ss その頃の天朝国人たちは②
「…それって、けっこうな『大波』なんじゃないの」
「このまま現地民たちに任せたままだと、かなりの被害が広がりそうですが、お考えにお変わりはございませんか?」
恭しく首を垂れたままの老騎士に、フィフィ王女は水色の毛先を指でつまみながらどうでもよさげに答えた。
「ないわね」
「さようでございますか。姫様の考えにお変わりがないのでしたら、このじじいにこれ以上言うべきこともございません。…それではこれにて」
「ロム・ルス卿。フィフィはもう15歳、ちゃんと大人で、自分でものを考えられるのよ。いつまでも子供扱いしないでくれるかしら?」
「…これはこれは、失礼いたしました。年寄りは出しゃばらず引っ込んでいるのが世のためでしょうな。今後気を付けますゆえ、ご寛恕くださいますよう。では」
「…ちょっとじいや。言いたいことがあるならはっきり言ってちょうだい。じいやがそうやって遠まわしに言ってくるときって、たいてい何かある時だもの。何が問題でどうなるのが心配なのか、はっきりと言っておいてくれないと気持ち悪いんだけど」
そう呼び止めて、フィフィは執務机の脇にある『宝珠』に手をかざした。
落ち着いた調度でしつらえられた彼女の執務室には、無機的な情報端末などは存在しない。その『宝珠』は母船の思考核、『王級主観器』を束ねる《ク・トール》につながっていて、そこから届く精霊子が彼女の脳内にある高位把握野に情報を受像させる。
当然のように思考を分割し、その情報を読み解きながらフィフィは眼前の老騎士に対応する。
「いちおうほかの姫巫女たちにも聞いてみたけど、みんな住民に任せてみるそうよ。ならフィフィだってそうしてもいいじゃない」
「…では失礼ながら」
《掌珠》12卿の一人、序列2位のロム・ルス卿はゆっくりと居住まいを正し、ようやく幼いころから守りをしてきた少女に直に目線を向けた。
「姫様は他の巫女たちのやりように足並みをそろえるつもりなのかもしれませぬが、わがアドリアナ家と他家とでは《厄災》における危険度が違いまする。その『差』を軽んじてことを迎えれば、予想外の被害に頭を抱えることになるのではないかとじいは愚考しております」
「…でも、どの子もそんな『被害』を予知なんかしてないんだけど」
不満げに目を細めつつも、フィフィは老騎士の言を精査すべく《ク・トール》に諮問している。
そして老騎士が指摘する危険の『根拠』に行き着いたところで、びくりと秀麗な眉を動かした。
「『差』とは、まずこのわがアドリアナ家が盟約を結ぶ『日本国』の現地住民の開明が思うように進んでいないこと……他地域の平均的《思惟力》との乖離がひどく、戦力として一緒くたに扱うのは危険と思われます。そしていまひとつは……こちらの方がより重大かと思いますが……その『邂逅』の瞬間の、いわゆる『星のめぐり』が最悪なことですな。《泡卵》の波濤到来時に、この国を含めた一帯が、不幸にも惑星の自転の周期から見て、おそらくは直上から受け取ることになるということです」
「………」
「最終的には、わがアドリアナ家の力をもって《厄災》自体は払いのけることができるでしょうが……この国にはおそらく壊滅的な被害が広がるものと…」
「……ちょっと、これはまずいわねえ」
「この惑星上に到達する《泡卵》はおよそ100前後と推定されております。そのうちの80%がこの地域一帯に飛来することになるわけでございます。深淵の大神……その分霊が80となると…」
「トール。この国が動員しうる有効戦力を計算して。攻撃がぎりぎり通る足切りラインは10と仮定して」
即座に流れ出した高位把握野内の情報に、フィフィは椅子にきちんと座りなおして息を詰める。
「国内に《思惟力》が10以上の個体は……3000? 数だけはまあまあだけど、最高であの『48』さんなのよねぇ……多勢で押し切るにしても一撃が足んないかぁ……明らかに戦力不足よねぇ…」
「姫様?」
