030 伝説の始まり
なんなんだこの展開は。
似たような『事件』は全国で頻発しているのは知っていたけれども、それがまさか、こんななんの特徴もない寂れたシャッター商店街で起こるなんて、想像さえしたことがなかった。
警官たちが通せんぼするその向うで、事態の切迫度はいきなりレッドゾーンに振り切れたようだった。
「おかあさんっ!」
ほとんど聞いたこともなかった、砂姫姉の本気の悲鳴。
その突進を止めようとする警官たち。騒ぐ近所の野次馬たち。冬夜は事態打開の最善策をめまぐるしく思案し始める。
そういえば先日の取るに足らない電車内での会話……そこで砂姫がネタにしていた自覚なき万引き犯……1000円で5000円相当の箱パクをした国連職員を名乗る不良客……その持ち合わせた常識とかみ合わないこの国の常識、不幸な行き違いを成り立たせてしまった国際公務員の治外法権が、罪の意識もないままに『再犯』を再生産してしまったのだろうこの流れ。
そして頭を抱えて蹲る彼らの後から現れた宇宙蛙……昔テレビ放送がまだあった頃に似たようなのを見た気がする、グラタンか何かが大好物な宇宙船員のキャラクターを思い出してしまった。
ボディラインが如実に出る黄色いパイロットスーツみたいなのを着た、二足歩行の蛙人。その険しい眼差しを店内へと向ける蛙人の全身から、《思惟力》の光があふれ出していた。
店のガラスをぶち破ったのも、こいつの仕業であるだろうことは確定である。
その危険度を調べるべく、師匠のヘラツィーダから伝授された『相対圧迫法』を試みることにする。
何も加工しないままの《思惟力》を塊にして、相手の存在中心に向って投射する。試行錯誤するようなゆとりはないので、このいっときに出せる全力でそれを作ってみた。ルプルン家評価で140とされる《思惟力》の塊である。
そしてその塊は、蛙人の放っている《思惟力》のオーラ表層にぶつかり、急激に相殺減衰しながらなおも突き進む。
(…あいつの脅威度は)
固唾をのんで見守る中、冬夜のスカ〇ター玉は結局かなり減衰しつつも、蛙人の存在中心にまで無事到達して、結果、モロに気付かれた。
「W#%$REY&!!」
よく発達した太い喉を震わせるように叫んで、きょろきょろと周囲を見回しだした蛙人。表情はよく分からないのだけれども、あからさまに焦っていることだけはわかった。
あれ?
『相対圧迫法』で撃ち出した《思惟力》が相手の存在中心にまで到達してしまったって言うことは。
単純計算な話、ぼくの『140』を打ち消しきれなかった時点で、つまりはそういうことなのでしょうか?
もしかして自分ひとりでも対処可能な事案なのかもしれないと分かって、キョドってしまった冬夜であったけれども、むろんすぐに飛び出していくほど向こう見ずではない。
用心深く状況を観察し、可能な限りの情報収集を続ける。
この際、野次馬たちを落ち着けようと義務感を発揮した警官たちが、優良な情報源となった。
「もうすでに本庁に応援要請はされています! 皆さん落ち着いてッ! 『旅行者』対応にも慣れた特別班がもうすぐ到着します! 天朝国騎士団も駆けつけます!!」
なるほど、宇宙人絡みと分かった時点で、もう手配済みということか。
日本の警察も、その治安維持力にかげりがあろうとも、こういう緊急事態への対処能力はそれなりに保たれているようだ。すでに警官たちの何人かは、所持する銃器を現場に向けている。
警官の言う『特別班』とは、自衛隊もかくやという破格の重武装をしたSATもどきのことで、世情の不安定な昨今、主要自治体の中核署にはもれなく配備されているかれらの虎の子である。
そして『日天下田条約』に基づいて、外宇宙人の入国を認める代わりに天朝国が請け負ったらしい『善意の協力』が、こうした宇宙人がらみの厄介ごとが起こるたびに与えられる。たいてい魔法能力に長けた宇宙人事案は警察の手に余るもので、解決の決定打となるのはいつも派遣されてくる天朝国騎士団、《掌珠》12卿の手腕によるものとなる。
(…ならば静観も手の内だよね……って、うちの2階で見物かあのふたり!)
