029 進級しました
《思惟力》10.5。
数値的にはまあ、地球人類として頭ひとつ抜け出た程度の、優秀な成績だといっても良かっただろう。評価の尺度が筆箱に入る小さな物差ししかない人類としてなら、10.5センチはかなり大きなものであるのは間違いない。
(…やっぱり……加減ミスった)
生まれ変わりにも等しい魔改造を施され、破格のスペックアップを果たした冬夜の『物差し』は、いわば校庭の線引きとかに使う数十メートル単位の『巻尺』に当たり前のように変わっていた。
『巻尺』で10.5センチとか測る人間はいない。そういう測り方をするべきものでないからだ。
教師連に囲まれ、あのとき苦し紛れに導き出したその数値がどのような意味合いを持っていたのか、冬夜は『中学校』という実社会を通して痛感することとなった。
「今日からクラスに編入することになった、七瀬冬夜くんだ」
ビン底メガネが防御力を上げていてくれなければ、集まる刺すような視線に早々に音を上げていたことだろう。
「知っているのもいるかもしれないが、彼は昨日までひとつ下の2年C組にいた。いわゆる『飛び級』というやつだ。…彼はすでに、年初の各校発表会エントリー候補に内定している。…貴重な『席』がひとつ、いきなり下級生に埋められちまったわけだが、どうだお前たち、シビれてこないか」
3年担当の小倉先生、悪い顔で煽りまくってます。
すでに上級生たちの目つきがおかしなことになってます。内定って、こんな開けっぴろげに公開してしまったらおかしくないですか。
「分かっている彼の数値は、『10.5』だ」
そこまで言われてしまって、さすがにぎゅっと目を瞑ってしまった。
視覚はカットしても、聴覚が上級生たちのざわめきを拾ってしまう。もうカンベンしてください。
「七瀬くんを良きライバルとして、ここでおのれを高めることに繋げられるようなやつが『上』へ行くことになるだろう。…短い間だ、無理に仲良くしろとは言わんが、つまはじきとか心の貧しいことだけはするなよ。いつも教えていることだが、他人を嫉む気持ちはおのれのなかの卑屈さからきている。そういう態度を取る者を見たら、オレはそういう卑屈なやつだと評価して、相応の内申点をつける……いいか!」
「「「はいっ!」」」
「七瀬の存在を刺激として、A組の成績が上がっていくだろうことを期待する!」
かくして、中学3年生としての冬夜の日常がここで始まったわけであるのだが、初日ということで今日は基本見学だけ、ということになった。
上級生がどんな授業をやっているのか、まずそれを見て心の準備をしろ、ということなのだと思う。たしかに2年でやっていた基礎っぽい訓練はあまり見当たらない。
「…最初は戸惑うでしょうけど、先生方がなにを求めてそうさせているのか、理解したらいろいろと早くなるから。『座学』って、大切なんだなぁって思うわよきっと」
「会長…」
「明日奈でいいわよ、クラスメイトなんだから」
隣に生徒会長の由解明日奈が足を崩して坐っている。
実技なので学校指定の体操着である。そばにいるだけでいい匂いが漂ってくる。
「わたしたち地球人は、宇宙人と違ってほんとに《思惟力》が不足してるから、その不足を補うために知恵を絞って自分に合った効率的運用術を身につけるの。《グレートリセット》のせいで確かさはいまいちになっちゃってるんだけど、自然界の法則って言うのは、効率を求める上では利用しない手はないから、みんな数学とか理科の教科書は擦り切れるぐらい読みまくってるわ」
「はあ…」
「なんだか気勢が上がらないわね。あなたから見たら、もしかしたら物足りないのかしら……たしかに10.5とはいっても、それで町の不良グループ相手に大立ち回りとかちょっと考えづらいものねえ。《思惟力》の効率運用でいえば、むしろあなたからわたしたちがいろいろ学ばなくてはならないのかもね」
「…それ人違いですから」
「…そういうことになってるのよねえ。わたしは知ってるけど」
「………」
「生徒会室は職員室の側だもの。それに懇意にしてる先生方も多いし、『事情』のほうもわきまえてるから、ほかに言ったりしないし心配しないで」
