019 ビン底仮面参上!②
「動きは、まあまあだった」
上司の評価は、まさに寸評だった。
その場にいた『七つ髑髏』メンバー十数人が行動不能になるのを見届けたヘラツィーダは、《ショックガン魔法》の効きが悪くて頭をもたげようとしていた男の即頭部を蹴り飛ばして、ほかに不備はないかと見回している。
「…だがこの程度のゴミ虫どもを、わざわざ個々に叩く必要はあったのか?」
「…『広域魔法』とか言うやつですか? それはまだ学校じゃ…」
「たとえばきさまが出鼻にやったようなヤツの応用でも何とかなっただろう。戦い方としては拙劣だが」
そこまで言われて、ああ、と思い至る。
公園の小路は砂利が敷き詰められているので、たしかに散弾のタマにはなんの不足もなかったかもしれない。まあしかし、地球人類平均の28倍の《思惟力》を与えられているとしても、瞬間に従えられる精霊子の数には限界があるはずで、難易度の高いといわれる《重力子》を用いた魔法……例えば小石をひとつ有効な打撃力を持った飛礫として飛ばすのに人類平均の倍の《思惟力》が必要だと仮定したなら、せいぜい飛ばせて14発が限界であるだろう。
その14発で、チンピラ10人を即座に無力化するというのは少し無理があるように思う。
その思い付きを口にすると、ため息を吐かれた。
「それはその瞬間の最大弾数だろう。『ダ』の力は……《重力子》魔法の発動は、誘導や加速させ続ける必要がなければ一瞬だけでよいのだ。物体に与えた力は運動力として保存される」
つまりは最初の運動エネルギーさえ与えてしまえば、あの小石たちを《重力子》魔法で命中まで管理する必要はない、ということか。なるほど。マシンガンのようにばら撒く要領で《重力子》魔法を五月雨式に運用するのも手かもしれない。
それだと『最初に与える運動エネルギー』をいかに素早く効率よく付加するかがキモになってくるな。瞬間で管理する弾数を減らして、1発当たりにぶつける《重力子》を増やしてみて……ああ、それならもっと効率的な『ぶつけ方』っていうノウハウとかがまた出てくるのか。これは突き詰めようとすると奥が深いな。
上司に与えられたヒントを手がかりに、冬夜の余剰した思考能力が勝手に思案を深めていく。その『思索』とでも言うべき知的作業が案外に楽しくて、状況を忘れて黙り込んでしまった冬夜を、上司のゲンコツが襲う。
「きさまはまず救い出した姫君に対して何かすべきことがあるだろうが」
腕組みして睨んでくるヘラツィーダの目配せで、先ほど救い出した女性がいまだにそこにいることに気付いた。
「騎士たるもの、他者の功績を掠め取ることはせぬ。はやく手当てをしてやるがいい」
「あっ、はい」
どうやら目の前に据え膳されている『役得』を、バカな部下が放置しっぱなしであることに苛立ったものか。それを特に『役得』とも思わない冬夜にはため息しか出ないのだけれども。
女性はジッと、冬夜のことを見つめ続けている。破かれた服が肌身を隠すのに不足しているために、自分の身体を抱くように隠している。改めて見ると胸元とかが大きく露出していたりストッキングが破かれていたり、思春期真っ只中な中学男子としてはてきめんに反応してもおかしくはないところだった。
少しだけ頭を振って雑念を払う。
それだけですぐに冷静になれてしまう自分がいやになる。
「これを着てください」
このまま帰すわけにはいかないだろうと、着ていたパーカーを脱いで女性に渡す。サイズはむろん小さいのだけれども、多少は伸びるだろうし我慢して欲しいところである。
女性は「ありがとう」とはにかんだようにわずかに俯いて、渡された服を受け取った。彼女が背中を向けて服を着替えている間、冬夜はチンピラたちを手際よく無力化していくヘラツィーダの作業風景を眺めていた。
チンピラをうつぶせに転がして、その両手を後ろで指と指を編みこむように絡め合わせる。そしてその絡まった両手を手で押さえるようにして、ヘラツィーダが少し念ずるようにすると…。
