狐どもがそのときいなくなっていたことから、逃げた大ギツネを追うべく特選部隊の面々は動き出したのだが……結果論として、追撃戦は人の足ではまったくもって役不足であったのだった。
攻撃対象をロストした地元の学生らは、広がる火事で逃げ惑う住民たちの避難誘導や、消防の消火活動の補助(燃焼の不活性化処理)などに忙殺され、冬夜の捜索は結局同じ自治体所属の木嶋エミリ以下特選部隊のみとなっていた。
探した。
ともかく手分けして駆けずり回った。
目撃者の証言などをもとに、池袋の近くまで探し回ったのだ。
そうしてついには日が暮れて、木嶋エミリにより捜索打ち切りが宣言されてもなお、特に関わりのある同級生……由解明日奈は自主的にしばらく捜索を続けたのだった。
結果的にはすべてが無駄足で、疲れ果てて座り込んでいた明日奈を警察が保護して、今日に至ったわけである。
明日奈の眼差しには、微量の安堵と、三割ほどの腹立たしさ、そして五割ほどの不審と、残り二割弱の好奇心が混然とブレンドされている。
「…で」
腕組みして椅子の背もたれを後ろにそらしながら、明日奈が口を開く。
「そのあと七瀬くんは、どうやってあの化け物から逃げおおせたのかしら」
ギギギ、と背もたれをおもいきり軋ませてから、その反動に乗っかるように前のめりになる。
立たされていたのが彼女のすぐそばであったので、胸の高さから見上げられるような格好になる。
「あの状況から、どうやって助かったの? あなた、しっかり咥えこまれてたじゃない。それにあの化け物はどうなったの」
「いや……その」
「煙に巻こうとしたって駄目よ。あの化け物はあんなに大勢いた人間の中から、あなたを選んで咥えたのをわたしは見てるんだから。あのときあなたは、とっても強く『光って』たのよ」
「………」
やっぱり。
由解明日奈には、おそらくあの世界が見えているのに違いない。
地球人であっても、素養が高ければ高位把握野が脳組織に発生してもおかしくはない、ということなのだろう。
冬夜は《霊波錯視症》という、《グレートリセット》後に地球人のごく一部に現れた特異な症例について知らない。彼女はかなりのリスクを負ってその景色を見ているのだが、むろんその点についても彼が知るところではない。
「…光ってたって、明日奈」
「惚れたら輝いて見えるっていうアレ? と、年下だよ」
「あんたたちも、そうじゃないからね?」
生徒会トリオのミニコントも耳に入らずに、冬夜は冬夜でおのれの中で取り留めもない考えがぐるぐると無限回廊に入り込んでいたりする。
やばい。
やっぱり色々とバレかかっている。
妖狐に咥えられたまま退場した後で、そのままフェードアウトしたのはまずかったのかもしれない。明日奈にえらく心配させてしまったのは間違いのないことで、そっち方面のフォローをしっかりと考えておくべきだった。
(なんだい、えらく焦ってるじゃないさ)
他人事のようにのたまってくれる約一名。
あれ以来そばから憑いて離れなくなった王子の白狐が、頭上右手約三〇センチぐらいのところにぷかぷかと浮いている。妖怪のくせに毛づくろいなんかしやがります。
(…全部おまえのせいだからね、この妖怪!)
(…よく分からんが、そりゃ申し訳ないことをしたのう。暇だから相談ぐらいは乗るよ)
(それよりもお前は神社に帰んなくていいの!? ここんところいろいろとうっとおしいんだけど! 家じゃ、たまたまあの二人が忙しそうで、バレずに済んだけど!)
(…うーん、あそこはもういろいろと落ち着かなくなってしまったからのう。難しい顔した岡っ引きどもがわらわらと集まって、『ゲンバケンショー』とかわけのわからぬことを言っておるしなぁ。氏子どもはわらわを悪霊扱いし始めよったし、いろいろと気にくわぬからしばらくは帰らぬぞ)
(帰・れ・よ!)
「ちょっと、聞いてる? 七瀬くん」
明日奈が人差し指で胸を突いてくる。
少しむくれたように口をとがらせて、上目遣いに睨んでいる。
「…こうして平気で登校してくるぐらいだから、怪我とかはしてないんだろうけど……あの化け物に咥えられていって、なにがあってどうやって助かったのか、一〇〇字以内で簡潔に答えてもらえるかしら」
「百字!? え、えーっと……そのう」
「まあ答えにくいのなら、『はい』か『いいえ』の設問形式でもいいんだけど。手っ取り早いしそのほうがいいわね、はい決定!」
冬夜の口が重いと見た明日奈は、すぐさま思考を切り替えてくる。
「あなたは無事だっみたいだけど、その化け物はあなたが倒したの? はい/いいえで答えてね」
「…いいえ」
いま現にこうしてその妖怪に憑りつかれているのだから、倒したことにはならないだろう。
「じゃあどうやって助かったの? 隙を見て逃げたの?」
「…あ、はい」
「でも化け物がそのあと見つかっていないの。倒してないんなら、あなたを追いかけていたんじゃないの?」
「…はい」
「もしかして、誰かに助けられたの?」
「…!? は、はい!」
言い訳の糸口をちらつかされて、勢いよく食いついた冬夜であったのだけれども。そのとき明日奈の表情に笑みが浮かんだことに彼は気付かない。
「もしかして、その助けらてくれた人って、もしかして天朝国の騎士様?」
「はいっ」
「急に元気がよくなったわね。…まあいいけど、…ほんとうに騎士様に助けられたの?」
念を押されたことに、なんとなく不安を掻きたてられた冬夜は口ごもったのだが、彼が答える前に明日奈によって「ダウト」が宣言される。
「残念、バレましたー」
「……ッ!?」
「あの日、天朝国の騎士さまは、どの自治体の騒動にも基本ノータッチだったそうよ。ニュースになってたのに、あなた読んでなかったの?」
「………」
えっ、そうだったの。
あの日けっこう見かけたんだけどなー。
そんなことになってたの?
「化け物は、あなたを『脅威』と認めて、人間の多かったあの場から連れ去った。…そして人目につかないところで、あなたは本気を出して化け物を退治した」
「………」
「噂になってるのよ? 『池袋の奇跡』だったかしら」
なにそれ。
舌の根が干上がってくる。
「池袋の塔に住んでる超能力少年とかなんとか……あの塔って焼却場のでしょ? あの中って人が住めるのかしら」
つつつ、と、明日奈の指が、胸元から顎先へと伝い上がってくる。
「あなた、やっぱり『力』を隠してるんでしょ?」




