【秘密のシンデレラ編】 序章
この地球に、のっぴきならない事態が迫っているらしい。
先日名刺をもらった公安の部長さんが別のお役人を伴って家を訪れて、いろいろと書類を渡された。痩せぎすなお役人のおっさんのほうは終始緊張したように正座していたのだけれども、プレゼンテーションの技能は優れているようで、手元資料だけであのルプルン家首脳陣に事態の内容と依頼の詳細を過不足なく理解させることに成功したのには素直に感心した。
「…その際は、お手数をおかけしますがご協力をお願いいたします」
「まあ、そういうお約束ですので」
黒髪の愛らしいメイドにふわりとお願いを受諾されて、ふたりのおっさんはようやくほっとしたように冷めてしまったお茶を口に運んだ。
「些少でありますが、土御門のほうから預かっておりますものをお納めください」
お役人が携えていた紙袋を渡してくるので、その中身をまず確認する。
え、ひよ〇?
冬夜は首を傾げつつも、その菓子折りが未包装であることに気付いた。ちらりとおっさんらを見て、ここで確認することを暗に求められていると察する。
ちゃぶ台の上で取り出した箱を開いてみると、28個入りの真ん中あたりの菓子がなくなっていて、代わりに分厚く膨らんだ茶封筒が入っていた。
えーっと。
これってたぶんアレだよね。…って、カグファさん、さっそく菓子に手を出すのはいただけません! ヘラツィーダさんも付き合わないで!
「『公館』開所にいろいろとご入用でございましょう。存分にお遣いくださいと土御門が申しておりました」
「………」
300万入ってました。
えっ、これって賄賂?
「…けっして後ろ暗いものではございません。下田のアドリアナ家とも治安維持協力費の名目で国から応分の費用を定期的にお支払いしています。今回はあくまでご挨拶代わりということで、土御門個人からのものでありますが、いずれこの『ルプルン家公館』名義で銀行口座を作っていただければ、公費としてお振込みいたします」
闇の世界が垣間見えた。
なるほど、宗家の騎士たちが勤勉に治安維持協力をしていると思ったら、からくりはこれか。あれだけの家臣団がいるのだ、食料品や生活物資はどうしても必要になるだろうし、その調達資金は入用だろう。
先例があるのなら、まあいいか。
札束の現物を初めて見たなー。けっこうずっしりとする封筒を取り上げて、中を覗き込むと薄黄色の紙束の側面が見える。さすがに取り出してまでは確認しない。
現在七瀬家は……ルプルン家仮宮であるこの建物は、100スコーンの絶対王土とまでは言わないものの治外法権の結界魔法を備えた『ルプルン家領扱い』というものを得ている。各国大使館がそうであるように、その施設が専有する土地は当事国の法が適用される『在外公館』、いわゆる『領事館』というやつだ。ごくごく小規模な『租界』扱いになったのだと思って欲しい。
いまここでやり取りされている金銭の授受がどれほど後ろ暗いものであったとしても、ルプルン家の法理が許容を示せば即座に合法であるとすることができる。
(…それでもこの土地は厳然とばあちゃんのものなんだけどね。土地所有権はあくまでばあちゃんで、ルプルン家は『店子』にしといたし)
国土交通省のお役人が確認してきたので、その旨くっきりはっきりとさせておいた。むろんカグファ王女たちは知らない。七瀬家の権益は黒髪のメイド宰相によってがっちりと守られていた。
七瀬家の土地建物をルプルン家が賃貸しで入居し、その上で日本国から『在外公館』としての地位を確立した格好だった。
天朝国の租界がすでに下田にあるので、大使館という扱いではなく『領事館』としての扱いになったのは計算外であったのだけれども、納得できる落着点に収まったと冬夜は評価している。
茶封筒を元の位置に戻しながら、冬夜は震えそうになるおのれの指に苦笑いする。そのわずかな動揺に気がつかないほど、おっさんたちは鼻の下を伸ばして彼の『美貌』に目を吸い寄せられてしまっている。
さて。考えを整理しておこう。