アラ不思議、道具もないのに完全に拘束されてしまった。
「こうやって力を入れにくい形に指を織り込んで、表皮組織を一部結合させる。これでこいつは、はがそうとしても痛みでそれができなくなる」
右手と左手の指が、驚くことに癒着してしまっている。
これはたしかに自分で引き剥がしたら恐ろしいことになりそうだ。自分で自分の耳を引きちぎれるぐらいの強靭な意思でもない限り、この拘束を抜け出すことはできないだろう。
「…コツは特定の皮膚組織をおのれの『思惟力』で過剰に浸してやることだ。皮膚組織の支配権を奪い、細胞をばらして互い違いに浸潤させる……トーヤ」
言葉を切ったヘラツィーダに、冬夜は後ろを振り返る。
「こいつらの尋問はやっておく。その方を安全な場所までお送りして差し上げなさい」
小学生と大差ない冬夜の服を着込んだわけだから、服がパッツンパッツン……いやムッチムチが表現としては適切か……な女性がもじもじと冬夜を見ていた。
この公園は『七つ髑髏』のたまり場であるので、戦闘の主戦場になる公算が大きい。会社帰りのOLなら人通りのある繁華街まで連れて行けばとりあえずは安全を期待できそうなのだけれども……このパッツンパッツンで繁華街に放置とかはけっこうな罰ゲームになるよな。
「もしかして家とかこの近く?」
「は、はい、すぐそこの、背の高いマンションです」
女性の指差したところに、いまでは建築が困難といわれている高層マンションが見える。歩いても2、3分という近さに、冬夜はほっと息をつく。
「…早く送り届けてこい。この岩みたいな顔のクソ虫が言うには、もう少ししたら幹部クラスがここにやってきてわれらを叩きのめしてくれるらしい。ふはは、こいつは面白そうだ! わたしひとりでもまったく問題はないが、貴様の実戦経験を積む上ではこの連中とのいさかいはなかなかに有用そうだからな、少しの間なら待っておいてやる」
「…少しって、どのくらい待ってくれるんですか」
「3分」
ちょっ、無茶な。
うろたえる彼をヘラツィーダがにやりと見やる。
この地球人と価値観を共有しない脳筋な天朝国人は、放っておくと簡単に殺人事件を起こしそうでかなり危うい。
「それらしき強い『ナ』を放つ存在が近づいてきている。おそらくはそいつが『幹部クラス』のヤツだろう。もうこの公園の外縁まで来ているぞ。たしかにここにいるやつらよりも毛が生えた程度には『ナ』の輝きが大きい。せいぜい誤差にしか見えぬがな!」
これはもう猶予がなさそうだ。
「ちょっとごめん」と、冬夜は問答無用に女性にタックルをかますように飛び掛って、そのまま肩に担ぎ上げた。そして間髪をいれずに、見えている高層マンション目指して最短距離を走り始めた。植え込みとか柵とかお構いなしに暗闇のなかを駆け抜け、歩道で通行人たちをぎょっとさせながら突き進む。
そうして1分とかからずにマンションの入口まで来て女性を降ろすと、そのまま踵を返そうとして……手首を掴まれた。
「あのっ!」
どうしても何か一言いいたいらしい女性が冬夜をじっと見て、何度か声を出そうとして失敗して口をパクパクとさせた。
そうしてどうにか紡ぎ出した「お名前を!」の問いに、若干動揺しつつ冬夜が返した答えが、
「いえいえ、ただの通りすがりですから!」
これであった。
いや、通りすがりとか自分でも意味わかんないし! なにやってんのぼくは。
それでも何とか彼が冷静であり続けられたのは、ひとえにおのれの泳ぐ目を隠し通してくれたビン底メガネのおかげであったろう。
街頭の明かりに屈曲レンズをきらりと光らせて、冬夜は女性の前から姿を消したのだった。
以後、巷を騒がせることになるビン底仮面の最初の目撃例が、まさにこの瞬間のことであったりする。
白いスカーフマスクにビン底メガネ。
秘密のヒーローの特徴はかなり強烈であった!