018 連戦⑨
『球電』魔法が『龍』の強固な防御をあっさりと抜き得たのは、それが単純な《電気系魔法》ではなかったから、と補足しておかねばならないだろう。
冬夜はむろん、『龍』のシールドを破壊するための対策を講じていた。いま『龍』を刺し貫いた『球電』魔法には電圧と同時に《思惟力》が付加されていて、例えるなら卵のような状態……《思惟力》による外殻が『球電』を包んでいたのだ。
《思惟力》500の破格スペックが力を注ぎ込んだ『球電』の内包エネルギーは、『龍』の血肉を焼き切ってなお健在なまま体外へと抜けていった。もしもそのとき『龍』の傷跡を上から覗き込める者がいたなら、きれいに貫通して海原が見える10センチ径の穴を認めたことだろう。
その大穴を開けられてなお、『龍』は死にはしなかった。
「…致命傷には足りなかったか」
恐慌状態に陥って空中をぐるぐるとのたくっている『龍』を用心深く観察する。
冬夜の高位把握野は、ここで再度の戦力評価を行っている。『相対圧迫法』による敵の現有《思惟力》量の再評価。
(…傷の修復なんてできるの? 《思惟力》が傷口のほうに掻き集められてるみたいだけど。…そのせいもあるんだろうけど、ずいぶん減ったな……320くらいか)
《思惟力子》による主観魔法は、まさにイメージがすべてのものである。瞬間的に体組織を肩代わりして、治癒を促進するなんて方法が彼らにはあるのかもしれない。
が、それは同時に、『龍』のシールドリソースが大きく削り取られているということに他ならない。
そう、いまは絶好のチャンスなのだ。
冬夜は少しだけ思案する。こういう時、『柊ノエル』ならどんな攻撃を繰り出すだろう。相方の『聖エルナ』とともに肉体スペックに劣る少女であるがゆえに、作中では決め技は遠距離攻撃であることが多い。
いわゆる『砲撃系』であるのだが、残念ながら《思惟力》を飛ばすだけの魔法でそんな決定力のある技を冬夜は持ち合わせていない。
いろいろと吟味しつつ、『柊ノエル』が披露した数少ない直接打撃系の技を再現することにする。
えーっと、こんな感じだったかな。
「ほ、星の祈りを……御使いのわが名をもてその力を貸したまえ! 破邪の天剣ッ!!」
なんとなく使命感で『柊ノエル』のキャラをなぞっているのだけれども、セリフひとつひとつが痛々しすぎてSAN値がガリガリと削れていく。もう今日一日で一生分の恥を掻いた気がする。
たしかあの技は、身をかがめて……伸ばした左の親指にステッキの先を置く感じで……幕末の某有名人がアニメで得意技にしている刺突技の構えに近い。普通の魔法少女のしていい構えではむろんない。
ステッキの先に主観魔法を展開する。
イメージは相手を切り裂く鋭鋒……鋭い剣先である。
空中では初速を得られにくいので、彼は空気の層を《思惟力》で固めて壁を作り、蹴りつけることで一気に速度を得た。飛び出した後は《重力子》にも仕事をしてもらう。
「ノエルッッ」
ギャラリーから悲鳴に似た声が上がった。
非力な魔法少女をして捨て身の覚悟を要求させるこの大技を、ヘリに乗る大きなお友達たちは知っていたのだろう。
絶体絶命の相方を救うために、最後の魔力をつぎ込んで悪の首魁に立ち向かった『柊ノエル』の絶技であるのだ。
『龍』との彼我の距離、100メートルほどはすぐに埋められた。その瞬間には、ステッキと一体化して破邪の剣と化した『柊ノエル』は100キロ近い速度に達していた。
『龍』は接近してくる相手に気付いて反応しかけていたが、傷の補てんにリソースを奪われたそのシールドは明らかに薄かった。
「いっけぇぇぇっ」
間近に迫った『龍』の巨体は、まさに壁のようだった。
ステッキの先に感じたわずかな抵抗感が、不意に突き抜けたように消失する。それが『龍』のシールドであったのか、はたまた肉体そのものであったのか。
閉じていた目を開けた時には、視界は何もない空の景色だけが広がっていた。
ややして、振り返る。
そこには意外に小さく、上体を伸ばしたままゆっくりと傾いでいく『龍』の姿が。その首の下のあたりに、ぽっかりと向こう側の景色を見せる大穴があいている。
どうやら勢い余って飛び過ぎていたらしい。
冷静さが甦って衣服のチェックをし、買ったばかりのきれいなそれが、血の一滴すら浴びていないことに安心する。彼のまとうシールドが血肉の付着を防いでくれたようである。