「分霊1体に30人くらいでかかったとしても、赤ん坊が大人に群がるようなもんか……ちょっと無理すぎるんだけど……おっかしいなぁ」
「何かおかしなことでも?」
「いやさあ、こんな無理っぽい状況なら、フィフィの鋭い予知夢に引っかかると思うのよねー。…でもいまんところフィフィはそんな嫌な感じ、ひとつも覚えてないんだもの」
「…それは」
「あのさあ、宗家の姫巫女が分家の子に劣るわけないでしょう!? フィフィがなんもなくて見過ごすなんてありえないの! 嫌な感じがなかったから調べてなかっただけで、さぼってたわけじゃないのよ? 降ってくる分霊だって、多くて10ぐらいだと思ってたし」
とんとんと爪の先で机をたたいておのれの過失を認めようとしないフィフィに、老騎士は小さくため息をついた。
「きっと、たぶん、そのままだって何とかなっちゃうのよ。なんかの要因で、予定調和的に!」
「予知夢は過信すべきでないとじいは教えたはずですが…」
「それじゃあたぶん、このじいの進言も予知夢に織り込まれてたのよきっと! ここでフィフィが対策を検討して、収まるべくして収まることになるワケ! …分霊の到来まであとどのくらいだったっけ」
「…あと半日ほどですが」
「まだ対応する時間はあるわね。…うーん、たしかに放置するのはちょっと心配だし、下準備ぐらいならしてもいいかしら。…じいもどうしてもっと早く言ってくれなかったの」
「姫様にもお考えがおありだと思いましたので」
「多少の死人ぐらいはもちろん計算してたわよ。この国の住人に何が足りないって言ったら、そりゃ『生に対する危機感』なんだから。それなりに阿鼻叫喚することぐらいは計算のうちだったけど、死に過ぎはちょっと今後のことを考えても困るわ。現地民の開明作業がゼロに戻っちゃうし、この国が払ってくれる安全保障予算が恨まれて減らされちゃうとかも困るし」
「最悪、《泡卵》の降下中に《掌珠》騎士団が総力を挙げて出撃すれば、地表に行き着く前にある程度の殲滅も可能かと思いまするが…」
「ある程度って、どのくらい?」
「8割ほどの間引きなら…」
「8割か……残りは20体弱。ちょっと多めだけど、そのぐらいなら何とかなるかしら。分霊の予想強度はどのくらいなの、トール」
流れ込んでくるいろいろなものに、フィフィのぷっくりした唇がムニムニと動く。自身の忠告に耳を傾けてくれる少女の素直さに、老騎士は白い豊かなひげを嬉しそうに撫でている。
「50~80? 平均は? 最大だとどのくらいなの」
ほとんど独り言のようにつぶやいているフィフィだが、むろんそれは思考核の《ク・トール》相手の会話である。
「最大で300? ちょっとそれは盛りすぎじゃないの!? えっ、結合受肉する相手次第? それってほんと可能性だけの話じゃない。この星にそんな異常進化した個体なんかいないってば……えっ、いるの? マジで?」
ひとしきりの問答が終わって、腕組みして押し黙ったフィフィ王女。
「最大で《思惟力》300の分霊体ですか。それは大事ですな」
「そんな進化体がこの星にいるなんて聞いてないんだけど。もしもそんなのと《泡卵》が結合受肉とかしちゃったら、騎士団でももてあましちゃうかも」
「そういうのがたまにおりますな。土地で神体扱いされる長寿個体や高次思念体を降ろす『神器』の質に優れた個体が」
「まあ《泡卵》の受肉なんて偶然の要素が強いから、そんなのが飛び出してくるのは奇跡みたいに薄い確率でしかないし。悪い予知とかはないんだから、何とかなるんでしょ。何とかなるわよきっと」
「…もしやのときは、この老体がこの身に代えましても」
「300くらいなら、じいやならなんとかぶった切れるでしょ。まあそうなったら任せるわ」
「御意に」
見合った少女と老騎士は、近しいものに向ける柔らかな笑いを交わした。
少女が物心ついた時から共に過ごしてきたふたりである。
「…ところで、最近言葉がお悪うなりましたな、姫様」
「………」
はっは、と笑う老騎士に、少女はぴたりと押し黙ったのだった。




