028 飛び級
「さあ、動かしてみせなさい」
その日の実技授業には、指導員がふたり付いていた。
いつも2年生をみている面倒見のいい左門先生と、3年生の実技指導のリーダーである小倉という細身の先生だ。
まあそれは2年生の授業から『飛び級』させられる彼に対しての、通過儀礼的な意味合いが強かっただろう。体育座りをして眺めているクラスメイトたちの前で、冬夜はただひとり、2年生としたら破格なことをさせられている。
《電気系魔法》訓練で使用する例の工場から移設されたふうな大きな輪っかの付いた動力ユニットに、左門先生が淡々と負荷をかける『ウェイト』をはめ込んでいる。いつもならひとつふたつを調整するくらいなのに、今日は10個近くはめていく。この『ウェイト』ひとつ追加するごとに、《思惟力》値換算で『1』分だけ電気抵抗が加算される。
むろんこれだけはめて動力が動いたとなれば、即上級生のトップグループ並の能力があると判断できる。
動かせ、といわれて、冬夜はいろいろな諦めを込めたため息をついた。
それは端から見たら、緊張をほぐすための深呼吸に見えたのだろう。左門先生がごつい顎をいじりながら、大丈夫か、と聞いてくる。
「やります」
クラスメイトたちをちらりと見てから、冬夜は訓練の定位置に付いた。
集まってくる視線が痛い。特に睨み殺さんばかりに凝視してくる長谷部のまなざしが痛い。
どうしてこのようなことになったのか、事前説明のようなものはなく、クラスメイトたちはただなにごとかと眺めているばかり。まあしかしメガネマンの噂はもうすでに手遅れなぐらい学校中に広がってしまっているので、訓練装置の抵抗をとんでもなく上げているあたりで、大体のいきさつは察せられていたことだろう。
クラスメイトの目に、自分はいまどんなふうに映っているのだろう。
もともとそれほど溶け込んでいるとも思えなかったクラスに未練はあまり感じてはいなかったのだけれども、こうして『特殊な卒業』をさせられてしまうとなると、なんだか人並みな愛着ぐらいはあったような気がしてくる人生の不思議。
実技授業の飛び級は分かるが座学のほうはいいのかだって?
その辺はなぜか担任の平岩女史が太鼓判を押しまくってくれたので、男であった頃の凡百なテスト成績に難をみせていた先生方も沈黙してしまった。証明にはあのカンニング騒動の時の小テストが証拠として提出され、学業まで手を抜いていたのかという呆れ果てた空気が職員室でも共有されてしまう。
それでも実質1年分先行してしまっている座学授業をどのように埋め合わせるのかという問題も、マンツーマン補講を平岩女史がかなり前のめりに名乗り出たことで収まってしまった。
はー、何で担任とふたりっきりで毎日補講とかしなくちゃなんないわけ?
もうこれは全力で教科書の内容を頭に叩き込んで、教師連を黙らせるしかないのかもしれない。よりいっそうおかしなレッテルが貼られてしまいそうだけれども、もうすでに立ち位置がおかしくなってしまっている上に、跳び級してしまえば卒業まで半年もなくなってしまうことになるのだから、影響などいまさらであるだろう。王立魔術学院に放り込まれるリスクが若干上がりそうではあるものの、学院が座学成績にあまり選考上のウェイトを置いていないのは知られているので、表に出す《思惟力》の値をしっかりと管理しておけばそちらの問題はあまりないと思う。
(…さあ、やるか)
全身全霊、不器用なまでに四肢に力を込めて、訓練装置に《思惟力》を流し込む。
《思惟力》の受肉器官である脳から肩、腕を経て熱感が訓練装置へと浸透していく。どんな強固な物体でも、粒子レベルの世界では密度もスカスカである。おのれの《思惟力》の根源である光の粒子、《思惟子》がその原子の間をするすると入っていく。
そして銅線という伝導体のなかでずうずうしくサボタージュしている《電磁力》……《電子》たちを捉え、彼の《思惟子》が働け!と尻を叩いた。
《思惟力》10で通電してしまう程度の抵抗値など、突破は造作もない。がしかし、ここで求められるのはオレSUGEEEではなくしっかりと管理された『《思惟力》10.5の秀才くん』である。
抵抗の壁をやわやわと押し切り、ずるりと隙間からゼリーが漏れ出すような感じに小量の電気をモーターに送り込んだ。
「うわっ…」
「あんなウェイトつけて、ほんとに動いた…」
「マジでメガネマンかよ…」
クラスメイトたちの嘆声。
そしていくらかの悪態と舌打ち。
「…というわけだ」
いろいろと省略されまくりな左門先生の、学校からの『連絡』が始まった。
今日までクラスメイトだった七瀬冬夜が、明日からは上級生の教室、しかも成績がもっとも優等な生徒の集められたAクラスに編入されることになった件と、年明けの各校発表会の代表の一人に内定していることもあわせて伝えられた。そんなこといま言わないでもいいのにとは思うのだけれども、どうやら伸び悩んでいる上級生たちに発破をかける意味合いもあるらしい。
地方自治体が持つ魔術学院への推薦枠、それを獲得することは各学校の教育体制への評価にも直結するのだという。この学校が所属する西東京地区の推薦枠は15人前後。4万人弱いるといわれている中学3年生のなかからの15人である。2、3000人にひとりという激烈に狭い門であり、当然ながら各校から毎年出るというレベルのものではなかった。
そのあまりの難関ゆえに、生徒たちの目標が『推薦枠』ではなく『発表会選出』にすり替わりやすいという問題があるらしい。
まあその辺は教師側の都合でしかないのだけど。
突き刺さるような明確な敵意を視線に乗せてくる長谷部たちに対するケアも、この際は学校の責任なんじゃないかと思う。まさか放置とかしないですよね?