「…隣の人たちも聞いちゃってるんですが」
「副会長と戎原さんはもう知ってるから、例外ってことで」
美人がテヘペロすると、凶悪な精神作用を周りに及ぼすものらしい。
すぐさま許してしまう気になった自分が哀れを誘う。体は女でも、心は男であり続けたいと希望にしがみついている。
「いきなり現れたニューカマーが『ナンバーズ』の2位に躍り出たんで、みんな随分慌ててるわねえ……ふふ、えらく気合が入ってるくせに、時々ちらちらあなたのこと見てるわよ」
「ナンバーズ?」
「発表会にエントリーが決まると、受験票が送られてくるの。その受験番号の末尾が出身校内の成績順になってるものだから、そんなふうに言われるようになったらしいわ。どっかの高校が始めて、それから流行みたいに広がったようだけど…」
「あんたに抜かれて『3位』になっちゃった扇谷よ。よろしく」
明日なの隣に坐っていた茶髪ボブの副会長が歯を見せて笑う。
その向こうからこっちを見て、
「あ、わたしは『6位』の戎原琴乃。よろしくー」
三つ編みメガネの書記さんが自己紹介。
お約束のように、この学校の生徒会構成員はもれなく成績優秀者のようである。実際のところ、『ナンバーズ』の上位が生徒会という面倒事を押し付けられるのはほぼ流れのようなもので、「あんたたち余裕なんだから生徒会やりなさいよ」的な風潮があるらしい。こうして余裕かまして見学の冬夜に付き合っていられるのも、それなりに実力の裏打ちがあってのことなのだろう。
ちなみに『10.5』のクラス内での位置づけを聞いてみると、
3年生の学年平均は5.7。
Aクラスの平均は6.4。
『ナンバーズ』の平均が8.2。
冬夜の横入りで真っ青になって震えている最下位(10位)の柳という人が7.8。
トップはいい笑顔でこっちを見ている生徒会長の由解明日奈。ちなみに数値は14.4。マジで魔術学院最有力候補。
七瀬冬夜は現在暫定2位。少し落ち着こうか。
3位の副会長は9.8。6位の書記のひとは9.2。
つまりは、『10.5』という数値、恐ろしいことに中学生では超えるのが難しいとされる『10の壁』をなんとクリアしてしまっている。上は会長の14.4しかいない、ぶっちぎりとは言わないまでも確固たるナンバー2の立ち位置である。
(…これは嵐の予感がする)
3年生の実技授業は、生徒ひとりひとりが魔法に対するアプローチを試行錯誤している感じで、同じ《ショックガン魔法》でも、じっくり念じて出す人もいれば、格闘家みたいな呼吸法で一気に出す人もいる。指先に出したり掌に出したり、部位の調整に精を出す人がいる一方、出力の向上に集中している人もいる。端っこのほうで、「レールガンッ」とか痛いこと叫びながらなんかしてる人もいる。
印象としては、みなが魔法とは何か、という基礎的な理屈を掴みかかっている感じである。義務教育の最終年で、国が期待している到達点がそのあたりなのだろうと思う。
考え込んでいた冬夜の耳元で、すんすんと鼻を鳴らしている明日奈に不意に気付く。
ぎょっとして思わずのけぞると、明日奈は「あら」と首をかしげてみせた。
「やっぱりとってもいい匂い。気のせいじゃなかったみたい」
「あ、あの、会長?」
「こんな匂いのシャンプーとかあったかしら……ほんのりと甘い感じ、もしかして香水? 違う気もするんだけど…」
「ひとの体臭を分析とかしないでくださいっ」
「クラスの男の子たちはみんな汗臭いのに……七瀬くんはまるで男じゃないみたいね」
「………」
「えっ、そんないい匂いがするの?」
「嗅がせて嗅がせて」
「や、やめてください」
女の勘マジやばい。
まだ胸とかほとんどないからいいものの、腕とか触られたら男らしくなくプニプニなのがばれてしまうかもしれない。すんすんすんすん、こいつら遠慮なくひとの体臭嗅ぎまくりやがって。
副会長と書記も合わせて生徒会トリオが顔を寄せてきて、いよいよ押し倒されそうな勢いになったところで…。
「…ちょっとこっちを手伝ってくれないかなぁ、七瀬くんだっけ」
「なに生徒会で大人気なの、なめてるの」
「ちょっといっしょに訓練しようよー、そこのメガネくん」
はい、ご指名がかかりました。