031 vs 蛙人
この男の喧嘩とは、かくあるべきものなのだろう。
居合わせた警官たちがみな蛙人に注目していたがために、人垣から飛び出した無謀な一般人の行動を制止し得なかった。
あまりの唐突さに、冬夜でさえもすぐには反応できなかったぐらいである。警官たちの不注意を誰が咎められただろう。
大賀健太の突撃は、馬鹿馬鹿しいことに不意討ちにすらならなかった。駆けながら叫んでいるのだ、相手に気付かれぬはずもなかった。
「うおらぁぁぁぁぁっ!」
「#&#WI*!!」
声のするほうに向きを変えた蛙人は、得物も何も持たず素手で向ってくる敵対者に驚くも、すぐに落ち着きを取り戻して《思惟力》の輝きを強くする。
おそらくは宇宙人の常識的なレベルで、高位把握野を脳組織に持っているのだろう。向ってくる地球人の持ち合わせる脅威度を一瞬のうちに読み取り、自身の戦力と引き比べ勘案した上でいけると判断を下したに違いない。
「あぶないっ!」
警官のひとりが、愚かな市民を守るべく拳銃を撃った。
火薬の炸裂による射出弾丸は、《グレートリセット》後でも十分な殺傷力を備えている。単純な運動エネルギーを対象物に叩き付けるだけの構造であるために、火薬式の銃器は量産性に難があるだけでいまだに現役である。
蛙人は見た感じ鉱物系組成の生き物ではなさそうなので、直撃すれば体組織を確実に破壊できただろう。…もっとも、対宇宙人相手に警察が決定的な鎮圧力を持てていない現実は、この蛙人にも当てはまることが判明する。
地球人の目には、ただ人外のみが持ちうる恐るべき動体視力と思うしかない素早い回避で、蛙人の身体は宙に舞った。むろん彼ら宇宙人たちのずば抜けた回避能力は、高位把握野による弾道予測から来ている。
むろん警官も拳銃がなかなか当たらないことも知っている。すぐさま次弾が発射される。
宙に舞った蛙人にそれを回避することはさすがに無理……などということもなく、《重力子》操作の魔法で、空中での簡易な機動を実現する。そして厄介なことに、彼らには冬夜と同じく主観魔法による『シールド』が可能であった。避けきれないときに彼らはそれを生存本能に任せて発動する。むろんその『シールド』は目に見えないので、警官たちには全身を覆うチートバリアにしか見えなかっただろう。複数の警官が発砲して、それらがことごとくかわされ弾かれたときには、もはや種族の劣勢に対する絶望しか思い浮かばなかった。
が、しかし。
ルプルン家の特攻隊長にとっては、そのわずかな隙だけで十分だった。至近にまで接近しえた健太のごつい鉄拳が、唸りを上げて蛙人に殺到する。
四角い瞳孔を広げてそれを迎えた蛙人は、健太の攻撃がただの肉弾であることに気付いて、あえて避けるまでもないと『シールド』での防御を選択する。
それを見つめていた冬夜は軽く笑った。
失笑であった。
そうして彼もまた封鎖を突破して蛙人へと向う。次の瞬間に起こるだろう形勢の変化を見通して。
「うおおおおおっっ!」
健太の拳もまた彼の特技である主観魔法で強化されている。しかもカグファ王女の《#&*?%》の基底操作で大幅強化された《思惟力》がこれでもかと込められている。
以前の12で鉄板をめり込ませていたのだ、それが倍の24で発動している上に、ヘラツィーダの近衛式戦闘術が加えられている。もしも蛙人が冷静にその拳を観察していたなら、展開している主観魔法が2重構造になっているのに気付いたことだろう。
魔法を前提とした 近接格闘術と呼ぶべきであろうそれは、生存本能に依拠した相手の無意識の『シールド』を突破するための魔法を多用する。
主観魔法は《思惟力》の純粋運用であり、これは相手の力を推し量る『相対圧迫法』の理屈でも分かるとおり、同じく《思惟力》をこちらからぶつけることで相殺される。
表層に余剰《思惟力》をまとわせた健太の鉄拳が、蛙人の防御をあっさりと抜いて、無防備にさらされていた下腹に容赦なく打ち込まれた。
肉体的には地球人類と変わらなかったらしく、蛙人はお腹を中心にくの字にたたまれて、どすんと地面に転がった。
「…へっ、宇宙人がナンボのもんじゃ」
実際に拳が命中するまでおのれの喧嘩が通用するか自信がなかったのだろう、こうして結果を目の当たりにして、健太は喜びに打ち震えた。
「…うおおおっ! やったたぞぉ!」
そうして彼は、喧嘩馴れした続く処理……優位を確固たるものにすべく、倒れた相手に容赦なくヤクザキックを連発する。存外に小柄だった蛙人は、健太のヤクザキックに何度も転がった。
