036 メイド宰相③
土御門正造は、いわゆる『タカ派』と呼ばれる男であった。
《グレートリセット》後に発生したいくつもの難局を、どうにかこうにかこの国が乗り越えられてきたのはこの男の決断力の賜物であるといって過言ではなかったろう。誰もが思考停止状態で右往左往するしかなかった状況で、彼は国内経済の息の根が止まる前に、『タカ派』ならではの豪腕でその命脈を保つことに成功した。
産業が壊死しようとしている極限状態でも世迷言を吐き続ける野党や反対派閥を数の力でなぎ払い、ついには『復興電源特措法』を成立させた。
そうしてかろうじて息を継ぐことができた国内経済に、彼は次々に生命維持装置に等しい法案を通し続けた。
国民を飢えさせぬために地域にだぶついた特産品を強制的に移動させる『駅伝流通促進法』……農村でだぶついた農産物を国が買い上げ、移動距離が近い近隣自治体に人力で輸送、そこから玉突きのように無理やり余剰させた食料を外側へと連鎖的に吐き出させる法案は、さながら心肺蘇生法のようだと言われた。
鉄道網の復旧実験に電源を優先的に回し、長大な貨物列車が国内を走り回るようになった『改正鉄道事業法』等々。
有能な政治家であることは間違いなかった。
退行したメディアの調査がたしかであるなら、支持率も高いようである。
「なるほど、新たな租界ですか…」
食事に手を付ける様子もなく、お茶を口にしていた土御門は、白髪の混じる眉毛を眉間に寄せて、苦い顔をする。年輪を刻んだ皺の深さは、実年齢の60歳よりもずいぶんと上に見える。
「下田ですら4000億もかかったというのに、今度は街中に欲しいと」
「はい」
「…ご冗談ではないようで残念です」
「カグファ王女殿下のご意向です」
ふうっと、土御門は息をついた。
じろりと見つめられて、冬夜はそれを受け止める。黒髪メイドの落ち着き払った様子に、土御門はわずかに肩をすくめた。
「…わが国とそちらのフィフィ王女殿下との間で結ばれた条約の内容については公知されていますが、そのときに両者の密約と申しましょうか、取り交わされたもうひとつの確認文書があることはご存知ですかな」
来るだろうとは思っていたのだけれども、やはり存在した『知らない事実』。
外交というのは、公表される表の部分と、そうでない裏の部分とがあるものである。機密というヤツである。
動揺はしたけれども、冬夜はそれでも取り澄ました様子を取り繕うことに何とか成功する。高位把握野が議論の先を常に類推しているために、突発的な衝撃とはならなかったためである。
「貴国との友好を踏まえて、一定の土地を提供することには同意いたしました。その土地の提供が友好条約を結ぶ主要な条件の一つでありましたので、わが国としても断腸の想いで受け入れたわけです。…その時点で、わが国はそれ以上の追加要求がなされないよう、事前に取り決めをさせていただいたのが、その『密約』に類するものとなります」
「………」
「貴国もその取り決めに同意されています。それ以上の土地は求めぬし必要もない、と」
そう言葉を結んだ土御門の目は、冬夜の両隣にいるカグファ王子をとヘラツィーダさんを見、そして目の前の黒髪メイドの秀麗な面差しを映した。
「残念ながら、カグファ王女殿下のご要望をお聞きするのは現状では難しい、としか申し上げることができません。…『鼎の王』に連なる分家筆頭を自認されるルプルン家の現在の『苦境』にはご同情するにやぶさかではないのですが」
そうして続いた言葉に、あからさまに込められたメッセージを、冬夜はわずかな驚きとともに受け入れた。
日本政府は、もちろんのことながら下田租界、王母船にある宗家フィフィとの間にしっかりとしたパイプがすでにある。日本政府が問い合わせをすれば、その程度の情報ならばあっさりと投げて寄越すことだろう。
やられた、と言うべき場面なのだろう。警視庁でたらいまわしにされていたあの無駄な時間が、この情報収集に当てられていたのかと思えば駆け引きとして納得もする。
土御門正造は、何の用意もなくこの場に臨んではいない。交渉のカードを何枚持っているのだろうかと思う。
(ならば)
こちらの『弱み』だと思っているカードを、まずは一気に踏み込むことで逆手にとってみようか。冬夜の高位把握野が、最初の警察署以降、相手から発された言葉を一言一句まで漏らさず蓄積し、分析を続けている。
日本という国が、根本的なところで天朝国に対して常に弱含んでいることは、警察幹部たちのやや卑屈な態度と言行で察せられている。「現状では難しい」と口にした土御門の真意をどのように解釈するかで、この会談の成否が分かれるのだと理解する。
