025 メガネマン
タイトルを決めました。
まだしっくりしてませんが(笑)
現状はこのタイトルで行きたいと思います。
いいか、冬夜。
家のこと、母さんのこと。…けっして人に言ってはだめだ。
どんどんと、父さんの命が血と一緒に身体から抜け出していることがわかった。このままだと死んでしまうと、泣いてすがったのに。
いいか、冬夜。
これは『事故』で、父さんと母さんはここで逝く。
村の人たちを恨んではいけないよ。あの人たちにももうずいぶんと『迷惑』をかけてしまった…。
父さんは寂しげに笑いかけた。
「…東京のばあちゃんを頼りなさい。駅から線路伝いに行けば町に出る。東京の菓子屋のばあちゃんだ、覚えているだろう……行け……行ってくれ! 冬夜ッ!」
押しかけ、もみ合いになった村人たちも、数人が血を流して横たわっている。
倒れた石油ストーブから瞬く間に燃え広がった火が、日々を暮らしてきた懐かしい家を舐めるように燃え広がっていく。
炎の向うで、母さんを抱いたまま奥へと歩いていく父さん。
百年以上も前に作られたという逢世家の奥は、民家と同体となった社殿へと続いている。『祝之器』などと呼ばれて、村人たちから敬われていた母さんは……世に激震を走らせた《グレートリセット》を境に、惑乱……発狂した。
母さんの周りで、怪異が起こり続けた。
それが《思惟力》の暴走であったことなど、まったく知りもしないで。村人たちは『凶事』を元から断とうとした。
「すまない…」
それが父さんの最後の言葉だった。
そのあとの記憶はひどく曖昧である。
遠い駅を目指して歩いたような歩かなかったような。不憫に思った村人が送ってくれたのだとあとでばあちゃんに聞いて知ったぐらいである。
うとうとと、浅い眠りの時によく夢のように思い出す。たった3年前の出来事なのに、現実感がなかなか伴わない。
《グレートリセット》後の数日で、恐るべき数の人間が事故または殺人でこの世から退場した。山奥の村で起こった大火事と死は、ニュースにすらならなかった。そのためなのかとも思うのだけれども。
父さんの『口止め』は、いまとなっては意味のないことのように思うのだけれども、ぼくは極力黙っておこうと思っている。
目立つのもなんだか違うようなするので、場の片隅でいつも息を潜めるようにしている。かくしてクラスの『モブ』は形作られる。
あー、今日も暖かい日だなー。
教室の片隅で、冬夜はうつらうつらと舟を漕いでいた。
「…やっぱ、違うんじゃねえの」
ぼそぼそと、前の席で安田が他のクラスメートたちと話している。
集まってくる視線が痛い。
「ビン底メガネって、んなたくさんつけてるヤツがいんのか?」
「でもこいつのわけねえべ」
「この前の自習んときも、職員室に呼ばれてたけど、結局無罪放免になったって噂じゃん。みてよあの細っこい手首と指! 女だったらちょっと裏山要素なんだけど、『七つ髑髏』のDQN相手に大立ち回りなんて絶対に無理でしょ」
「…少し前に公園であった乱闘騒ぎ、あんときも出てたそうだぞ、ビン底メガネ……マスクマンだったそうだけどさ」
「マスクマンて…」
「うわ、メガネマン? だっさ…」
安田と高峰、それと丸刈り野球部の白井の会話。
だっさ、という吐き捨てるような酷評にわずかにピクリとしてしまうも、反応は極力出さないように石になれと念ずる。
だよねー。冷静に考えてメガネマンはないよねー。これはもう今後はお蔵入りだな、うん。
「あれ以来、『七つ髑髏』がすっかりおとなしくなっちまっただろ? あれさ、どうもそのメガネマンが公園事件で報復して、壊滅させたんじゃないかって噂でさ」
「えっ、マジで」
「そういや職員室で『七つ髑髏』の詫び入れがあってひと安心だって話してたっけ……もしかしてメガネマンに焼き入れられて、謝罪させられたとか」
