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001 出会い





「…エアコン、効き悪すぎじゃねえの」


ぱたぱたと紙の団扇をあおぐ少年の手が、勢いを増して上下する。


「仕方ないじゃない。だってあれ、もう10年前の骨董品なんだもん。動いてるだけで表彰状もんだって」


その隣で同じように団扇をあおぐ少女。

その目線の先には、ごううっと吹き出し口をがたつかせながら老体に鞭打つエアコン様の御姿がある。

教室の風景にいささか不釣合いな、家庭用の壁付けエアコンであるが、壊れるたびにジャンク屋が持ち込む備品なので、生徒はそれが何代目のものなのかはまったく知らない。

授業中であるというのにいささか遠慮に欠ける前席ふたりの会話に、後ろで黒板を書き写していた少年が顔を上げる。長い前髪に半ば埋もれるようであった眼鏡の位置を直して、いま気付いたとでも言うように強い日差しを投げかける窓のほうを見た。

たしかに、暑いな。眼鏡の少年はつぶやいた。

教室の一番後ろの席で外を眺める少年に気を払う生徒はいない。


「電圧、とかいうのが足りないんじゃねえの」

「用務の術士が地味にがんばってるから動いてんのよ。使えねえおっさんとか言ってないで少しは感謝したら?」

「将来『生ける電源』に永久就職とか……うわぁなりたくねえな」

「あんた休み中に補講なんだって? 赤点量産してると、アレだってあんたの有力な就職先なんじゃないの?」

「…おま、それひどくね」

「一級公認魔術士の就職先なんてほんと売り手市場だけど、《二級》から下いくと急に目も当てらんなくなるし……少しは現実を直視して真面目に修行とかしたらどうなのよ」

「オヤジが電鉄の運行士様やってると、言うことが違うねえ」

「電車の制御系、操るのは相当高度なのよ? 電子精霊をなだめすかして細かな基板上の制御下に置く繊細な作業、あんたに出来るの?」

「………」

「術技が低空飛行中のあんたには、雲の上過ぎて分かんないかも知んないけど」

「…ちッ」

「なによ」

「…そこの二人うるさい!」


担任の女教師が投じたチョークが驚くべき勢いで舌打ちした雑談の生徒に向い、それが間一髪で避けられたことで無関係な後席の少年に被弾する。

命中するや否や砕け散った当たり、チョークの勢いがいかばかりであったかお察しである。


「すげー、《重力子(グラビトン)》使ったよ。チリチリが見えたもん」

「大丈夫かあいつ」


眉間を打ち抜かれて、無言で轟沈した不幸な少年の名は、七瀬冬夜。

チビでガリで地味でフツメン、成績もいたって普通……見たまんまにモブな少年のその日の午前の授業は、不可抗力的にそこで終了することとなった。

一応この物語の主人公ではある。



***



外宇宙知的生命体と、記念すべきファーストコンタクトを果たしたのがアメリカでもロシアでも中国でもなく、地表面積的に相当に見劣りする日本であったのは……列国から相当に猜疑の目を向けられていたものの……まったくの偶然であったようである。

地球最大の海洋である太平洋を『降り易そう』と魔女っ娘の母艦が判断したことも、惑星の自転が自然と彼らを西向きに押し流したことも、この極東でのファーストコンタクトを成立させるうえで非常に都合よく作用した。

そうして隣国の挑発行為に対応しすぎて条件反射的にスクランブルをかけた空自戦闘機によって魔女っ娘の母船は誘導され、江戸時代の開国のプロセスをなぞるように下田に程近い駿河湾沖に腰を落ち着けることとなる。

遅まきながらこの歴史的イベントに気づいたアメリカ海軍が他国の領空はオレの空的なジャイアニズムを発揮して盛んに飛来するようになるが、これを鬱陶しいと魔女っ娘が大規模魔法《万象改変》をぶっ放す…。

《万象改変》……地球文明を支えていた高度な電子制御技術が、塩せんべいを割るくらいに容易く打ち砕かれた瞬間だった。

後に人類の叡智が結集して原因を追究し、自然界の力をつかさどる4つの力……むろん人類がいまだ知らぬものもあるだろうが……『重力』『電磁力』『弱い力』『強い力』と呼ばれるそれらが、大規模魔法《万象改変》によっておそろしく恣意的なそれへと書き換えられたのではないかと一応の結論に至ったその現象は、


素粒子(ケージ)の精霊化』


と端的に呼ばれている。

ともかく、そのおそるべきパラダイムシフトを境に、アメリカ自慢の一機数十億の最新鋭戦闘機が蚊取り線香にやられた蚊のように次々に墜落したらしい。科学の粋を集めていただけに、その理屈を否定されるとあっけないものだった。

