020 ビン底仮面参上!③
できるだけ迅速に戻ってきたつもりではあったのだけれども。
公園の外縁にあたる歩道では通勤帰りのおっさんやジョギング族が足を止めて公園の中に視線を向けている。一人や二人ではむろんない。野次馬根性の連鎖反応は、そこから見える公園の一辺、百数十メートルに渡って数十人規模に拡大している。
興味を持っているのに誰ひとり公園のなかに踏み込もうとしないのは、おそらくは『七つ髑髏』の危険な噂がそれだけ住民に定着している証左であっただろう。
その野次馬たちの背中側を割合にこそこそ通り過ぎていたというのに、冬夜がすれ違う人のほとんどが何かぎょっとしたように飛びのいた。
「なにあのひと」
「目を合わすな。やばいっぽい」
心をやすりで削られるようなリアクション。
ぼくはただの一般人……一般人ですよー、ハイそこどいてもらえますか。一般人が通りますんで。
「マスクに、なにあのメガネ」
「おい見てみろよ、メガネマンがいるぞ」
何食わぬ顔で公園の正規の入り口まで歩いていこうと思っていたんだけれども、最後に指差されて笑われたあたりでたまらず公園の植え込みに飛び込んだ。
そのときの跳躍が歩道の側溝と植え込み合わせて4メートルほどある障害をらくらくと飛び越えてしまったのを見て、野次馬たちがおおうっと嘆声を上げた。
「あれも『七つ髑髏』の仲間じゃないの」
「メガネマンも一味なんだろ。やべ、オレあいつ見て笑っちまったぞ……って、逃げんなよおまえら」
「中から聞こえてくる声とか、ガチの抗争だよきっと。そういうとこに後から来るやつって、たいてい大物じゃね」
「だってメガネマンだぜ」
ぐはっ。
メガネマン言うな! メガネしたままで来てしまったのは失敗たったけど、メガネなしでこの変わり果てた顔面を衆目にさらすなどさらに問題外だし!
…あ、でもいまはスカーフで下半分隠してるし、何とかなったのかな……でもこのビン底メガネしてる間の、精神的に守られてる安心感ハンパないしもう手放せないかも。たぶんサングラスかけていきがってる輩も、目の動きを隠してくれる遮蔽物の安心感を当てにしているのではなかろうか。
『七つ髑髏』がたまり場にしている休憩ゾーンは、公園の外縁からは完全に見えない。こうして不良グループが悪さする秘密ゾーンと化してしまうと、その見通しの悪さが逆に彼らを招いたとしか思えない。
砂利の敷かれた小路は音が出てしまうので、冬夜の進む道は出たときと同じ植え込みを突っ切る最短コースである。そうして休憩ゾーンへと至る最後の木立を抜けたあたりで、その場に立ち込めていた険悪な空気が肌に触れた。
いったん足を止めて、そろりと木の陰から現場を観察してみる。
いったいどこから湧いて出たのか、そこには数十人の悪そうなやつらが集まっていて、その取り囲む中央に白い立ち姿が……夜の外灯に黒鈍くつやを放つ鎧姿のわが上司の凛然とした姿があった。
兜だけはしていないので、女性であることだけは歴然とした金色の長い髪が腰の辺りにまで広がっている。口にスカーフを巻いて隠しているものの、超絶美人であることは隠しようもない。
「コスプレ? ヤバげな外人だな」
チンピラのひとりがつぶやいた言葉に、冬夜は頷くしかない。
美人であることに間違いはない。その姿かたちのなかに脳筋暴力騎士の精神が詰まっていることも合わせて理解しなければ、危なすぎて近付くことすらお勧めはしないのだけれども。
まあしかし、『七つ髑髏』の連中に静観するという選択肢はむろんなかったろう。目の前に拘束されて転がっている仲間たちが、目で復讐を要求しているのだから。
「…あんたもしかして『国連』のひと?」
外国人を見てまずトラブルを避けようとする、首都近郊の住民たちにはおなじみの確認作業。その辺は少し親近感を覚えてしまう。
国連職員が国際公務員で治外法権で、頭がこんがらがるのだけど、はっきりと言えることは、彼らに手を出すと警察の別の部署の人たちが動き出してしまうということである。公安とか言う人たちだ。順法精神は欠落しているくせに、警察のそうした暴力装置としての危険性には敏感であるらしい。
「コクレン? なんだそれは」
