005 飛行魔法
人が空を飛ぶ。
それはまさにひとの思い描く『魔法』のテンプレートなあり方であったろう。
「そんな簡単に言われても……下田の本家の騎士様たちは、気持ちよく空をかっ飛んでいくらしいですけど。たしか東京~大阪間が新幹線よりも速いんでしたっけ」
人類と最初に会見したフィフィ王女が、日本政府代表団の前でふわふわと浮いて見せたというのは有名な話だ。(※まさに冒頭回)
魔法で空を飛ぶという夢想を誰も抱かないなどということはむろんあり得ず、人間夢見がちな年頃には一度はその術技を試したことがあるに違いない。当然ながら冬夜にもそんな時期があった。
(…人の身体を浮かせるには、《思惟力》の出力が圧倒的に足りなすぎるんだよな、地球人ってやつは)
《思惟力》値10未満では当然ながら人の身体など浮きはしない。小石を飛ばす程度の《重力子》しか支配できないのだから当たり前の話である。
それをまあ簡単に言ってくれたものだ。そりゃ天朝国人なら簡単に飛ぶこともできるだろうけれども…。
「なにも難しいことなどなかろう。わらわが引き出したおまえの《思惟力》は、その天朝国の平騎士並まで上がっておるのだぞ? なんでそれで飛ぶことが難しいのじゃ」
「…っ!」
そうだった。
すっかりと考慮の外に置いてしまっていたのだけれども、いまの自分の《思惟力》は天朝国人の平騎士並の140。飛べないはずはなかった。
かくして裏庭の狭い訓練場で、飛行魔法のお試しが始まったわけなのだが…。
「あっ、飛べた…」
特に苦労するわけでもなく、冬夜の身体は空中へと浮かび上がった。
理屈は簡単だ。自分の身体にかかっている《重力子》のくびきから、半分以上を逃げさせる……下向きの《重力子》の過半を上向きにするだけで、この地球上での身体の重量は相殺されて0以下にできる。
SFで言う『反重力エンジン』みたいなものか。《重力子》の向きを反転させることで浮力が発生する。
「みろ、簡単じゃろ」
「………」
「ちなみに飛ぶ方向の調整もちょろいものじゃ。掴んだ《重力子》の向きをそっちにしてやるだけだしの!」
うわー。簡単だわたしかに。
あれほど渇望した飛行魔法ができちゃったよ。
浮くことができると分かった時点で、もう冬夜の高位把握野は実験モードに入っている。自身の体重37キロにかかる《重力子》の半分、18.5キロ分以上のそれを掌握下に置ければ、実質的に飛行魔法は可能となる。おそらくは体重が増えるほどに、飛行状態に至るまでの《重力子》の必要掌握量が増えるものと予想される。
(…身体が浮遊し始めるのに、手持ちの《思惟力》の3割ほどが持っていかれる……つまりはぼくの場合、飛行魔法が成功する分水嶺が『42』だったわけだ。《思惟力》ひと桁で飛ぼうと思ってもそれは無理だな)
《重力子》の掌握量を増やしていけば、上昇スピードが増していく。身体にかかる《重力子》を100%掌握すると、上昇スピードはまさに『自由落下』のそれと等しくなる。
当然ながらそのときのスピードは、時間とともに加速していく。仮にその『落下』方向を水平に持っていけば、それは単純に推進力となり、新幹線のスピードぐらいにはすぐになるだろう。
人間やめてしまっていろいろと悩むこともあったけれど、自由に空を飛べるという一点だけで全部許せる気になった冬夜であった。その顔はいままさにワクテカであり、夕飯の支度も放り出しての1時間あまりの空の散歩は、上司ふたりの顰蹙を買い捲ってしまうこととなったのだった。
***
さて。
次の日の朝はこともなげにやってきて、『厄災』が降ってくる当日となった。
登校時間に砂姫姉に捕まり、物陰でくんかくんかと何か大事な成分が大量にドレインされたあと、やたらとスキンシップを強要されつつ校門をくぐった。
そこですでに待ち構えていた実技の小倉先生に捕まり、例のごとく車に押し込まれて選抜組の集合場所にまで運ばれる。そこは街の中心付近にある市役所の駐車場で、5中学3高校2大学の選抜生徒たち500人余が集められ、学校ごとに整然と並ばせられていた。
なかなかドキドキする雰囲気である。地方で行われるスポーツとかの地区予選会場みたいな雰囲気かもしれない。すでに集まっていた同中のナンバーズたちが体育座りして落ち着きなく周りをうかがっている。
「やっと来たわよ、七瀬くん」
茶髪ボブの副会長に見つかって、声を掛けられた。
たくさんの学生が並んで座っている隙間を縫うように近づいて、同中の列の最後尾に座ろうとしたところで、最前列にいた会長の由解明日奈に手招きされる。若干気後れしつつそちらへと進むと、そのまま手をつかまれて大人たちが集まっているほうへと連れて行かれた。どうやらそこにさらなる選抜組、『地獄部屋メニュー』の仲間が集められているらしい。
