011 連戦②
白白狐……それも比較的巨大な霊的存在。
そこでふと思い出したのは、昔から有名な王子の稲荷神社のことである。ばあちゃんが元気な頃に一、二度連れて行かれた、市民ホールで興行されていた売れない落語家さんの寄席で聞いた覚えがあった。
人を化かそうとして化かされる、間抜けなキツネの話だったような気がする。
王子の狐。
そしてその話しの由来となる有名な稲荷神社が王子にはあった。
このとき冬夜はむろん詳しくは知らないのだが、東国三十三国稲荷総司、江戸時代にあっては徳川幕府の霊的守護の一角を担った名社がこの地にはある。
王子稲荷神社。
この付近に降着したもうひとつの《泡卵》は、やはり人ではなく比較的巨大な《思惟力》を持ち合わせた、土着の霊的存在を結合対象に選んだのだ。信仰の対象であったほどの存在であるのだから、《泡卵》の原質を取り込んだうえは、どのような化け物になったことやら。
(…地元で退治したあのゼリーみたいなヤツは、たぶん相当に未成熟で、下等な霊存在だったんだろうな)
最初の対象に冬夜を選び、そこから駆逐されたことでヤツは選んでいる暇がなかった。あのときのクリーチャーたちは、おのれの姿を明確に定義し得ないほどに意識が曖昧だったからこそ、あんな不定形なゼリー状を示したのだろう。
ひるがえって、この白狐たちは。
輪郭がぼやけていて造形に若干の甘さを感じはするものの、その誤解なく分かる狐としての形態や毛艶がレベルの違いを感じさせる。元になった霊存在自身が、おのれのあるべき姿をしっかりと把握している証拠でもある。
10匹の狐の目が、おのれの分体のひとつを滅ぼした木嶋エミリを見、そのあとに明らかにもっとも強い敵意を彼に向けてきた。
そして飛び掛ってきた狐たちをエミリが闇雲に《魔剣》を振り回すことで応戦し、他の仲間たちもとりあえず手にした武器、テイザーガンを次々に発射した。
まあ分かっていたことなのだけれども、狐たちの俊敏さは予想以上で、彼らの攻撃はあっさりと掻い潜られてしまう。
そして狐たちの総攻撃が、まさに怒涛の勢いで冬夜に向って開始されたのだった。
「ちょっ…」
狐の特攻にあわせて、個別に展開しているらしい狐火が追随して叩きつけられてくる。周囲の建物を放火して回っている火であるならば、それは実際の燃焼に近い高温をまとっているのだろう。
《思惟力》の低い特選部隊の面々は、無意識下で制御されているだろう《シールド魔法》が紙過ぎて、近くをすり抜けられただけで熱い熱いときゃんきゃん騒いでいる。
そのすぐそばで、狐たちの総攻撃にさらされている冬夜は、対照的に非常に静かである。主観魔法である《シールド魔法》が完全に敵の攻撃を受けきってしまっていたからである。
彼は狐たちの執拗な攻撃にさらされている間も、「おなかが痛いなー」などと別のことを考えている。狐火が彼のシールドに叩きつけられるたびに、炎が不可視の盾をなぞるように広がるものだから、第三者的にもしっかりと《シールド魔法》の発現状態を目視されてしまっている。
(うわー、脅威でなさ過ぎる…)
宇宙人社会において、個人の上下関係は単純に持ち合わせる《思惟力》の総量に依存することが多い。先日『中がわら』前で乱闘になった蛙人の時もそうだったように、かなわぬと悟った瞬間に蛙人は土下座謝罪を敢行した。
それはつまるところ、《思惟力》総量に格差のある相手だと、こうやって勝負にすらならない状況になるからだろう。
冬夜の140と、白狐の推定50。
まあなんのひねりもない正面からのぶつかり合いとなれば、こういった結果になることはもはや必然であった。当初にあった緊迫感を持続させることができず、おなかの痛みに気をとられるままぼうっとしてしまっていた冬夜は、もの言いたげにこっちを見ている複数の視線に遅まきながら気付いて、それはもうかなりわざとらしく痛がる振りをしたのだけれども……むろん後の祭りっぽかった。
「うわー、痛いーッ、ヤラレター」
「………」
薄々冬夜の実力を察している明日奈とエミリの視線が痛い。
特に主観魔法、天朝国人が造って見せただろう《シールド魔法》を記憶している木嶋エミリにとって、冬夜が展開しているそれは内在する能力を誤魔化しようもなく証明してしまっている。
「ちょっとあんた…」つぶやいたのはエミリだった。
少し距離をとって彼女が微妙な顔で腕組みしているのを見、その横で頭痛を紛らわすようにこめかみをさすっている明日奈、そして手品師の詐術ショーに驚いたふうな不破樹ほか特選部隊の面々がいて、さすがに冬夜もまずい状況であることを察した。
