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013 連戦④






その瞬間、妖狐の双眸がかっと見開かれた。

他人にいきなり喉の奥をいじられたら、誰だって不快感に耐えられないだろう。この巨大なあやかしであっても、生理的な反応というのは変わらずあるものらしい。

うおぇぇぇッ、と。

堪らず吐き出されたきらきらしい体液と一緒に、冬夜は解き放たれた。

体高4メートルはありそうなところから唐突に放り出されたわけであるから、そのままであったらアスファルトに叩きつけられて怪我のひとつもしていたかもしれない。

冬夜は空中に投げ出されている間に周囲の《重力子(グラビティ)》に支配の手を伸ばして、おのれの重量を制御下に置いている。ふわりと着地したのはいいのだが、全身これでもかというぐらいに、服も下着も唾液まみれ……完膚なきまでの不浄感に泣きたくなる。

メガネについたスプラッシュな体液を無事なほうの袖で拭って、手早く再装着する。一瞬露出するメガネ少年の『正体』を目撃する人間は残念ながら存在はしなかった。

さて、この狐の化け物とどうやって対峙しようか。

いまだに背中を向けてえずいている妖狐を眺めながら思案を開始する。

素で相対せば140対350。相手が本気になれば瞬殺されるレベルである。攻略の可能性を示しているわずかな光は、妖狐が彼を『甘露』と評すほどに嗜好品としての興味を示していることだろうか。生き物は、死ねば《存在核(アニマ)》からの《思惟力(インテンション)》の放射活動も停止してしまう。彼をおいしく『(ねぶ)る』ためには、生かさず殺さずの状況を維持せねばならないので、『すぐには殺そうとしない』だろうと期待ぐらいはしてもいいと仮定する。

まず対処法として筆頭に挙げられるべきコマンドは、『にげる』であるだろう。孫子さんも『三十六計なんとやら』と言っているのだ、躊躇なく逃げ出すことも戦いのひとつなのだ。

そして取りうるもうひとつのコマンドは、むろん『たたかう』というもので、その場合はいかにして戦うかという選択肢がいくつかぶら下がっている。『物理』か『魔法』か、あるいは『詭計(きけい)』に陥れるか…。

単純な『物理』は論外である。大熊でさえも一発で粉砕する(スラッグ)弾の乱打にさえたやすく耐えて見せた化け物である。いかに身体能力が向上しようと、彼の殴る蹴るが効くとは到底思われない。

ならば『魔法』か、ということになるのだけれども、先のクリーチャー戦でもはっきりとしたように、存在として上位にある相手に対して魔法で対するというのは、単純な差し引き計算の世界に陥りやすいのがともかく難である。精霊子世界への支配力の強弱が、そのまま暴力の量へと変換されるのだからまあ当然ではある。

だがしかし、それでも活路は想定できる。

これは旧世界で長く戦争を支配してきた『火力戦』のひとつのあり方であるのだけれども、どれだけ重装甲の主力戦車であっても、同じ鋼鉄でできた膨大な運動力を付加された砲弾で容易く貫かれるケースがある。装甲とほぼ同質の砲弾でも、爆発的な運動力を叩きつけることで、弾体が崩壊していく過程で相手の装甲も熱で食い破り、ついには破壊を成立させる。

つまりは一点集中で、優勢な相手シールドを突破する運用である。

まあこれには相応の高みにまで精霊子を濃縮する制御能力が求められることであり、技術未達な者がそれに当たるのなら、あの《魔剣》のような、『物理』の補助を用いるのがより簡易であるだろう。込める《思惟力(インテンション)》のエネルギーをシールドの中和に費やし、武器の『物理』エネルギーを『二枚刃』の後陣として本体に届かせる。このやり方は、相手シールドを一瞬でも中和しきれるという大前提を持って、ガチ『物理』の肉弾戦を相手に強要することができる。

むろん、いまの冬夜にそれをなすための《魔剣》はない。

残念ながら、相手に致命の『物理力』を与え得る武器がなければこの方法はとてもではないが推奨できない。


(…まあそれでも、試すんだけどね!)


相手が警戒もなく背中を向けているという一時の『油断』を、何とか有効活用したい。彼我の戦力差を思えば、こんな反撃チャンスは二度とやってこないかもしれないのだから。

要は、どれだけ《思惟力子(インテンション)》を一点に濃縮させられるか、その集中力にかかっているわけであって、彼にそれが不可能とは誰も断じてなどいないのだから。それにこの魔法は、基本スカ〇ター魔法と同じである。

思惟力(インテンション)》の塊をぶつけただけで、先の子狐状態のやつをひっくり返らせられたのだから、理屈的に間違っているわけではない。

冬夜は胸のところで両の掌を向かい合わせ、《思惟力(インテンション)》を練り上げ始める。《シールド魔法》を主観魔法というのなら、『主観』の描き出す形を替えてやればそこに別の魔法が姿を現すはずである。

シールドの形にできるのならば、弾丸の形にだってできる。こいつは『弾丸魔法』だ。しごく単純な話である。

無意識下で発現している《シールド魔法》は、生存本能が反射的に統べているために、局所集中とかの恣意的運用はたぶんなされない。漠然と全体に力が配されしまうために、局所的になら抜くことは可能であるだろう。


(一点集中……針のように穿つ!)