大人のひとりと話し込んでいたでこっぱちツインテの魔術学院生、木嶋エミリが彼に気付いてにやりと笑って見せた。その瞬間にどっと精神的な疲労を覚えて冬夜は顔を地面に落とす。
木嶋エミリ配下の特選部隊は全員立ったままでいる。でこっぱち隊長の手振りで皆が集められたタイミングで、なにやら偉い人っぽいおっさんおばさんらの挨拶が始まった。
市長に教育長、そのあたりの町の安全、生徒の命尊重!的な話があり、それを受ける形で拡声器を手にしたのは見覚えのある町の警察署長だった。
「…あそこで署長さんが話してる通り、ここの警察署のトラの子の重装備チームがわたしたちに帯同の形でついてきてくれるわ。ショットガンと口径の大きい銃で援護してくれるらしいから、まあ少しは当てにしましょう。…でもあくまで『対象』と直接ぶつかる戦力のメインはわたしたちだから、気合は入れておくこと。いいわね」
彼女は派遣の形でこの街に来ているため、宿泊は例の大学の合宿所で継続していたのだろう。薄い布団での連泊で凝ったのか、肩を回しながら気にしたふうに揉んでいる。
空から降ってくる校長言うところの『悪いもの』は、基本目には見えないらしいとのこと。(※ルプルン家内周知情報として、『泡卵』と呼ばれるモノが現地生物と『結合受肉』して始めて肉眼で確認可能となると教えられている。一般の学生には妖怪的なものが突如現れるというイメージで認識されているようだ)
ゆえに、伝えられている《合同実習》の段取りはおおまかにこうなっている。
【第1段階】市内各校区の『面』を近隣の『一般学生』たちが分散して担当し、異変を確認したら自身の安全を確保しつつ、携帯する発炎筒でまわりに報せる。
↓
【第2段階】その煙を頼りに、付近に待機する比較的有力な『選抜組部隊』がまず真っ先に対応に向う。
↓
【第3段階】最後に木嶋エミリ率いる『特選部隊』が駆けつけて、『対象』の最終対応を行う。
まあ目に見えない相手なのだから人海戦術で見敵しなくちゃなのだけれども、普通に考えてなんで子供である学生がやらなくちゃいけないのだろうと素で首をひねってしまう。まあこの国の新しい魔法時代を担う世代として当てにされまくっているのだろうけども。
そうして偉い人たちの挨拶が終わり、その他大勢の選抜組の移動が開始された。
その出発に際して、慌しくも大雑把なチームが編成されていく。すでにチーム割されているらしい大人数の大学生たちが、高校から数人、中学から一人と、適当に引っ張り集めて即席の『選抜組部隊』を作っていく。第2段階の広域を担当する、だいたい10人前後チームだ。
「あの人たちがまず『対象』を捕捉包囲して、帯同する警官と協力して時間稼ぎをしているうちに、わたしたちがその現場に駆けつけるの。当然『対象』をぶっ倒す主役はわたしたちよ。今回は天朝国の騎士団は動かないことになってるから、わたしたちが負けたらその時点でこの地域はもう終わりって感じね」
「…ほんとにオレたちだけでやんなくちゃならんのか」
疑問の声を上げたのは特選部隊の唯一の大学生、渡来さん(19)だ。ラグビー部の人らしく、プロレスラーみたいなガタイをしている。
「学院ではそう聞いたわ。人類がもう一段階上に進むためには、適度に『厳しい現実』を体験、理解する必要があるそうなのよ。国がまともに残りすぎて、外国と比べてこの国の人間は生き方がぬる過ぎだから、あえて今回は助けないんですって。…まあ概ね正しいと思うから、あの人たちは思ったようにするんじゃないの。だから騎士様は動かない……そういうことだと諦めなさい」
「こんな危険な訓練、子供がやるべきことじゃないと思うんですけど、隊長は割りと当たり前に受け入れてしまってるんですね」
「…あんたたちは知らないだろうけど、うちの学院じゃ、もう現地民の命なんて軽すぎて泣けてくるぐらいの超過酷なスパルタ教育をびしばし叩き込まれてんの。死ぬほどやばい訓練を、あのひとたち真顔で強制させるのよ。おかげでわたしも能力がぐんと伸びたけど」
魔術学院の闇を垣間見て、全員が引いた。
ちなみに魔術学院は租界であることを理由に全寮制であり、最初の1年は帰宅が許されないことになっている。そういう理由があるのなら軟禁せざるを得なかろう。
「ピンチになると、限界だと思ってた底板がぶっ壊れるわよ。火事場の馬鹿力ってヤツ。それを護衛つきで体験できるんだから、あんたたちラッキーなのよ」
木嶋エミリのどや顔に、頷いた仲間は皆無であった。