「…そのような『密談』があるなどとは、残念ながら当家は存じ上げておりませんでした。なるほど、それならば貴殿が難しい、と言われるのも道理でありましょう」
冬夜は、まずは状況を受け入れた。
それにはカグファ王女も驚いたようで、レンコンの煮付けを口に入れたまま噴出しそうになっている。しつけが行き届いているものだから、家臣を叱咤すべく咀嚼を急いでいるのだが、それを飲み下すよりも冬夜が爆弾を投下するほうがひと息早かった。
「…もっとも、フィフィ王女殿下を擁するアドリアナ宗家とルプルン家はそもそも別体。あちらと秘密裏に交わした約定など、知らぬのは当然でありましょう。『鼎の王』に連なる王家は8つの系譜に分かたれて永い時を経ております。宗家には宗家の、分家には分家の理非があります。…こたびの絶対王土100スコーンの割譲要求は、ルプルン家独自の要請であり、宗家のものとはまったくの別件である、とご承知いただきたい」
天朝国王家の内情など、ちらりと聞いたぐらいの知識しかなかったものの、ルプルン家のハブ扱いなどを見るに、けっこうそんなものなのではないかと想像して言ってみたのだけれども。
もぐもぐを止めて、カグファ王女が少し驚いたような顔をしているので、当たらずも遠からずだと判断する。そのとき脚がちくりとして、ヘラツィーダさんがこっそり抓ったのに気付いた。
宗家とルプルン家は別体。だから約定もノッカン。
さあこれで『密談』カードを蹴り飛ばしてやったのだけれども。
敵もさるもの、少しだけ目を見開いたものの、すぐに表情らしき気配は消えてなくなった。
「…貴国の内情についてはわが国もあまり把握してはおりませんでした。なるほどさようで。貴家はフィフィ王女殿下の宗家とは距離を置いていると」
「この星に降嫁した『託宣の姫巫女』のなかでも、いろいろとあるのです。そうして姫巫女同士が互いに競い合うことで、現地住民の成長がより促されるのだとも言えましょう」
「競争原理ですな」
「そのようなものです。…世界各地に散ったほかの分家と今後接触することもありましょう……そのときに各分家の『思惑』が存在することを知っているか知らないかでは大違いです。日本国首相である貴殿におかれましては、まずは手始めにルプルン家の『思惑』を読み解くことから始められてはいかがでしょうか」
そこで冬夜はにっこりとあざとい笑みを向ける。
うら若い美少女の作り笑いは、そうだと分かっていてもバカな男たちを誘引してやまない。その魅惑の魔法にも等しい力に、土御門は少しだけ居住まいを正して、「それも天朝国の魔法のひとつですか」と口にした。
「…さあどうでしょう?」
「………」
美人って、ほんと簡単に人を惑わせられるなあ。感心するわ。
そうして場の空気がこちらに傾いたのを見取って、冬夜は再提案する。
「ここで便宜を図って、当家に恩を売っておく、というのも手だとは思いませんか」
「………」
「単一国内に王家がふたつもあるというのは、この世界で貴国だけです。…さきほど貴殿がおっしゃられた『競争原理』というのをここで考慮なされてはいかがですか? 天朝国人は生物としてのスペックがあなたがた地球種とは隔絶した存在、国同士付き合っていく上で、相手に対抗しうる『手段』を持つか持たないかで、外交の自由度が格段に上がるとは思いませんか?」
「…その『手段』が貴家との誼だと」
「数は少なくとも、当家にはあなた方が喉から手が出るほど欲しい、《掌珠》12卿にも比肩し得る『駒』があります。そして『姫巫女』という絶対の権威も持ち合わせています。…今後良きように誼を結んでいただけたのならば、宗家からの要求を突っぱねる『選択肢』を当家は提供できるでしょう」
「むう…」
おそらく斜陽のルプルン家が用意できる最大限の『利用価値』は、宗家アドリアナに対する権威の後ろ盾にできる、という点である。カグファ王女は嫌がるかもしれないのだけれども、同じ王家の姫として、どれだけ冷遇していようとも家臣たちの手前、フィフィ王女もその『語らい』を無視することはできない。王族であることの『特別』を破壊することは、同じ王族として足元の土を掘り返す行為に等しいのだから。
「…しかし現状、100平方キロもの土地を融通するのは」
苦しげにつぶやく土御門に、冬夜はくすりと笑い声を立てて、言葉を継いだのだった。
「ではこちらも多少の譲歩はいたしましょう…」