今後自家勢力を増強させていくつもり満々のカグファ王女の野望を考慮し、その活動に対する警察の掣肘を防ぐ上でも外交官特権は必須であると判断したのだけれども。カグファ王女率いるルプルン家が公的に外交官特権を得ることで、その二次団体である元『七つ髑髏』の面々もその公館付き武官として動かしやすくなるし、最悪、判断をミスって存亡の危機に立ったときも、そのアンタッチャブルな法的バリアを最後の防波堤役とすることができるだろう……七瀬冬夜個人の暗黒歴史的情報秘匿も含めて、最善に近い体制を準備できたとは思っている。
それにルプルン家が面子を重んじ100スコーンの絶対王土をあくまで目指すとするのなら、隣接の土地を金銭などで取得していくことで自助努力的に『公館』の敷地を拡張していく余地も用意されている。まあ途方もない費用がかかるのであくまで可能性の話だけれども、面子面子うるさい主従を黙らせられたので放置気味にそちらも良しとしておく。
この現況を作り出した後に、日本政府からさっそくアプローチが始まったわけだ。ルプルン家が得た利益の対価がいかほどのものになるのか、これからそれらが明らかになっていくことだろう。
「それではのちほど回線を引く業者がやってまいりますので、ご協力お願い申し上げます。非公式ではございますが、こちらと総理官邸は直通電話で結ばれることとなります。いろいろと無理なご相談もいたすこともあるでしょうが、今後ともどうかわが国とよしなにお付き合いくださりますよう」
日本政府は……土御門正造は、どうやらルプルン家を丸ごと取り込むつもりのようだった。人数の少ない斜陽の王家ならば与し易いとでも考えたのか。
ここで投げ与えられた300万というお金もそうだ。下田の宗家を動かすには国家レベルの予算が必要だが、小規模なルプルン家ならば大げさにいえば首相個人の私費程度でなだめすかせられると判断されているわけである。
業腹なことだが、間違ってはいない。明日の食費にも事欠くルプルン家にとって、300万は目がキラキラと輝いてしまうほどの大金であった。
ふたりの役人がルプルン家に提案したこれからの関係は、カグファ王女への宇宙外交担当大臣付きの顧問就任であり、ヘラツィーダさんへの警察外郭団体の主要ポストへの就任依頼であり、黒髪メイドに対しての政府広報ポスターモデル起用の打診であった。
広報ポスター云々は……完全スルーで捨て置くとしても、なかなかの癒着促進ぶりであり、各報酬のほうも年収で家が建ってしまいそうな上級国家公務員レベルの高額だ。それも最悪名前貸し程度でいいとか、そりゃ明らかに利益供与だろと突っ込みたくなるような、気前のいい税金の無駄遣いっぷりに頭がくらくらするほどだった。
そして最後に交渉された、官邸との直接回線を引いてもらいたいという件…。
(互いに利用し合うことは約束したことではあるんだけど…)
先々の心配が思い浮かぶほどに思考が先走ってしまう。
直通電話って、どんだけ秘密交渉するつもりなんだあの腹黒狸。
ふたりのおっさんがしばらくして帰った後、待ち構えていたように業者の群れがわっとばかりにやってきて、あっという間に配線工事を完了。彼らが撤収した後には、七瀬家の玄関近い廊下の一角に、固定電話機が2台並ぶこととなった。
もともとの固定電話に並んで、官邸通話用の電話器。
こちらの直通電話は交換所を呼び出す必要がないので、手回しベル用の取っ手がついていない。
上のふたりにひよ〇が食い尽くされる前にどうにかひとつだけ分捕ってもそもそと食べていたのだけれども、その一個を半分も食べないうちにさっそく直通電話機が鳴った。
電話に誰が出るのか目線での攻防が数秒、結局冬夜が食べかけのひよ〇を放置して出ることとなった。受話器の向こうは、やはりというか日本国首相、土御門正造だった。
「お忙しそうなところ申し訳ないのですが、さっそくご協力をいただきたい案件が発生いたしました」
全然申し訳なさそうでない土御門の言葉に、冬夜は表情を曇らせる。
何か無理難題が降って湧いてきそうだと身構える彼に、予想違わず大仕事が舞い込んできたのだった。
「日本国の『未来』をお救い下さい…」