ss 総理大臣土御門正臣の憂鬱①
「…それで?」
「ご想像通りと申しましょうか、なんというか…」
「出せるのはやはり『哀悼の意』のみ、と」
「ご指示通り先方には再三にわたり陳情いたしておりましたが、フィフィ王女に直接掛け合えたのはわずかに一回、ほんの数分足らずのことでして……その王女殿下を含め、方々には結んだ約定は極力履行すべく努力した、と判で押したような回答を繰り返されるばかりでして、おそらくはあちら側でも何らかの情報統制がしかれているものと判断いたしました」
受話器越しに聞こえてくる男の声に疲れの色を感じ、条件反射のように慰撫の言葉が出る。気遣いに鈍感な人間は政治家には向かない。
「どうもご苦労だったね、大道寺君。アドリアナ家が今回の外敵駆除にそれなりに動いていたことはこっちでも確認している。おそらくはその『程度問題』でこっちに口を挟まれたくないんだろう。かつての在日米軍とそのあたりは変わらんよ」
「…しかしこちらも国民の血税から莫大な『思いやり予算』を支払っているのですから、こういうときこそ『誠意』を返してくれなければ…」
「こちらがどんな気持ちで貢いでいるかなど忖度する気もないし、彼らは常に『託宣』の成就を優先して動く。わが国が彼らと締結している『保護条約』というのは、しょせんその程度のものなのだよ。…例えが悪いかもしれんが、未開なジャングルに調査にやってきた生物学者が、現地生物の生き死にそれほど心を動かさないのと性質は変わらんさ。多少なりとも脅威の一部を間引いてくれただけでも、おおいに感謝すべきなのだろう…」
無駄と分かっていても交渉に腐心するしかなかった土御門正造の漏らした笑いは、乾いていた。
「…騒動による死傷者数は発表なさるのですか?」
「今回の件を『政局』として見るなら、有権者の耳目から遠ざけておきたいところだが、まあ我々にはその選択権はないだろう。少々平和ボケが過ぎるわが国民を『危機感』の火で焚き付けるのがアドリアナ家の……フィフィ王女殿下の『お望み』なのだ」
いま党本部に集まっている議員らは、保身のための対策に喧々諤々の議論を続けている。
死者1200名余、重軽傷者15000名以上、所在不明者5000名以上。
人的被害だけでも瞠目に値するのに、物的被害……恐るべき数にのぼる社会資本の損壊、《泡卵》降下地点一帯に発生した目を覆いたくなるような被害の大きさは、社会不安を誘発してもけっしておかしくはないレベルであった。
とくに東京湾岸で発生した大規模なコンビナート火災、黒ネズミでおなじみの外資系リゾートの被害なども合わせれば、十数兆に及ぶ被害額が試算されている。
一度失われてしまうと、高度な産業力が保存されている日本であっても、回復には相当の時間が必要となるだろう。失われた某外資リゾートなどは、世界で唯一残った正常稼動する施設であったために、国内外の愛好者に悲嘆の声が広がっている。現在農業国として復活を遂げつつあるアメリカ大統領府からその件について問い合わせがあったぐらいである。あちらでもリゾート施設復活の努力が続けられているらしいのだが、個人主義の国に奴隷的電源職が定着する気配はなく、かつて世界最大の産業力を誇っていた同国の力は取り戻されてはいない。
土御門正造は魔法と物理回線で維持されている黒電話の受話器を置いて、渇いた喉をぬるいお茶で湿した。
ようやく回復の波に乗りつつあった国内産業に、痛すぎるダメージが加えられてしまったことは紛れもない現実だった。
これは確実に政権の失点として、政敵たちに論われる格好のネタになることだろう。しばらく息をしていなかった反体制議員どもが待ってましたとばかりに騒ぎ出すのが目に浮かぶようである。理路不整然な子供みたいな理屈で反対ばかり叫ぶ面倒な面々を思い浮かべて、思わずこめかみを揉みさすってしまう。
「天朝国が責任問題から逃げを打ってしまったとなれば……このままでは年度末の総選挙で、わが党は手痛い目にあうかもしれませんな」
応接セットに腰を下ろして聞き耳を立てていた派閥議員の男が、手にした書類を放り出しながら口を突っ込んでくる。
《グレートリセット》の大混乱期に挙国一致内閣として大鉈をふるってきた土御門であったが、あれから3年、そろそろ民意を問うべき時と解散総選挙の可能性が周辺で囁かれている。