「うわ、メガネマンマジすげーんじゃね」
「でよ、その『七つ髑髏』がなんでこの学校にだけわざわざ詫びにきてんの? って新庄先輩とかも言うわけよ。…あっ、新庄先輩って護身剣道部のレギュラーの人でさ。話し戻すけど、メガネマンって、やっぱ学校関係者なんじゃないかって、上級生たちも探してるっぽくて」
「…でも、そんな分かりやすいメガネキャラって、うちの学校に他にいたかしら」
「うーん」
そしてまたちらり。
ガン見されてるのが分かる。高位把握野というのはそういうものである。
あんのDQNども。詫び入れとか何にも聞いてないんですけど。
これは少し、帰ってから教育が必要なのかもしれない。苛立ちのボルテージが上がっていくのを内で散らしながら、冬夜はほとんど前触れもなく立ち上がった。
その突然の挙動に、前席の安田たちはもとより、教室の各所から息を飲んだような声がいくつも上がった。メガネマンの噂は、もう学校中に恐ろしい勢いではびこっていたのだった。
ひっひっふー、ひっひっふー。
落ち着け。冷静になれ。
「…七瀬?」
おっかなびっくりという感じに安田が声を掛けてくる。
冬夜はずれたビン底メガネを指で戻しつつ、「トイレ」とだけ答えた。
とりあえず少し空気を換えるためにも教室を出たほうがいいだろう。男子トイレで小便器を使えない呪いがかかっている冬夜にとって、マイフェイバリットトイレは職員室前の教員用のところである。ガキに毛が生えた程度の中学生、個室にこもるといたずらや覗きを受ける可能性があるためだ。
廊下でもこっちを見ている複数の視線があった。
2階の同学年ばかりではない。上級生や下級生まで野次馬っぽいのが集まっている。ビン底メガネさんの存在感パナイです。
「おい、メガネ」
だの、
「そこのビン底」
だの、声を掛けてくるのはいかにもな上級生たち。あー聞こえない聞こえませんって。
そらっ惚けて通り過ぎようとして肩をつかまれかかる。
むろん高位把握野常時展開の冬夜にはすべてが察知済みである。上級生たちを排除するのは簡単なのだけれど、目に見えてそれをやればいよいよ疑惑を補完してしまうことになる。
ならば。
ここは髑髏キング流《重力子》殺法の活用どころだろう。
廊下全体の人の流れとその挙動を管理しつつ(精霊子管理よりもずっと楽)、こちらに接近を図る者たちのそれを、《重力子》でさりげなく妨害する。
最初のあばた顔の上級生は、自分の足を引っ掛けてたたらを踏み、手を上げて呼び止めようとしたガタイのいい色黒上級生は、よろめいたあばた顔に押される形で人波の向うに消える。むろん受け止めきれないように、膝裏を押してやる。
そのわずかな混乱の間に身体をかがめて姿を隠し、階段を駆け下りる。
何とかやり過ごしたと胸をなでおろした冬夜であったが……事態はそんなに甘いものではなかった。
「えっ…?」
廊下を行く人のほとんどが、冬夜のビン底メガネを目にした瞬間、吸い寄せられるように視線を向けてくる。
メガネマンの噂は想像以上に広がっていたのだ。
この瞬間、トイレという袋小路に入るのは下策だと察した。歩くのを止めるとどうなるかわからないので、ずんずんと歩いて校舎の別の階段を上り、教室へと帰還しようと思う。授業が終ったら速攻で帰って、今後のための善後策をしっかり考えよう。
これがいまのザ・ベストプラン。
さながら流水のごとく混み合う廊下を進み、角を曲がろうとしたところで人にぶつかった。
出会い頭であったがすぐに体勢を立て直した冬夜は、ぶつかった相手の女子生徒の手を掴んで転倒を防ぐところまで行っている。掴んだ手を引き上げて、その相手の顔を見たときに彼は狼狽した。
「あら、メガネ君じゃない」
そこで彼を見返していたのは、生徒会長の由解明日奈だった。