010 連戦①
移動は車でとなった。
ほとんど停車することもなく走り続ける車に揺られながら、冬夜は吐き気を紛らすように遠い景色に目を置いている。
彼の横には明日奈が収まっていて、その体温が触れ合う柔らかい肩越しに伝わってくる。彼女が冬夜を心配してわざわざ狭い隣に腰を落ち着けているのは分かっているのだけれども、ほんの数日前まではクラスメートですらなかった間柄で、急に距離を詰められ親密さを示されるのはなんだか息苦しい気がする冬夜である。
単に下級生だったからと心配されているというのであれば、それは随分とお門違いな気もするのだけれど。冬夜から見て、木嶋エミリを含めて特選部隊の面々の実力は、《泡卵》で生み出されるだろう異形の存在に対して、ひどく物足りない水準でしかないと判断される。学校で並ぶものもない実力筆頭、生徒会長である明日奈の能力値……地獄部屋メニューによって飛躍的に伸ばされた16.2という数値をもってしても、とうてい足りないと思わざるを得ない。
彼女は周りのことなど心配している場合ではないのだ。
だからと言って、10.5しかない『目下』が説教するわけにもいかないのだけれども。
「…覚えててちょうだい。6人の配置は左右3人ずつ、右は奥から相浦、七瀬、由解。左は奥から不破、苅谷、渡来。あんたたちの《思惟力》が対角にバランス良くなるようにするの。たぶん誤差程度の違いしかないだろうけど、何も考えずにやるよりは少しはマシなはずだから。攻撃開始の掛け声は「行け!」、退避開始は「下がれ!」。…はい、復唱してッ」
行く道の車内では、木嶋エミリによる簡単なブリーフィングが行われている。先ほどの戦いで一応の有効性が確認された『全員攻撃でのリソース削りからのとどめの一撃』という攻撃ルーティンを、もう一度使うつもりでいるのだ。
知能が低い鈍足相手でしか使えなさそうな戦い方なのだけれども、まあハメ技として心得ておく分には無駄ではなかったろう。
隊員に生徒会長が多いので、改善のための意見なんかも活発に飛び出している。ハメる前に地形を利用する案やら、合流するかもしれない他学生の戦力の流用、果ては一般学生を囮に使った誘導案まで……なかなかに腹黒い案が検討されている。人の上に立った経験がそうした発想に行き着くきっかけを与えているのだとしたら、生徒会長という役職は相当に業が深いのかもしれない。
そんな討論を聞き流しながら、冬夜は窓の向こうに顔を向けたままでいる。彼の体調の悪さを皆が知ったため、車酔いした気の毒な奴扱いで誰からも注意を受けたりはしない。
都心に近付いていくほどに、景色の中の人々の慌てぶりが目に付くようになっている。もしかしたら人が多いところに《泡卵》は降ってきやすかったのかもしれないと推測する。
(受肉相手を探していたんだから、それも当然か…)
《泡卵》にあった疑似的な本能が、より良い相手を探しながら地表へと落ちてくるのだから、その過程で惑星上で最も《思惟力》の高い種族のコロニーに吸い寄せられるのは当然のことであり、おそらく今回の《特別実習》で最も危険であったのは大人口地帯であったと結論付けていいのかもしれない。
そうして冬夜たちの乗る車は、そろそろ都内に入ろうかというあたりで逃げ惑う人波にさえぎられて、あわただしく救援活動を行う流れと相成った。
目的地である海浜までまだ何十キロ以上もあるというのに。
『ヘラが苦戦中じゃ! 急ぐがよい!』
脳内で響き渡るカグファ王女の叱咤。
しかし冬夜の便乗する車は止まってしまった。
(ヘラツィーダさんが苦戦とか、信じられないんだけど…)
《泡卵》から生まれる存在が『あの程度』ならば、ルプルン家最大戦力である脳筋騎士が押し負けるなんて想像もつかない。おそらくは、と冬夜の推論はさらに進められる。
あるいはコンビナートの中とか群衆の中とか、自由に戦えない『条件戦』みたいな縛りが発生しているのではないかと思いつく。同行する自衛隊というのも気になるところであるし、いろいろな意味で現地民の命を軽視しがちな天朝国人であるヘラツィーダさんを、法理に縛られる自衛隊側がよけいな口を挟んで掣肘しているのかもしれない。
まだ十キロ以上先のビルに切り取られた空に、盛大に黒煙が上がっているのを確認する。
(たぶんぼくは、こんなところで道草を食ってる場合じゃない…)
お腹の底がぐるぐるとして、鈍痛に足が竦みそうになる。
アレは追いだしたはずなのに、なんでいつまでも…。