イメージは『針』であったのだけれども、掌の間に生まれたのは、小さな『矢』ぐらいの棒状のものだった。それでも全力を込めたので、《思惟力(インテンション)》の精霊子がまぶしいほどに凝集している。

不穏な気配を察したのか、えずいていた妖狐が上体をもたげた。

が、しかし、冬夜が《思惟力(インテンション)》の矢を放つほうが明らかに早かった。

主観魔法の運用術のひとつ、《投射(フォルシュ)魔法》と呼ばれる術技であったのだが、むろん冬夜はこの時点では知らない。

飛べ、と両手がふさがっていたために、代わりに息を吹きかけた。おそらくその魔法の矢には物理的な投擲動作など必要なかったのだろう。一瞬にして目で追えないほどの速度に達して、見事に狙った場所に突き刺さった。

臓器的なものがあるならばそれを傷つけられそうな下腹。

ぎょっとしたようにこちらを見た妖狐であったが、すでに手遅れである。1秒にも満たないわずかな抵抗の後に、するりと魔法の矢は妖狐の体内へと侵入を果たしていた。

ぎゃっっ!!

妖狐が痛みに飛び上がった。おなかに針を刺されたのだ。痛いに決まっている。


「やった…」


目論見どおりに、攻撃を通すことができた。《思惟力(インテンション)》値で相対弱者であっても、運用次第で攻撃を通すことは可能なのだと証明された。

思わずうっしとガッツポーズの冬夜であったのだけれども…。


『ううう、許さぬ!』


攻撃が通ろうとも、妖狐の巨体に比すればあんな小さな矢など、しょせんは針と同じ。痛みをしばらく吟味した後にたいしたことはないと確信した妖狐は、狂おしいほどの憎悪を双眸から滴らせて、冬夜と相対した。

その鬼気にあてられて、思わず身震いした冬夜。次に捕まったら怒りの赴くままずたずたに噛み千切られるだろう未来図が容易に思い浮かぶ。やばい。

危機感に襲われつつも、冬夜の高位把握野(ハイクルーフ)は考察を続けている。


(突破しても、しょせんは『針』……もっと大きく破壊を及ぼさないと退治は難しい)


極端な一点集中で割りと難なく攻撃は通ったのだけれども、このあたりは塩梅が大切なようで、『針』はちょっと集中が過剰すぎたようだった。せめて目でもつぶせればよかったのだけれども、もうこうして相手の集中が高まってしまうと、魔法を捏ね上げているゆとりはなさそうであった。

妖狐が襲い掛かってくる。冬夜は《シールド魔法》を恣意的に運用することで、その攻撃を受け流しつつ逃げ回る。人間とは思われないほどのすばしっこさに、妖狐が苛立たしげに吠えた。

ジャンプすれば軽く2、3メートルは飛ぶし、走れば残像が残りそうな俊敏さで一瞬で距離をとってしまう。まさにましらのごとく、という身ごなしは、妖狐をして呆れ返らせた。


(…守りに徹すれば何とかなるけど……体力的にはきつい)


スペックアップしているとはいえ、しょせんは人間である冬夜の持久力は早々に限界に達するだろう。ならばまだ余裕があるうちに逃げを打ち、それでも追われるのならば相手を引っ掻き回しつつ場所を選んで罠を張る。

いまいる首都高の高架上には構造物以外何もない。外出禁止指定日であるために、一般人の車も走ってはいない。通りかかるトラックに便乗して逃げ去るなんて手はなさそうだ。

と、そのとき冬夜の目に、動くものが飛び込んできた。

ちょうどこの高架の真下を線路が伸びていて、そこに10両編成の電車が近付いてきていたのだ。


(…なんで今日みたいな日に電車が)


疑問がよぎるのだけれども、鉄道会社からしたらいまでは貴重すぎる車両という資産を守るために、罹災リスクの高い土地から逃避させるために逐次移動を試みる努力は考えられなくはない。現に王子付近はやばいのだ。

高架下20メートルはあるだろうか。いささか以上に足が震えるのだけれども、いまはそんなこと言っている場合ではなかった。ちらりと妖狐を振り返り、そして真下に近付いてくる電車のタイミングを計る。

アレならば、物理力として申し分ない。

飛行魔法の準備をする。落下中に自分だけは途中でコースを変えて逃げる。別れ際にシールド中和分の魔法を叩きつける。あの電車には客など乗っていないと分かっているから躊躇もほとんどない。それを運転している運行士が若干名いるのだけれども、そんなことまでは彼も想像が及んではいない。まあこんな危険な日に電車を逃がすみたいなことしてるのだから、それ相応の安全対策は講じていてしかるべきではあったろう。

ええい、南無三!

気合に胸いっぱいに空気を吸った。それで少しは身体が浮くのではと無意識に思ったのかもしれない。

冬夜の身体は、通過電車めがけて宙を舞ったのだった。


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