016 パンピー生活を守れ!①
「…なるほど、たしかに『身体的特徴』は見事なまでに符合しとるねえ」
身長143センチ。(※注/中学2年生(13歳)全国平均約159センチ)
体重38キロ。(※注/中学2年生(13歳)全国平均約49キロ)
「小柄の男子生徒で、厚底のメガネをかけていると。なるほど、ちょっとその辺りでは見かけないようなユニークなメガネだね」
ビン底のメガネチビ、と教頭先生が口にしかけて……咳払いしとともに『小柄でぶ厚いメガネの男子生徒』という穏当な表現を校長先生が被せてくる。
そこは職員室に繋がった一室……校長先生の部屋である。
応接セットのソファはもうすでに先生方で埋まっている。招き入れられつつも、冬夜たちには座るべき場所もなく、ただ立っているしかなかった。
「七瀬冬夜君だね? ここに呼ばれた理由で何か心当たりはないのかね?」
「…いえ、まったく」
先生たちの厳しい空気に気後れしつつも、覚悟を決めてここにきた冬夜は、少しの逡巡の後にきっぱりとした否定を口にした。
これだけ腕力と縁のなさそうなチビガリが暴力沙汰? さも理解できませんというように不思議そうな顔をして見せる。
集まってくる視線のプレッシャーはビン底メガネがシャットアウトしてくれる。おのれの身体に起こったスペックアップが心理的余裕に繋がっているものか、気持ちは予想以上に落ち着いている。
否定して見せてから、隣に立つ砂姫をチラ見する。
幼馴染として培ってきた以心伝心を当てにしての目配せであったのだけれども……ダメだ、彼女は上の空で完全に空気に飲まれてしまっている。
そのとき予定外に、生徒会長の由解明日奈と目が合ってしまう。臆面もなく一言で否定した彼に驚いているふうであった。
「あの『セブンなんとか』という愚連隊は、前々から教育委員会のほうからも注意喚起がありましたが、立件されるような暴力事件をいくつも起こしている非常に危険なグループのようです。そんなたちの悪い輩といさかいを起こすなど言語道断ですが、それよりもなによりも、人に魔法を向けて平然としているような不良グループ相手に、我が校の生徒が大立ち回りを演じたなどと、そのような信じられない内容の話がわたしの耳にも届いています。…むろん、わたしはまったく信用などしていませんが」
校長先生はまっすぐにこちらを見てくる。
冬夜はその「教育者として生徒を信頼している」という、生徒側の善性に対してプレッシャーを与えるやり方は、正直ずるいと思う。
冬夜の高位把握野は、この場の意味と教師連の思惑を推測し続けている。どうにかして審議の潮目を読み取って、パンピー生活継続というまだ見えない対岸へと泳ぎ着こうとしている。
必要以上に相手に情報を渡さないことがここでは重要であると彼は見切っていたのだが…。
「…あれは不可抗力だったんです! 冬夜はわたしをあいつらから守るために……必死に抵抗しただけなんです!」
「…ッッ」
ぐふうっ。
予想したとはいえ横合いから高波がやってきた。
冬夜丸が転覆するから! 柄杓で水を入れないで!
「…いさかいがあったと言うのは、事実なんだね」
「はい、そうで…」
「こっ、校長先生! よろしいでしょうかっ!」
慌てて会話の流れをインターセプトした冬夜は、さっと室内の様子を見回してから、応接セットのテーブルに目を止める。
彼らが呼ばれる以前から問題について話し合っていたのだろう、人数分の湯飲みと急須が置いてある。
そのうちのほとんど手のついていなかった、お茶の多めに残っていた湯飲みに瞬時に意識を凝らせる。
「…うわっ!」
場の高まった緊張感が、一瞬ではじけ飛ぶ。
突然湯飲みが倒れてお茶が飛び散ったものだから、応接セットの先生たちが火傷を恐れて反射的に中腰になった。
集めた《重力子》を一瞬にして吹き散らして証拠隠滅を完了させる。《重力子》の上から下へという流れを、湯飲みの傍で横向きに変化させただけである。湯飲みは倒したのではなく、ただ横向きに『落ちた』だけであった。
「すいません、大声を出して。すぐに片付けますので、お話の続きを…」
「ああ、布巾取ってきます!」
応接セット組が揃って落ち着きをなくしたので、話は完全に折れてしまっている。むろんそれを狙っていた冬夜は、間髪を入れずに手洗いに行くと宣言して、砂姫の腕を取って強制的に廊下へと連れ出した。有無を言わす隙など与えない。
廊下に出るや砂姫を物陰に引っ張り込んで、きょとんとするその両手を押し包むようにして強く握り締めた。そしてメガネを取って目で訴える。
「砂姫姉。…お願いだからここはぼくに任せて」
「…えっ、だって冬夜」
「…もしも相手に怪我人とか出てたりしたら……正当防衛でもこっちは怪我もしてないし、下手したら過剰防衛……ぼく停学になっちゃうんだけど?」
「………あっ」
「砂姫姉は、ぼくを停学にしたいの?」
「………」
見つめられて、頬を染めた砂姫がぶんぶんと顔を横に振る。
念を押すようにずいっとさらに顔を近づけて、これみよがしな作り笑いでとどめのプレッシャーをかける。
「…ぼくが砂姫姉に『同意』を求めたら頷いてね。それだけで十分だから」
「……ッッ」
ぼふっと音が出そうなぐらいに真っ赤になって、砂姫はコクコクと頷いた。
これでとりあえずは何とかなるかと肩の力を抜いた冬夜であったが…。
「あら、手洗いにいったかと思ったら、仲がおよろしいのね」
びくううっ!
後ろに由解明日奈が立っていた。
怜悧な美貌として完成しつつある明日奈のとってつけたような微笑は、冬夜の作り笑いよりも数日の長がありそうだった。
少し首を傾げただけでも、明日奈の姫様カットはさらりと波打った。
「…もしかして根回し?」
振り返ることもできない冬夜の耳元に顔を近づけて、くつくつと上品に笑う明日奈に戦慄が走る。
それでも顔を覗きこまれる前にビン底メガネをすばやく装着し終えられたことは上出来だった。表情を悟られないと言うだけで、落ち着きが回復していく。
「…いい匂いね。シャンプーかしら?」
メガネで顔は隠せても、女性化したことによる体臭まではどうしようもない。
しかも彼のそれは、天朝国の魔法仕込の特別製である。
「ぼくらは戻ります。…会長もお手洗いだったら早く行ったほうがいいですよ」
砂姫の手を引っ張って、明日奈の視線を振り切るようにして校長室へと向う。
高位把握野の性能のためか、見えていないはずの背後の明日奈が、腰に手をついて目を細めているのが分かってしまう。
確実に怪しまれたに違いない。
「ふーん」
廊下に取り残された由解明日奈の一言が、いよいよ彼のSAN値をガリガリと削った。
「2年なのに、《重力子》も使うのね」
バレてるし。