事件現場が『中がわら』なのだから、当然のようにお隣である我が家も見事に封鎖エリア内にある。
その七瀬家の古い屋号看板、『七瀬商店』のそれで目立たない2階の窓から、カグファ王女とヘラツィーダさんが暢気に見物を決め込んでいた。しかもふたりして口をくちゃくちゃしてると思ったら、次の瞬間ぷうーっと風船を膨らませた。
(あいつら店の在庫に手をつけたな!!)
閉店していても、ばあちゃんの駄菓子屋には、子供向けのお菓子類が棚に死蔵されている。ばあちゃんが入院して数ヶ月、賞味期限があるのかも定かでないお菓子であったけれども、適当に手を付けるべきものではないと冬夜は思っていたし、実際に小腹が空いているときも敢えて見えない振りを決め込んでいた。
それをあいつら……実質占領されているとはいえ居候の分際で。
「…てか、おまえら動けよなぁ」
「…冬夜?」
気付かぬうちに言葉を漏らしていたようだ。
見れば警官に押し戻された砂姫が、不安に揺れる眼差しをぼくに向けていた。
「…冬夜ぁ」
すがった手が震えているのがわかった。
いまにも泣き出しそうに歪んだ顔が、まるで子供のようで。
「父さんと母さんを……助けてよ…」
「………」
「みんな、殺されちゃう…」
どくん、と。
そのとき心臓が波打った。
宇宙人事案がなぜ性質が悪いのか……それは命に対する価値観の違いからか、人死にが容易く量産されるからだ。彼らは地球人類に比べて破格な魔法能力を持っている。そしてそれを、事態打開のために躊躇なく振るう。
不当な商取引に抵抗しただろうレジ担当のおばさん、店の騒ぎに奥から出てきただろう菓子職人のおじさんの姿がすぐに想像された。
たかに、悠長に待っていられる場合ではなかったろう。救援が駆けつけるまでどれだけの時間がかかるのか分かったものではないのだから。
「あねさん」
そのとき声を掛けられた。
見ると人混みの中に、スカジャンリーゼント……大賀健太ほか、元『七つ髑髏』の面子が並んでいる。ルプルン家現地二次団体として、軍隊教育を叩き込まれた彼らは、現在みなやんちゃだった当時の髪型を一変させている。丸刈り角刈りスポーツ刈り、短髪系ガテン軍団と化している。
大賀健太だけはリーゼントの名残を残していて、オールバックのチンピラにジョブチェンジを果てしていた。
「やりますか」
その問いに、すぐには答えられなかった。
ヘラツィーダによる厳しい訓練と、魔法能力開眼への導きを与えられた彼らの《思惟力》は、劇的というほどに向上している。
平均して10以上、幹部連の大賀、戸来は特にカグファ王女の《#&*?%》の基底操作により、それぞれ24、29と格段の進化を遂げている。
「熊吉は」
「くま…頭は特別訓練で教官にキツイの入れられて、目ぇ回してますわ。ルイのやつは店の仕込みの買出しに出てて…」
骸骨キングの名前は……アレクサンドル・チチェーリンとかいうそうなのだが、名前がかっこよすぎるので、クマみたいだから熊吉! と暴論を吐いたら、そのまま受け入れられてしまったのだ。
メイド姿の男女にそういい捨てられて、反論するどころかもじもじとはにかみながら受け入れたあやつは、たぶん変態的な性癖を持ち合わせていたんだろうと思う。
つまりこちらの現有戦力は、140のぼくと24の健太、そして10前後の手下軍団ということだ。よくは分からないのだけれども、何とかなりそうな気がする。
事態は一刻を争っている。
あのいきり立っている蛙人を排除して、中河原夫妻を助け出さねばならない。
こくりと頷いたぼくに、大賀健太はほとんど癖のようにオールバックに櫛を通して、歯を見せて笑った。
「ここいら一帯が栄光あるルプルン家の『領地』内だっつうことを、バカどもに分からせてやりましょう!」
えーっと。
『領地』とか普通にいっちゃってますけど、法律的には違いますからね? まわりに言ったらダメだからね、絶対。
ああ、言ってるそばから暴走しやがって!
大賀健太の特攻から、後の世に言う『駄菓子屋最強伝説』が始まるのだが、むろんこのときのぼくはそんなこと考えもしてはいなかった。