ss 木嶋エミリの事情
あたしは木嶋エミリ。
友達にはエミリーって、略すどころか語尾を伸ばされてしまうのだけれど、父さんがアメリカ人とのハーフで、鼻は低いのに色白で目の色素も薄いから、名前も伸ばしたほうがそれっぽいらしい。
ちなみに帰国子女とか言うやつ。
《グレートリセット》前までは超大国、覇権国家といわれていたアメリカはとてもいい国だったんだけど、宇宙から来た魔女の魔法のせいで科学の力を失うと、あり得ないぐらいにあっさりと国土が広いだけの普通以下の国に転落してしまった。
精密な機械ほど動かなくなるのに、銃器はなぜかほとんどが使用可能とか、ちょっと片手落ちすぎだと思うんだけど。自由の名の下に過剰なまでに流通していたそれら護身用の銃器は、治安システムの崩壊後、すぐさま略奪者たちの凶器と化した。
ともかく祖父が経営していた農園が喰い詰め者たちに目を付けられて、しばらくは西部劇みたいな自警組織で抵抗していたものの結局は略奪し尽くされて、祖母の実家を頼りに日本に移り住むことになった。時期が早かったことも幸いして、入管が厳しくなる前の滑り込みのセーフだったそうだ。
ジュニアハイだったあたしは友達と別れるのは嫌と泣いて暴れたんだけど、そのあと急速に悪化した食糧事情で内戦状態になったアメリカは、移り住んできた宇宙魔女の一派が組した東部州連合が勝利するまで、人口が半減するような血で血を洗うような地獄になったらしい。
祖父母のグッジョブな判断に感謝である。
そして何気に身の危険にさらされてきた農園での最後の半年のおかげで、魔法に対し親和性を高めていたあたしは能力測定で見出されて、さらに半年後には個室のなかった祖母実家を脱出して下田の魔術学院の寮で生活するようになった。
家で片言に日本語を使っていたこともあって、こっちでの生活にあたしは瞬く間に順応した。
「《特別実習》の教官?」
国内で選りすぐられた子たちの中で、比喩でもなんでもなく血反吐を吐くような特訓の末に、学年3位にまで這い上がっていたあたしは、先生に呼ばれてそんな話を持ちかけられた。
持ちかけられたといっても、卒業に必要な『単位』をちらつかされての話なので、こっちに選択権なんてこれっぽっちもなかったんだけど。まあ人手不足で、各学年の平均以上の生徒はみんな強制出走となったようなので最低限の公平さはあったと思うことする。
まあ違いは、トップクラスの生徒はピンで行かされることぐらいだろうか。無事ミッションをクリアできたならば、苦手教科の単位を任意で補填できるというボーナス付きなので、漢字の苦手なあたしはすでにその『単位補填』を国語とか言う座学にぶち込む計画である。
「いいか、『獲物』を見つけたら、攻撃の仕方はこうだ」
派遣前には、全体で敵性アンノウンに対しての攻撃の仕方なんかのレクチャーがあった。魔法攻撃なら《電気魔法》なんて思い込んでいる一般人とは違って、あたしたち学院生徒はそれなりに『魔法』に関しての専門教育を受けてきている。世界に存在する『精霊子』を巧みにかつ効率的に運用して初めて魔法使いとして『有能』なのだということも知っている。
残念なことに地球人類の魔力……いっときに引き出せる《思惟力》の量はとても少ないんだけれども、宇宙にはその少ない魔力でも上位種族に対抗しうる人たちもいるそうで、武器を使った打撃に《思惟力》を乗せる、ゲームで言うところの『魔剣』っぽい戦い方をそこで教わった。
武器に《思惟力》をまとわせることで相手のシールドに浸潤させて、直接的な打撃を可能とする術技らしい。
系統としては、『主観魔法』というのに分類される技。
租界の外ではまだ眉唾扱いされている、グレーゾーンの技なのだけれども、この《特別実習》によってそのあたりの知識も一般世界に広がることだろう。
かくしてあたしは、関東圏にある一都市に教官として派遣されたのだけれども。
「…これってちょっとヤバげなんだけど」
学院で支給された『剣』を腰から引き抜くと、まわりの大人たちが動揺するのが分かる。
天朝国の騎士様が、万一の場合用に携帯しているという護身武器で、長さ20センチぐらいの、ベルトに直接ぶら下げたホルスターから引き出すそれは、刀身が謎の薄膜金属でできている。巻尺の要領で引き出すと同時に刀身として展開する。そこに魔力を込めるとまっすぐに伸びたまま鉄みたいに硬化する。
「なんなの、モンスター?」
おぼろげながら姿を現した怪しげな『落下物』が街に落ちてくるまでの経過は、あたし自身が逐一見届けていた。
そしてその一般人には不可視の『落下物』は、ビルの谷間でバウンドして間近にまで迫ってきたあとに、忽然とその存在が掻き消えてしまった。そして敵性アンノウンが姿を消した代わりに、いままで一緒に状況を追っていた特選部隊の少年が、変なメガネを日に輝かせながら必殺ストレートを食らったボクサーのように棒立ちのまま仰向けに倒れてしまった。
そうしてあたしの目は、七瀬冬夜というそのメガネ少年の額の辺りが、なんども強い光を発しているのを見た。それは紛れもなく、強い『精霊子』……この場合は明らかに強烈な《思惟力》が発された証拠だった。
同年代の学院生徒でも見たこともない、鬼教官であるワーハイト先生クラスの強い《思惟力》の発露だった。
「チビメガネッ! ちょっと!」