なんとなく何かを振り払うようにステッキを一閃し、立ち姿を整える。ウサギの耳のように跳ねるツインテールが風に流れた。
「の、のえるーッ」
「やったぜノエルちゃーん!」
そのとき外野の歓声がはじけた。
ローターの爆音が近づいてくる。自衛隊のヘリがわざわざ機体を寄せてきている。
その機体の腹から塩辛い声援を送ってくる大きなお友達に鳥肌を覚えて、ひゃぁっと体を隠すように身構えてしまう。『柊ノエル』の衣装は清楚系ではあるものの油断している箇所がいくつもあり、ミニスカと脇にできるスリットっぽい隙間などがけっこう無防備に肌を晒している。
冬夜は上司であるヘラツィーダさんを探して視線を巡らせると、ぽかんと呆けたような表情の彼女を見つけた。
冬夜的には、こっちから正体をばらすという感じではなく、能動的にさくっと見抜いてもらって、なんだおまえ恥ずかしくないのか的なツッコミでもしてくれることを期待していたのだけれども、どうやらそんな流れは待っても起こりそうもなく。
高位把握野を介して他人の『光』を見ることに慣れてくると、そのわずかな差異で個人が特定できるような感覚が備わるようになる。《思惟力》波通信が可能なことでもわかるように、個人の《思惟力》放射には独特の空気感があるものだ。
それがあるからこそ、『柊ノエル』の正体が冬夜だということを、あっさりと見抜いてほしかったのだけれども、ヘラツィーダさんの様子を見ている限り、こっちの正体にはまったくピンと来てはいないらしい。
完全に他人だと思われている状況で、名乗り出るのもなんだか恥ずかしくて押し黙っていると、何らかの術技でこちらの様子を見ていたらしい首相官邸のカグファ王女から、《思惟力》波通信が届いてきた。
『ヘラよ! はよう正気に返って、あの妙な格好の女童と接触して名を聞き出すがよい! はようっ、はよういたせっ』
なんだかカグファ王女からも他人認定が下りているようである。
もしかしたら、《存在核》のなかに王子の白狐を受け入れてしまっていたために、その混在ノイズで個人が特定されなかったのかもしれない。
カグファの叱咤に瞬きしたヘラツィーダさんは、あわてて体勢を立て直してこっちへと飛んできた。間近までやってきてから、身だしなみを整える。甲冑姿なので、整えるといっても髪の毛ぐらいなのだけど。
「ふがいないところをお見せした……ご助力、かたじけない」
「…は、はあ」
「やはりこうして会話が成り立つということは、《泡卵》の単純な結合体ではないということか…。お礼早々ぶしつけなことをうかがうが、貴女はこの星の土地神の一柱であられるのだろうか」
「土地神…」
「この星の未熟な原住民では、あの《泡卵》の因子を取り込もうがここまで大きな力を得ることはありませぬ。実際にその奇態な身なりも髪色も、原住民にはおよそ見られぬもの。どこぞの信仰を集める『神体』が顕現したものとお見受けする」
「………」
もう正体を言い出せるような空気は皆無である。
冷静になればなるほど、『柊ノエル』のキャラをなぞりすぎて、現在進行形で他言できない黒歴史がすくすくと育ちつつあるのを理解してしまう。
よし、もうばっくれよう。
これは見も知らない他人のコスプレ。
七瀬冬夜とは全く縁もゆかりもない、偶然に通りかかっただけの痛い魔法少女ロールプレイをしている謎の人物という……そういうことにしておこう。間違いない。
「失礼ですが、お尊名をいただきたく…」
柄にもなくまじめに言葉を重ねるヘラツィーダさんであったが…。
冬夜は申し訳なさそうに小さく微笑んでから……唐突に弾丸のようにその場を飛び立ったのだった。
逃げるなら即時。
公開処刑を好きで続けているわけではないのだ。
「あっ…」
「ノエルが!」
「あーっ!」
「いっちまった…!」
少女は名乗らなかったものの、外野の声はヘラツィーダにも届くわけで。
おのれと同行していた自衛隊員たちを一瞥して、その規律の乱れに眼差しを冷やしつつも、謎の少女の名前らしき単語をおうむ返しにする。
「ノエル……ノエルさまか」
おのれの肩を抱きしめて身もだえするヘラツィーダ。
そして遠く首相官邸で興奮しているカグファ王女の声。
『なんじゃあのかっこいいピンク髪は!』
カグファ王女は、ことのほか謎の少女に御執心のようだった。