止まった車から飛び出した特選部隊は、この地区の学生らしき少年たちに教えられた騒動の震源地に向かう。逃げ惑う学生たちの表情がヤバい。おそらくは《泡卵》が降着して何物かと受肉結合したときの初動で、適切な対応ができなかったのだろう。
ここの騒動の主はどんな感じだ……付近の雑居ビルや住宅が火に巻かれているし、危険と分かっていても逃げ出さざるを得なかった住人たちの避難の列で、狭い路地裏は大混乱になっている。
消防車とかも出動していて、必死に放水なんかをやっているのだけれども、近くで化け物が暴れているのに大丈夫なのかと心配になってくる。火災を防がないとまずいのは分かるのだけれども、まずは生れ出た化け物をどうにかしてからにすべきなんじゃなかろうかと思う。
少し走っただけなのに息切れがひどい。
「七瀬くんは待ってたほうがいいと思う」
明日奈の言葉に、冬夜は首を横に振る。
自分の見えないところで生き死にに係わるような危険に見舞われて、知り合いが命を落としたりしたらかなわない。せめて視界のうちに皆を収めておけば、最悪自分が引き受ければ全員を助けられる可能性があるのだから。
明日奈がかたくなな彼の様子を見て、仕方なさそうに笑う。
「絶対に、無理はしちゃダメよ…」
頷いて返すと、彼女は少しだけ先行して冬夜の前に出た。その背中が、「守ってあげる」と語っているようで、実力を隠している彼にとっては無性に歯がゆかった。
路地を曲がったところで、冬夜たちはこの地区での『化け物』を確認することとなった。
(今度は『化け狐』かよ!)
路上に漂う無数の灯火と、白狐。
駆け回り、人に襲い掛かる数十匹はいそうな白い狐がそこかしこで目に入る。彼らの動きに追随する灯火……いわゆる狐火というやつが、厄介なことにそこいらじゅうで触れる可燃物に放火して回っている。
《泡卵》が何ものかの《存在核》と結びつくことで、現世存在としての姿かたちを得ることは先に知った。この狐たちも同じような過程を経てこのような姿になったというのなら、受肉対象はなんであったのか。
むろんこのあたりに動物園があったなどと聞いたこともないし、そもそも100匹近くも狐を飼育する施設など想像もできない。
あるいは人に憑りついた後にメタモルフォーゼでもしたというのだろうか。
察するに、《泡卵》にとって未発達な地球人類は受肉結合する相手として、かなり『おいしくない』相手であることは想像に易い。現にさっきは冬夜を狙って憑りつき損ね、違うものにとりあえず憑いたところで彼らはやはり『人間』を選ばなかった。地縛霊のほうがよほどマシとでもいうように。
人類の密集するコロニーに遠目で惹かれつつ、近づいた後に選り好みを始める《泡卵》。そうして彼らが見つけるのは、一般人が迷信だと馬鹿にしてきた土地につく比較巨大な霊的存在であった。
そのあたりの流れを考えると、受肉対象がなんなのかがおぼろげながらに察することができる。明治通りを進んできた冬夜たちがいるこの場所はたぶん王子駅の周辺であると思う。冬夜の地元に比べてかなり都会な風景である。
木嶋エミリが《魔剣》を振り回しているものの、すばしっこい狐にはかすりもしない。冬夜は《思惟力》を凝らしてスカ〇ター魔法を実行しようとして、おのれの魔力が波打つように落ち着いていないことを自覚する。体内で《思惟力》がざわざわとざわめいていた。
(…抑えが利かない)
作った《思惟力》の弾が、思っている以上に大きくなり過ぎる。思わずぎょっとするほど強い球になってしまった。
まあお手並み拝見な魔法であるので、それで構わず近くにいた狐に狙いを定めて放った。
おそらくは自身の最大値、140ぐらいの弾だと思うのだけれども、なんとなく自信はない。もしかしたらそれよりも少し上振れしているかもしれないと思う。
その《思惟力》の弾は、どれだけ対象が素早かろうとタゲが固定されて予定調和のように命中する。そしてその弾は当然のように狐の存在中心にまで達して…。
『キャゥン!!』
狐が飛び跳ねるようにもんどりうって、無様に背中から地面に転がった。
思わずほけっとその様子を眺めてしまった冬夜であったのだけれども、何かを察したらしい明日奈がテイザーガンで電撃を加え、それに気付いた木嶋エミリが身をひねるように《魔剣》を叩きこんでいた。
「やった……一匹退治!」
喜ぶエミリであったが、その背後でこちらを見ていた狐たちが、あからさまに様子を変化させた。おのれたちの無双状態に初めて現れた挑戦者を見る目。
ちんけな虫でも見るように冷ややかな光を宿したその赤い目は、無防備なエミリの背中をはっきりととらえていた。
推定能力値、50前後。
眼前の白狐たちの数、およそ10匹。