ss その頃の王立魔術学院では①
「…うーん、微妙」
手に持ったリストを上から下まで流し見た少女は、小さくため息をついてその紙束を手首で振るようにした。
すると手品のように一瞬で発火して、わずかな灰も残さず紙束は消え去った。
「…この『48』さんが、学院の『最高傑作』? フィフィが手ずから《#&*?%》をいじったのに、それが早々に拡張限界とか、冗談でも面白くないんですけど」
「……その、ご機嫌を損ねるような結果しかお持ちできず、大変申し訳…」
「ほんとうに国中から選りすぐってきたのかしら? フィフィ、不審」
「その点は確実に……《葛の葉計画》に基づき各年選抜された最優等の子供がこの王立魔術学院に送り込まれ続けています。事実、昨年測定された未成年者の《思惟力》全国平均4.2に対して、魔術学院編入者の平均は10をオーバーしています」
「4.2と10? …あのさあ、マジ誤差なんだけど」
「…あ……はい」
黒檀の黒光りする執務机を挟んで、椅子の背もたれを揺らしている青髪の美少女と、脂汗を流して平身低頭する初老の男。
天朝国王族であり下田租界に設立された王立魔術学院の理事長でもあるフィフィ王女と、日本政府文科省の外郭団体、公益法人日本魔術振興センター所長兼王立魔術学院学長である大道寺正臣(58)である。
「《#&*?%》操作は王族にしか不可能な秘法だし、そう何度もやるのはすんごい疲れるし面倒なの。わかる?」
「は、はあ…」
「条約を締結したときも教えてあげたケド、あともう少ししたら……えっと、現地時間にしたらあと10年くらいかしら……このあたりの宙域に『ゆらぎ』の大波が起こるの。『鼎の王』の託宣で、深遠にありし大神の『寝返り』で起こる特大の『ゆらぎ』なワケ。ほっといたらこの星なんて地表が大気ごとなぎ払われる破滅的な波動の津波が襲いかかって来る大災厄なのだけど、いくつかの条件をクリアできれば奇跡的に回避の道が示されてる……その救いの道を示すべくフイフィたちがわざわざこんな辺境にまでやって来たの。託宣の姫巫女なの」
「それはもう、国としてしっかりと承っております」
「その条件のひとつは教えておいたと思うケド、『惑星原住民の総《思惟力》が1000億を越える』ことよ。…たしか住民の総数はいま30億だっけ? ひとり頭平均でどのくらい育てないといけないか理解してる?」
わずかな沈黙。
学院長が念のために頭の中で暗算した時間である。
「最低ラインが約34です」
「…でさぁ、さっきの話に戻るケド、『最高傑作』で48の件は、あなたどう思うのかしら」
「…現状、非常に悲観的にならざるを得ません」
「やっと危機感を共有できたみたい。フィフィ嬉しいわ」
「………」
わたしは大道寺正臣、文科省参事官転じて、公益法人日本魔術振興センター所長……そして現在国内において、文科省がもっとも重要なポストと位置づけている王立魔術学院学長を兼任するに至った男である。
籍を公益法人に移したことでキャリアとしての人生は断たれた形ではあったものの、文科省大臣はもとより時の首相、土御門正造に直接頭を下げられた経緯もあり、一官僚として一生誇ってよいドロップアウトだったと思っている。
国費で設立されるものの、現在国権の及ばない『租界』内に設立されることとなった王立魔術学院、正式名称聖アドリアナ鼎王掌下魔術学院は、この魔法と暴力と混沌が蔓延する世界情勢において、日本国が平和と安全、そして魔法技術において確固とした優位を築くための重要な人材育成機関と位置づけられている。
国の将来を左右する施設の管理者であり、現在対等どころかやや上位の存在と認識される天朝国の、現地首脳との直接の窓口となる当学院の学長職は、閑職とは真逆に位置するものである。それだけ能力を買われたのだと自負もしている。
(…『鼎の王』の託宣というのはよく分からんが、あれだけの魔法技術を持つ銀河の覇権種族の情報であるのだから疑うわけにもいかない。…1000億の《思惟力》が必要か……それはむろん、その《思惟力》を元にした大魔法を行う前提条件なのだろうが、さて、《葛の葉計画》がこうして進捗するほどに、地球人類が持ちうる《思惟力》がたいしたことがない、という厳然とした現実が嫌というほど明らかになりつつある)
今日、週に一度義務付けられている、学院の現状報告を行ったわけだが、先日地球人類として公式記録に残る《思惟力》値を叩き出した特待生のそれを持って、意気揚々と場に臨んだのであったが…。
まさに鼻にも掛けられぬという屈辱。
