009 ヤバげなのじゃ!
クリーチャーの退治は、まあなんというか苦労はしたけど成功した。
手法さえ確立してしまえばそれなりに落ち着いて狩り立てることができたのだけれども、どうやらこの得体の知れないゼリー状の存在は、生命維持に必要な内臓や核的なものはないらしく、切り刻んでも基本致命傷とはなり得なかった。
最初の一撃で真っ二つに割れたそれは、そこから『2つの生き物』としてうごめき始め、断ち切るごとに増殖するという厄介な性能を発揮した。
もともとまっとうな『生き物』などではなかったのだろう。《泡卵》の原質を取り込んだことで受肉しただけの彼らは、おそらく『命』などというものにはとらわれず、そのままでは滅びることもない世界の癌細胞のようなものであったのかもしれない。
幸いにして、彼らの持つ《思惟力》的な力は、分割するとその比率に応じて明らかな劣化を示した。
ならば退治する方法は一つ。処理可能なまでに千切って小さくして、高熱での焼却処分と相成ったのだった。
具体的には小さくなった子クリーチャーをショッピング袋に一つずつ隔離して縛り、まさしく収集ゴミのノリで市の焼却場に放り込む作業となった。最初は魔法的な決着を目指したでこっばち隊長であったのだけれども、『火魔法』なんてないこの世界の魔法では、その手法はただただ非効率であったために、それで処理されたのはたった一片のクリーチャーの破片だけであった。
「…やっぱり《火魔法》は『ナシ』ね」
どうも特選部隊員たちからの期待のまなざしに応えたかったのだろう、全力で大気中の可燃性ガスを掻き集めて《火魔法》の体裁を取ろうとした木嶋エミリであったが、悪戦苦闘の挙句ようやくその一体を処理し終えて、びっしょりと掻いた汗をぬぐいながらぺったりと地面に坐り込む羽目となった。
バカなボクサー顔が「ちっ、使えねえな」などとほざいたときには、演習とは関係のない戦闘の勃発によって失神者が約一名生産されている。
(…焼却だけなら、それっぽい魔法は使えるんだけどなー)
そんなことを思いつつも、むろん出しゃばるつもりのない冬夜は、細切れになって地面を這いずっているクリーチャー片を袋に入れては乗り付けられた小型トラックの荷台に放り込んでいる。処理用の袋や火バサミは、大通り沿いで店を開いていた金物屋さんから調達している。気のいい痩せたおっさん店主が、思わぬ特需でほくほく顔だったのは言うまでもない。
緑色のやつと違い、交差点のガードレールでわだかまっていたやつは、全くその場から動こうとしなかったので処理はさらに楽だった。滴るような憎悪を向けられはしたものの、相手を害そうという思念波は単純に《思惟力》の放射でしかなかったので、そうだとわきまえた人間がガードして立ち向かえば、精神汚染を受ける前に致命の間合に達することができた。むろんやったのは木嶋エミリだ。
「こいつは、たぶん事故死者とかの地縛霊だわ」
旧文明の社会が完全否定していた心霊的な解釈を彼女がしたことで、立会いの警官らが困惑したような反応を見せていたのだけれども、天朝国人の教えを受けている彼女の発言は、魔法世界となった当世では恐るべき権威を背景にしており、否定の言葉を口にする者はいなかった。
「《存在核力》は生命情報の塊であるのと同時に、海の潮の流れの中にできる《渦》みたいな面も併せ持っているらしいの。だから時間経過で《渦》を成したエネルギーが失われると、不変であるはずの《存在核力》も静止という『死』の状態を得るワケ。…こいつはその《渦》としての運動力を失った《存在核力》だけの存在……ようは生命としての受肉要件を満たせない、いわゆる『霊的な存在』なワケよ」
「…はあ」
「まああの鬼教官に自分の《魂の器》を見させられなけりゃ、あたしだって理解はできなかっただろうから、あんたたちのその微妙そうなリアクションも見なかったことにしておいてあげる」
破片回収作業は、周囲で手持無沙汰をしていた学生たちも参加したので、割とすぐに始末がついた。やや興奮気味に謎生物の破片を回収したその学生たちはある意味幸運だったのかもしれない。全市域に散らばって警戒し続けている大半の学生たちは、ただ警戒番をさせられただけで、騒動そのものにはタッチもできなかったのだから。