そのチンピラたちの躊躇を、ヘラツィーダの素直な応えが消し去った。
ならオッケー。目の前の極上美女は単なる獲物でしかなくなった。ヘラツィーダの身につける禍々しい金属鎧が目に入らないのだろうかと思うほどに、チンピラたちが見たまんまに油断し始める。
まあこの魔法時代に鎧なんて、せいぜい《電気系魔法》の避雷針になるぐらいが関の山であるだろう。普通ならば、だけど。
ちらり、とヘラツィーダが手首へと目を落とす。
それが『3分』という時間の確認作業だと察した冬夜は、頭を抱えた。
「よし。3分経ったな」
距離を狭めているチンピラたちを睥睨するごとく腰の剣を抜き放ち、緩やかな所作で構えに入る。あまりに堂に入っているので、時代劇の役者のように決まっている。
「剣ッ!?」
「飾りじゃねえのかよ!」
残念ながら飾りじゃないんです。一度そいつで殺された人が通ります。
手頃な枝に掴まって、するすると上の枝へと登っていく。位置エネルギーを稼いで概ねいけると踏んだ辺りで、全身のバネを使って跳躍する。
冬夜の元から軽い身体はそれだけで10メートルはあるチンピラたちの頭上を飛び越え、にゃんぱらりとヘラツィーダの前へと着地する。
「もう少し遅かったら始めてしまうところだったぞ。これだけ頭数があるなら、半分はわたしがヤッても問題はあるまい」
「その『ヤッて』が怖いんですけど。ぼくの時みたいなことは止めてくださいね。それやったら犯罪になりますから」
「生かしておけば問題はないのだろう?」
「切り傷禁止です。骨を折るぐらいにしてください」
「ちっ、めんどうな」
突如現れたメガネマンに、チンピラたちの目が急に力を取り戻していく。
あれ? あんたら急に元気になってどうしたの?
「よくわかんねえ金髪女とか、スゲーやりにくかったけどこいつなら」
「なんかこいつ空飛んできてなかった?」
「適当にこいついたぶってりゃ、女のほうもビビるんじゃねえの」
「それだ」
どうやらヘラツィーダさん相手は、違和感ハンパなくてやりにくかったってことですか。まあ分かる気はするけどね。
結局全員してこっちに向かってきたので、タゲは取るまでもなく冬夜に集中したようだった。
「これが暴徒鎮圧の定番魔法だ。見ておくがいい」
我慢していたのだろう。ヘラツィーダが機先を制して動いた。
「圧迫魔法」
ドンッ、と。
突然に一帯の重力が増した。正確には、チンピラたちのみ主観的な重力が激増した。
冬夜の高位把握野には、ヘラツィーダから放たれた《思惟力》が、『七つ髑髏』のメンバー一人ひとりに光の粒となって飛び込んでいくのが見えた。
そしてその一瞬後に、なぜだか彼らだけが恐るべき重力地獄にさらされることとなった。
「《重力》の魔法は、なにもおまえたちの言う《重力子》を直接操るだけが能ではない。《仮対象》付与法というやつだ。覚えておくがいい」
ヘラツィーダのこれだけの説明で理解できる人間は、この地球上に一人としていないだろうことはここで断言しておきたい。
これはのちにカグファ王女の説明によって明らかになるのだが、存在の基底となる《存在核力》に一定の振動を与えると、残像のように一瞬だけ《存在核力》が複数存在するように誤認される現象を指して言うものらしい。
つまりは相手の《存在核力》を《思惟力》で震わせてやると、その振動が収まるまで残像のように《存在核力》がコピーできるというわけだ。
重力は物体に一定にかかる相互作用なのだが、存在の基底である《存在核力》が複製されるほどに地球の重力は律儀にそれら個別に作用を及ぼし、結果それが倍掛け状態になる、という不思議理論がこの『圧迫魔法』の正体であった。まる。
「ぐはっ」
「やべ、息が…」
一帯何倍の重力がかかっているのかは分からないのだけれども、たしかに恐ろしく有効な『暴徒鎮圧用魔法』であることだけは分かった。
チンピラたちの壁が崩れて、その後ろで控えていた数人の人影があらわになる。
「どうやらあやつらが『幹部』らしいぞ、トーヤ」
目がやや細められただけで、ヘラツィーダがにたりと笑っているのが分かってしまう。相手の正体よりも背後の上司のほうが恐ろしい冬夜であった。