《思惟力》値『48』とは、それだけで日本国内の一般平均の16倍、やや高めである世界平均と比べても10倍弱という、まさに新人類と言って差し支えない領域に至っているものである。
《葛の葉計画》により厳選抽出され、天朝国の技術で未発達部分の枷を外されたことで生み出されたその記録をもってしても、学院理事長の要求基準には達しない。まあそれも、地球全体で達しないとならない『1000億』というべらぼうな到達点を示されているので、理由なきことではないと理解はできる。
日本はいま、たしかに優遇措置を与えられているのだ。第一王女の御膝元として租界を作り、天朝国人教師による先進の魔法教育さえも与えられているのだ。
世界に散らばり、分散関与を行っている姫巫女がほかに6人、それぞれに拠点を設け、同様に人類の強化計画を遂行していると聞いている。優遇措置を受けているのは、ほかに6国あるということになる。むろん、そことは熾烈な競争を続けていく運命にあり、同時に各周辺地域に対して、教導する立場というものを要求もされてくるだろう。
つまりは、魔法の先進国として、数値目標達成の底上げの部分まで担うことがすでに織り込まれているということでもある。
(国民平均で《思惟力》が『40』は必要になる? ばかな)
想像して、思わず突っ込んでしまう。
それは例えば、国内の受験生全員に〇大理Ⅲに現役合格する学力を求めるに等しい。
人には向き不向きがあり、秀才もいれば凡才もいる。どうしたって不向きな者たちに、個別指導もなく学力の向上などおよそ不可能といわざるを得ない。
いわんや、求められているのは人類に新たに与えられた魔法というものに対する能力である。成績アップのアプローチノウハウさえ確立されていないのに、その無茶な目標が達成されると思うほうがどうかしている。
(せめて地球人口が《グレートリセット》前の70億を保持していれば…)
ないものねだりではあるものの、それならば数値目標も半分以下で済んでいたのだ。世界経済の混乱と交通の萎縮による食料の偏在で、恐るべき飢餓が蔓延、戦争と暴動の果てに世界人口の半数以上を失うこととなった。
理事長室から続く長い廊下は、その終点で警備員による管理がなされている。
「お疲れ様です」と敬礼されるのに鷹揚に頷き返しつつ、教職員しか立ち入れない裏廊下に出ると、そこには彼の結果報告を待つ教師たちであふれていた。
どの顔にも一様に緊張がある。それはそうだ、彼らに厳しい要求を突きつけ続けているのがほかならぬ学長である彼なのだから。
「いかがでしたか、学長」
教師たちを代表して、副学長である小堺が薄い唇を引き結んで前に出る。その眼差しにやや気圧されつつも、大道寺は沈鬱に首を振って見せる。
それだけで教師連からため息が漏れた。
「だから足りぬ、と申したではありませんか」
裏廊下は生徒たちが使う廊下と職員室を挟んで反対側に作られている。むろん警備上、機密保護上の措置であり、それは同時に学院に勤める天朝国人教師の唯一の通勤道でもあった。
3人の天朝国人教師、その中のひとり、王女直属の現地最高戦力のひとつとされている《掌珠》12卿に列するワーハイト卿が光沢のある白い制服の裾を払った。
袖のゆったりとした直垂のような服が、天朝国騎士の制服であるのだという。下は腿の辺りがゆったりとしたパンツで、ロングブーツで膝から下は固められている。
「まさかこれほど素養に恵まれぬとは思いませんでしたが、種の個性のようなものでしょう。そう悲観すべきとは思いませぬが」
「しかしワーハイト様、課せられた目標を考えるとやはり…」
「この学院ではあなたが長です。一教師に『様』はおやめくださいと申したはずですが」
「これは失礼しました……ワーハイト『卿』、今回の『48』ですら足りぬとするならば、われわれは今後どのあたりを目標にすればよいのか……正直分からなくなりました。できれば無知なわれらに助言をいただきたい」
大道寺は落ちそうになる視線をこらえつつ、ワーハイトを見た。
学院の女子生徒たちに熱いまなざしを向けられることの多いその美貌は、思案するように目元を翳らせて、そしてすぐに『100』という数字を麗しい唇から紡ぎ出したのだった。
「この学院の主席生徒であるなら、100が目安となるでしょう」
「ひゃ、100ですと」
「そのぐらいの生徒が出だしたら、ほかも引きずられるように目標に至っていることでしょうね」
「………」
大道寺の視線は、完全に足元に落ちたのだった。