「…いちおう言っておくが、噂になっている例の『メガネマン』についてだが、あれはまったくの誤解で、七瀬のことではないのでおかしな混同はしないように。別の『高校』の、特徴のあるメガネをかけた男子学生がその正体のようだ。おまえたちの中にもそれなりにいるが、メガネという特徴自体ありふれすぎている。コンタクトレンズがなくなった分だけ世間に『メガネ』は溢れているんだ。そういうなかに、不良相手に大立ち回りできる高校生もいた、ということに過ぎん。…この問題はここまでにするように。いいか」
学校では、どうやら『メガネマン』は別人、という方向で誤魔化してしまうつもりらしい。自分たちもその噂を信じて彼を追い詰めたというのに、大人の世界ってやっぱ汚いと思う。
まあ『メガネマン』が高校生だっていう説はそれなりに受け入れられやすかったようだ。なあんだという空気がクラスメイトたちに広がった。
大人判断、グッジョブ。
「それでは七瀬、おまえは小倉先生についていきなさい。…それじゃあ授業始めるぞ! 全員いつものように訓練装置の前に班ごとに並んで…」
「せ、先生っ!」
そのときだった。
手を挙げて立ち上がったひとりの男子。
それはついさっきまでクラスで一番能力測定値が高いと言われていた学級委員、長谷部裕也だった。
なぜこうなった。
いま冬夜は先生とクラスメイトたち、衆目の前で対峙していた。
「おれは絶対認めないからな」
「………」
長谷部が吐き捨てた。
この前のいきさつとかプライドとかがごっちゃになったような、誰の目にも分かる『私憤』で彼はそこに立つことになった。
「最後に」と前置きしたのは、教師との交渉にあたって非常に有効なやり方であっただろう。クラスメイトとして最後に、とか、友人として最後に、とか、教師が受け入れやすくなるような流れがすぐさま醸成されてしまった。
結局、長谷部は「最後に護身術で七瀬君とやらせてください」と申し出て、3年担当の小倉先生は渋い顔をしたものの、左門先生は付き合いの長さから長谷部の『男のプライド』的な熱意を汲み取った。
先生も先日冬夜がゲロを吐いたあの護身術授業のことを覚えていたことだろう。その時にあった『差』が作られたものであったことを知った優等生が、おのれのプライドをかけて決闘を申し込んだ、とでもとらえたのだろう。
そして冬夜が『メガネマン』だということも知っているため、その不良グループと大立ち回りを演じられる格闘戦能力についても、不安どころか好奇心さえ疼いたのに違いない。
かくして長谷部の申し出はすんなりと受け入れられ、護身術対決と相成ったのだ。
すでに長谷部は得意の《ショックガン魔法》を準備している。
帯電し始めた電圧は大したものであったのだけれども、その充填は戦闘において致命的に遅い。さらにはおのれの手の内をそんなあっさりと明かしてしまうあたり、稚拙過ぎて致命的以前に論外のレベルだった。
なので冬夜は静かに立った。
何もしない。用心する気振りすら示さない。自然体に立って、長谷部を見つめていた。
こうして冷静に眺めると、クラストップとはいってもやはりしょせんは中学生レベル。来ると分かってるテレホンパンチなど警戒するにもあたらない。
長谷部の《ショックガン魔法》の電圧が予想以上に高まったことで先生が少し慌てだしたけれども、もうすでに長谷部は駆けだしている。冬夜もそれに合わせて左足を少しだけ引いて構えた。
そして交錯。
いつ発動したかもわからないほどの瞬間的な連続魔法……突撃をかわした瞬間の《重力子》での足払い、そして刹那の背中からの《ショックガン魔法》…。
クラス内格付けは、かくして予想通りあっけなく終わったのだった。