近付くのをはばかって足のつま先で突いていると、もうひとりの『有望なヤツ』、由解明日奈とか言う生意気そうな女がキッと睨みつけてきた。なんだよ不満があんならお前が介抱してやれよ、ったく。
それからしばらく、メガネ少年は岸に上がった魚みたいにピクッ、ピクッと痙攣を繰り返していたが、あるところで表情が劇的に動いて、あー、とか、うーとかうめき出した。
そこでいまだかつて見たこともないような閃光が少年の全身から発され……予想外の方向に……まったくなんともやっかいな方向に、状況が動いたのだった。
少年の身体から飛び出した光の塊のいくつかが、弾けるように街路に飛び散らかり……空中で目に見えない何かと絡み合うように細かな稲妻を発したのちに、幾体かの『異形』が姿を現した。
まさに『異形』……それはモンスターと呼ばれるべき何かだった。
「よっ…」
「妖怪が出たッ」
少し前に、リバイバル上映専門の映画館で見たような、ゼリー状のクリーチャーが目の前に現れた。
横断歩道脇のガードレールのところに蹲るようにしていたその薄墨色のゼリーは、輪郭が定まらないままに立ち上がり、はっきりとこっちの方を見た。
目のようにも見える黒い虚ろがふたつ。見るだけで何もしてこないのに、はっきりと憎悪だけは感じるその眼差しに、魔剣を手にした指に力がこもる。
警戒の声はそこここでも起こっている。
「あっちにもいるぞ! 緑色のヤツだ!」
「射線上から学生を避難させろ! まだ不用意には撃つな!」
見れば小洒落たレストランの脇にある、産廃の収拾ボックスに粘るように張り付いている緑色のクリーチャーの姿。どうやら中の生ゴミでも貪り食っているようだ…。
《泡卵》だったものの一部が、現地の何らかの存在と受肉結合した結果が彼ら異形のものであり、十分な狙いも定めぬままメガネ少年の体内からはじき出されたそれは、ほとんど反射的に《対象》を選択して、存在化を成し遂げた。
結合の《対象》となったのは、人の五感では捉えられることのなかった、現世と重なり合う次元でわだかまっていた精神体であったのだが、むろんそのような存在を認めていない地球人には、そのモンスターたちの『出現』の原因など想像の外にあったろう。
次元の壁をまたぎ超えることが可能となった宇宙人たちにとって、そうした精神体は認知可能なものであり、質量どころか、面(2次元)も点(1次元)も内包しないそのような存在は、彼らの次元論的に『1次元以下』……『コンマ以下級低レベル精神体』、あるいは『0次元個体』と称される。
定義可能であるがゆえに、先進の宇宙人社会では、心霊現象も真面目に取り扱われる学問の一体系として文明の血肉となっている。その技術の極北には『操霊術』という魔法技術まで存在するのだが、むろん魔術学院の生徒であるエミリであっても、2年そこそこの教育では知りようもない話であった。
「撃ちます!」
国の調査機関から人類の物理兵器が有効かどうかを調べるミッションでもあるのか、やたら戦意の高い警察の重武装チームのリーダーが、エミリに目配せをして間を置かず自らショットガンを発射した。
弾の一部が収拾ボックスに穴を開けた以外は、おおむね緑色のクリーチャーに命中、見かけ通りに柔らかそうなその体組織をごっそりと吹き飛ばした。
「効果確認ッ! 向ってきますッ」
攻撃されたことで闘争本能を刺激されたのか、クリーチャーが歩道側にぼてりと落ちた後、意外な素早さで攻撃者たちに接近していく。ずるずると身を引きずりながら近付いてくるクリーチャーに、チームの同僚たちが射撃を集中させる。
おいおい大丈夫なのかとエミリが見ている前で、銃撃をバリアっぽいもので弾き返す敵に接近を許してしまう重武装チーム。あ、動揺しだした。
そりゃ銃器がもっと効いてりゃ、悪さするチンピラ宇宙人にだってもっと簡単に対処できるでしょうが。
盾でクリーチャーと押し合いになっている彼らの悲鳴を聞きながら、そっとクリーチャーの背後に忍び寄って魔剣を構えるエミリ。できるだけの《思惟力》を込めて振り下ろした必殺の一撃であったのだけれども。
(…ちっ。通らないわ)
《思惟力》の不足か、クリーチャーの本体に刃が少し届いた程度で止まってしまう。彼女の《思惟力》数値36では、敵のシールドを紙のように切り裂くのは困難であるらしい。
あ、やば。
こっちに身体を向けたクリーチャーに、ざわっと全身に鳥肌が立った。
無理ゲーの予感に、頭から血の気が引いていく。
反応のない特選部隊をチラ見すると、のんきに倒れたままのメガネ少年を介抱する生意気女と、その様子を呆然と眺めているほかの子たちの姿が目に入る。
数値36とトラの子の魔剣が通用しないとなると、いまのところ対抗のしようがない。
幸いなことに重武装チームが別武器を試しだしたことでヘイトを持っていってくれている。
不安に高鳴る鼓動を鎮めながら、手持ちの駒での戦い方を検討する。《思惟力》を仲間で集めることができるのなら、魔剣の出力不足をカバーできるんだけど…。
漫画みたいに、気持ちをひとつにあわせてなんて、シチュ的にちょっと気持ち悪いんだけど。魔剣を持ってるのは自分だけなのだから、この思い付きを実行する中心には自分がいなくてはならない。
ちょっ、生意気女、さっさとこっち来て構えなさいよ。敵が近づいてきてんじゃないの! えっ、なに? そのメガネが目を覚まさないとなんだっていうの?
ああ、もう!
「あたしの単位のために起きろぉぉ!」
イラついて頭突きかましてやったわ。