どうやって誤魔化そう……即座に思案を開始した冬夜であったのだけれども、その手遅れかつ不毛な考えは強制的に中断されることとなる。
かなわぬと判断したのか、白狐たちが一斉に逃げ出し始めたのである。
「あっ、ちょっ、待てぇ!」
敵の逃走で無意識的に『状況有利』と感じてしまった仲間たちは、なし崩しに追いかけ始める。
被災して安全な逃げ場を求めている住人たちがごった返す駅前バスターミナルを突っ切り、明治通りの幅広な通りを駆け抜ける。そこここで人数を掛けて白狐と対決していた学生たちも、相手の狐が一斉に動き出したことで戸惑ったように立ちすくみ、数瞬をあけて冬夜たちに追随する格好になる。
この街には緑が多い。狐を追っていると木々の梢がビルの間から姿を現し、それが紛れもなく神社だと分かる朱塗りの柵塀と立派な山門が見えてくる。
周辺には火をつけて回っているのに、境内には火の気の欠片もない。ただ肌寒く感じてしまうほどに静謐な空気と怪しすぎる白狐たちが本殿を囲むように群れて駆け回っている。
と、そのとき。
冬夜たちが追いかけていた10匹が、本殿の階を駆け上り、中へと飛び込んだのが切っ掛けとなったように、すべての白狐がその動きに続いた。まるで白い毛皮の首巻が動くように、彼らの群れは本殿へと吸い込まれていった。
狐たちと入れ替わりに、中に隠れていたらしい関係者と思しき数人が飛び出してきて、同じく境内の隅で手をこまねいていた警官たちに保護される。
見れば《泡卵》鎮圧の主戦力である学生たちの姿も多くあった。彼らの多くが固まる一角にエミリは駆けて行き、そこで彼女と同じ制服を着た男子高校生を捕まえてけんけんと叫ぶように話している。どうやらここいらに派遣された、魔術学院の生徒であるらしい。
おそらくは状況を聞きだそうとしたのだと理解はしたけれども、そんな暇などやっぱり与えられはしなかった。
本殿の入り口から、のそり、と、巨大な狐の頭が這い出てきたのだ。
合体したらしい。
先ほどまで本殿の周りにいた狐の数が大体100匹ぐらいだろうか。それらが究極合体して、たった1頭に集約された。
現れ出たのは、身の丈10メートルはありそうな、九尾っほい巨大な狐のあやかしだった。さすがに場は騒然となった。まるで漫画みたいな場面だと皆が思ったことだろう。
『わらわが子にあだなした者はどやつじゃ!』
しかも喋ったよこの化け物。
それは声帯的なものを擬似的に作り出してしゃべったものらしく、普通に皆が聞き取っていたのだけれども、同時に《思惟力》通信の周波数としても発されていて、こちらは副音声的に冬夜に聞き取られた。
『(※副音声) …ちっ、この時代にも油断ならぬ退魔師がおるようじゃ…』
高そうな知性まで示した巨大妖狐に、むろん油断などしていられるわけもない。冬夜は即座にスカ〇ター魔法を放っていた。むろん全力を込めたのだけれども、やはり波立つ彼のなかはいまだ収まってはおらず、思った以上の《思惟力》がこもってしまう。たぶん140どころじゃじゃない気がする。
《思惟力》値50の狐100体が合体したというのなら、単純計算で《思惟力》値5000の化け物が誕生したことになるのだけれども、どうやらそんな単純なものではないようで、塊は存在中心にまでは至らなかったものの、半ばぐらいにまで達した感覚があったので、冬夜は相手の推定値をざっくりと導いた。
(《思惟力》350…)
ちょっ、格上過ぎるし。
適切な相手を捕まえた《泡卵》はこうなるのか。彼の高位把握野は、新たな興味の対象を得て暢気に思索の中に沈もうとしていたのだけれども、当たり前なことにそんな悠長なことしている場合ではなかったりする。
『そこかっ!』
干渉に気付いた巨大妖狐に完全にタゲられたようです。
身を縮めたと思った刹那に、妖狐は跳躍して一気に踏み潰す勢いで飛び掛ってきた。サイズ比的に見ても、犬がハムスターを相手するようなものであり、文字通りプチッとされそうであった。
むろん逃げます。当たり前ですけど。
身体能力の向上した冬夜の肉体は、彼の意思に従って俊敏に退避行動をとった。しかし妖狐の攻撃が鋭すぎて、ほとんど紙一重であった。
それでなにが起こったのかというと…。
「ふぇぇっ!?」
妖狐の爪がわずかに冬夜のシールドに触れた。
「逃げよう」としていた冬夜の意思が、無意識にシールドにも作用していた。相手を弾き返そうとする力が生まれたのだ。
結果として、質量の大きく上回る妖狐の爪を起点に、冬夜を包んだ玉のようなシールドは外へと向かって大きくはじき出されたのだった。