この偉そうな男、犬飼清四郎は土御門正造の懐刀で、彼の内閣で官房長官も務めている。
「今回の騒動で、適切なリスク管理ができなかった政府に各方面から苦情が殺到中です。出現した化け物を持て余してヘルプを求めたいくつかの自治体が放置されたことに知事会から抗議声明、未成年の学生を危険な『実習』の矢面に立たせた判断も、完全に政府主導だったことにされて悪者扱いです。国相手に損害賠償訴訟がすでに何件か……保険会社の業界団体からもいろいろと泣き言を言ってきています。はは、こりゃ大火事だ」
「全部が全部、我々の責任になるわけではないが……まあそんな理屈は通りそうもないか」
「総選挙で負けるのはある程度受け入れねばならないでしょうが、あの場当たりな理念を振り回すダメ野党に政権をゆだねるのは、この時代明白な自殺行為です。やつら頭のねじがいくつか飛んでいますから、わが国に保存された多くの国富を、無分別に飢えた隣国にばら撒きかねない。ちょっと脇を緩めただけでハイエナに群がれる時代だというのに」
「…まあその姿がはっきりと浮かぶな」
椅子に深々と背を預けた土御門に、犬飼はつぶやいた。
「やらないよりはマシでしょうし、多少の小細工はしておきましょう」
「…何か手があるのかね」
「なに、昔から使い古された常套手段ですよ。…有権者の関心を少しだけ逸らしてやるのです。今回はちょっとした『ネタ』があるようですし」
「…まさか、アレを?」
「そっちにはとんと関心のないわたしが、最初にそれを聞いて驚いたのですから、効果はあると考えます。是非使いましょう。目撃者はしっかりと確保していますし、何より元手があまりかからないのがいい」
「わたしはかなり疑っているのだがな」
「アドリアナ家からも問い合わせがあったのですから、本物かどうかは別として、たしかに湾岸を荒らしまわったあの化け物を葬った『何者か』がいるのは明らかなのです。その正体が痛い趣味の少女であっても、天朝国の騎士さえも梃子摺った強敵に、魔法のステッキで殴り合った猛者であることに違いはありません。そんな強者が我々地球種の中から出たことのインパクトはかなりあると思いますね」
「…あの遠目にも見えた巨大な『龍』と互角以上に渡り合った存在が、我々非力な地球人類の一人だなどとはとうてい思えないんだが」
「天朝国人が『あいつは誰だ』と問い合わせてきてるぐらいですから、在地の天朝国人ではないことだけは確定しています。姿形は完全に『人類』だったそうですから、来訪者であるというのも考えづらい……人類に近い姿形をしている種族は宇宙では少ないらしいですし」
「………」
「きっと人類ですよ。そういうことにしときましょう。誰も損なんかしないんですから、超〇イヤ人だっていいじゃないですか」
まあアレが『人類』である可能性は極めて高いと土御門も思ってはいる。出し渋る所有者から強権づくで押収した何枚かの『写真』に写っていた、どこかで見たことのある格好のピンク髪の少女は、単なるコスプレ趣味の少女であると断言してもよいくらいに『人類』の姿形をしていた。
ただ浮世離れしたその美貌だけが、変な意味で不安要素であったりするのだが。
「…たしかアニメのヒロインだったかな」
「『鉄槌天使L&L』の柊ノエルです」
「…犬飼君はそっち方面に詳しいのかね」
「…まあ、ほどほどには」
しばし沈思黙考した末に、土御門は再び受話器を手に取った。
混迷した時代ほど、渇望されるのが英雄というものである。いままでに数多くの政治不祥事が、文化スポーツ各界のヒーローの話題でごまかされてきたのも現実である。
実在した魔法少女。
正体出自は不明。
天朝国の騎士でさえ手こずった強敵をたった一人で撃破。
地球人類にはまだ不可能な飛行魔法を児戯のように駆使し、空を縦横無尽に飛び回る。
そして愛くるしくも類まれな美貌。
騒がれてもおかしくはない材料がこれでもかとてんこ盛りに存在する。目撃した多くが「本物だ」と確信を持って証言する一方、そんなバカなことがあるものかと一蹴してはばからない現実主義者も多い。
「あくまで自然発生的にリークしてほしい」
「承知してますよ。政府が絡んでいるなんて毛ほどにも思わせませんって」
その翌日、発行された新聞の最終面に、小さく取り扱われることになった『ある読者の投稿』により、『柊ノエル』実在の噂が広がっていくこととなる。