…でもまあ、騒動が対処できなかった場合のことを考えると、この一帯は甚大な被害があったとも予想されるので、一概には何とも言えないか。
冬夜は空を見上げて、『後続』がないかどうかを見守り続けている。
木嶋エミリも、由解明日奈も、同じように警戒を続けている。
「…たぶんもう次はないんじゃないかしら」
「『アレ』がどの程度の密度で降ってくるかもわからないんですけど、この感じだと近隣の町には『落ちて』ないみたいですね」
「『アレ』は意外と少なかったのかしら」
「学院のひとが知らないものを、わたしたちが知ってるわけないですよね」
エミリと明日奈が空を見上げながら交わしている言葉が若干火花を散らしているのを幻視する。歳は2歳違うはずなのに、明日奈が大人びているので印象的には差があまりない。
お腹をさすりながら、冬夜はぼそりとひとりごちる。
「吐きそう…」
《泡卵》に中に入られた後遺症であるのかもしれない。
お腹の底が鉛を飲み込んだようにずんと重く、しぶとく鈍痛が残っている。それに頭のほうも、神経細胞を酷使しすぎたためか知恵熱にでも当たったかのようにあつぼったい。
どうやら《泡卵》自体は追い出すことができているようなのに、なんなのだろうこの不快感は。少し身動きしただけで、自分の魂が少しずれてしまうような眩暈を感じる。いまはガードレールに腰を下ろしてごまかしているので、誰にも気づかれてはいないんだけれども。
このまま後続の《泡卵》の出現をしばらく待ちつつ、日暮れとともに《特別実習》が終わるまでなんとか我慢し続けねばならないのだろう。
そんな体調不良に冷や汗をかいていた冬夜であったが、その『声』は唐突に、高位把握野の中のもう一人の彼に届いたのだった。
『殿下……らの緊…急連絡…で、ある。家臣一…同、傾聴せ…よ!』
切れ切れの言葉。
それはしかし紛れもなくヘラツィーダさんの『声』だった。
弾かれたように腰を浮かした冬夜であったが、案の定そこでふらついて、体調不良の件を明日奈に見咎められてしまう。
「…七瀬くん、大丈夫?」
近寄ってこようとする彼女の気配に気づきつつも、高位把握野が拾い出す《思惟力》通信に意識の多くが割かれたままついついぼんやりとしてしまう。
『ヤバげなのじゃ!』
カグファ王女の一声がそれだった。
思念の強さが声を恐ろしく明瞭に伝えてくる。
『わらわはカンテイに拘束されてしまって動けぬ! ヘラにはもう向かってもらったが、海のほうがヤバげなのじゃ! あのあばずれ、ヘマをこきよった!』
首相官邸に詰めているカグファから見える『海』ならば、東京湾の可能性が高い。ヘラツィーダさんが向かったということは、同時に自衛隊もそこへと急行しているとみなせる。
冬夜は高位把握野で素早く状況を整理していく。明日奈に肩を掴まれ、軽く揺すられたが、それどころではなかった。
『ルプルン家全家臣に命ずる! 疾く近衛隊長のもとに参集せよ! 繰り返す、ルプルン家全家臣は疾く参集いたせッ!!』
おそらくは思念波通信の、応用であるのだろう。
言葉に続いて、ぼんやりとだが関東平癒の俯瞰図が送られてきて、その一点が赤く明滅している。
東京というよりも千葉寄りの海浜地区に、そのポイントはあった。
「七瀬く…ん?」
「行かなきゃ…」
ふらふらと歩きだそうとする冬夜を、明日奈が思わず拘束する。掴んだ腕を引っ張って背中から抱き寄せる。
「ふらふらじゃない! ダメよ休まないと!」
「それどころじゃなさそうなんだ…」
足に力の入らない冬夜の抗いなど、明日奈には痛痒にもならない。
そのまま連れて行かれそうになったところで、すぐそばにいた警官たちが不意に騒然となる。付近の有線電話から定時連絡を入れていたらしい警官のひとりが、本部からの緊急情報を持ち帰ってきたのだ。
「東京湾岸及び隣接自治体に非常事態宣言が発令されました!」
「…ッ!!」
明日奈が思わずというように冬夜のほうを見た。
彼の不自然な挙動と緊急情報の連動性に違和感を覚えたのに違いない。
冬夜はその問うようなまなざしを仕方なく受け止めて、
「ね?」
と小さく苦笑いをしたのだった。