地球人にはおよそ対処法がなかった宇宙人相手に、一般人……多少武闘派的な頭の弱そうな手合いが、あっさりと打ち勝ってしまったのだ。武器を構えた警官たちはもとより、野次馬たちも啞然と言葉もない。
が、そこへもうひとりの人影が駆け寄っていく。
「ケンタッ! 避けてっ」
「……ッッ」
蹲りながらも不屈の闘志を見せていた蛙人が、次の瞬間恐るべき脚力で健太のヤクザキックを下から身体ごとかち上げた。足を掬われた健太はそのままもんどりうって倒れかかる。健太の頭上で一回転した蛙人は、その驚異的に増幅された踵落としを叩き込もうとしていた。
その踵にはむろん《思惟力》の輝きが……主観魔法が凝縮している。
それが命中したならば、まともな防御もできない人間など水を入れた風船のように肉体が粉砕されたことだろう。むろん攻撃しか頭にない健太にもまともな受身が取れようはずもない。
冬夜は短い助走のうちにハイスピードを得て、跳ねるように宙に舞うと、攻撃動作中の蛙人の頭上を取って首を刈るような回し蹴りを食らわせた。
それを紙一重でかわして見せた蛙人が、不発に終わった踵落としを畳んで冬夜に対するようにひらりと着地する。
「あねさんっ」
「ちょっ、人前ッ!」
こちらも着地しつつ、バカな男の口をつぐませる。人前で「あねさん」は止めるように命令してあるのにこいつときたら。
「…す、すんませんあねさん」
「おま、あとで話ししよっか」
「………」
冬夜はずれかけたメガネを直して、身構える蛙人を見、そしてそこからよく見える『中がわら』の店内を確認する。
そこで粉々になったショーケースカウンターの向うに顔を出しているおじさんおばさんの顔を確認する。おじさんが身を挺してかばったのか、血を流しているものの強い目でこっちを見つめている。
あれなら大丈夫か。
そして巡らせた視線が、腰を抜かしてへたり込む国連職員たちをとらえた。奇跡的にインフラが保存され、運営環境が整っている日本に転がり込んできた国連本部に漏れなくついてきた人たちだ。英語はみな堪能だが日本語を喋れる人はごくわずかで、本国の乱れが影響してか倫理観を喪失気味の人間が多いらしい。本国に残した家族を養うためだとか理由はあるようなのだけれども、ほとんどの一般人からは同情されることもない。トラブルを起こすたびに彼らがすぐに治外法権を振りかざすからだ。
日本と同じく、ましな生活インフラを維持している国もいくらかあるという。が、たいていは先進国か温和な南国の閉鎖された島国などで、その数は非常に少ない。
「警察の人っ! 事情聴取とかあるなら、早くこの人たちを確保して!」
冬夜の叱咤に、封鎖内で構えていた機動隊っぽい人たちがおっかなびっくり動き出す。蛙人の動向が気になって仕方がなさそうであったが、それは冬夜が完全に押さえ込んでいるのでこの場合は取り越し苦労というものだった。
いくら治外法権があるとはいえ、明らかな犯罪行為がある場合、事情聴取ぐらいのあいだは拘束もできる。状況的に見て、どうやら彼らはあの蛙人と親密になって、国家援助や宇宙の先進技術提供などを取り付けるつもりであったのだろう。そういうのはどうぞご勝手に、と言いたいところなのだけれども、便宜供与に社会的弱者の一般人にたかるとか、ちょっとないなと思う。
国連のひとがいなくなったところで、冬夜はようやくまともに蛙人を見た。
彼がそうして高位把握野で相手を観察しているのと同様、むこうも同じ事をしている。
いろいろと魔法を使った戦闘技術は発達しているらしいのだけれども、その所持がはっきりとしない多くの場合、互いの《思惟力》の多寡で対決を見合わせる場合が多いという。むろんヘラツィーダさんの受け売りなのだけど。
蛙人が全力で《思惟力》をたぎらせ出した。
群れの上下関係を決めるデモンストレーションのようだ。そこで冬夜は相手が完全に格下だと見切った。《思惟力》推定90前後。
ならばと、彼は更なる明確な示威行動に出た。
『相対圧迫法』をこれみよがしに行ったのだ。全力の《思惟力》を相手の存在中心にぶちこんでやる。むろんそれを完全相殺できず、もろに浴びることになった蛙人は…。
「&*?$#ッ!!」
「………」
あのー。
これはどういうことなのでしょうか。
「宇宙人が……土下座…」
警官の誰かが、ぼつりとつぶやいた。