かくして電子たちが流れることを『拒否』することで、突発的かつ必然的に全世界を襲った大停電。

これが《グレートリセット》の始まりだった。




すべての科学技術の産物がガラクタと化し、茫然自失するしかなかった人類が、その騒動の首謀者を知ることになるまで数日間……海上自衛隊が苦心の末に連絡艇をオールで漕ぎ出すという裏技を編み出して、どうにかこうにか日本政府代表団を魔女っ娘母船に送り込むまでに2日、そして世界の理が改変されたという超絶情報が世界の主要国に拡散するまでの一週間ほどのタイムラグは、人類諸国を峻別する試練の時間となった。


『科学崩れの7日間』


後にそう呼ばれることとなる空白の期間に何が起こったのか…。

ここで目を閉じて想像してほしい。

見えてくるだろうその光景は、治安機能を喪失したある国での略奪騒動……ヒャッハーな世紀末的混乱の様子だ。パトカーが動かないどころか、110番通報さえ出来ない未曾有の大停電である。当然のように、おのれの欲望に対してこらえ性を持たない類の人々が世界各地で一斉に暴動を開始したのだ。

そのさまが想像できたならば、ここでもう少し想像力を羽ばたかせて欲しい。

それら獣のごとき暴徒たちが、調子に乗ってやったらダメなやつを……生活インフラとか銀行とかメディア放送局とか……高度社会の維持に不可欠なそれらを、ただただ破壊衝動に突き動かされて壊しまくるさまが浮かんでくるのではなかろうか。重要な工場は炎上し、目に見える車は片端から破壊されて……田畑は種籾すらすべて略奪され荒れ果てる…。

結果は……もうお分かりだろう。

科学の諸原理が無効化されたっぽいこの世界で、現状どの国も復興の資材を量産、調達することはかなわない。世界中の高炉は止まり鉄鋼生産はゼロ、セメント工場も動いてはいない。あらゆる生産工場がストップしたこの状況で、破壊されたインフラを再建することはもはやかなわない。

暴徒たちはおのれの破壊衝動を満たしたいばかりに、国民すべてが生活の支えにしていた国の基盤をことごとく破壊しつくして、おのれ自身が頼るべき未来への道までもご破算にしてしまったのである。

世界の国の民度はそれぞれである。

国土のほとんどが破壊されてしまった国が多数生まれた一方、比較的それらの被害が少なく、どうにかこうにか文明国家としての体裁を保つことが出来た国もいくつかあった。日本は非常に幸運なことに、最も被害の少なかった国のひとつであった。


「…信じられない。まるで前時代のようだ」

「信じてくれた? 電車動いてるって」

「実際に見てみるまで信じる気はなかった。日本が文明を保存してるというのは本当だったのか…」


白人? もしかしたら北米系の人だろうか、車両の窓に張り付くように、流れ行く外の景色に見入っている。スーツ姿の同行の女性が、いささかドヤ顔なのが気にかかったが、まあ持ち前の高度な交通インフラを保存しえたことにプライドをくすぐられる日本人は多かったのでいたし方のないことだったのかもしれない。

その風景を大勢の同乗者たちが生暖かく見守っている。

《グレートリセット》により科学文明という鎧を剥ぎ取られた人類であったが、地球最大級の大脳皮質を持つ彼らは論理的思考力まで失ったわけではなかった。直後の思考停止状態から回復した人々のなかに、失われた科学の復興を追及する潮流が生まれたのは必然であったろう。


「…しかし、ジーザス……この路線を維持する大電力を一日中供給し続けるなんて、理屈はわかっても、あまりに非人間的で虐待に近いです…」

「外国の方はよくそう言われるんですけれど、電源供給職は雇用が安定するんでなかなかの人気職なんですよ」

「わたしたちには絶対に無理だ。『この国』だからこそ、こういった復興が可能だったんでしょう……オンリーインジャパン…」


『科学崩れの7日間』に暴動らしい暴動も起こらなかったこの国には、他国ではもはや得ることが永久に出来ない産業、交通、その他諸々のインフラがほぼ保存され、それらの復旧に対して独特のアプローチが試みられることとなった。

そのひとつが、『復興電源特措法』である。

魔法が使えるかもとか色めき立っているうわついた若者たちを、公園のベンチで静かに観察していた下町工場の社長が、ある子供の『電気系魔法』をみて天啓の雷に打たれたという。夢のないことはなはだしいが、いまの心臓停止状態の国を早急に復活させるためには、いかに早く既存のインフラの息を吹き返させるか……とどのつまり、それは電源をいかに早く回復させるかなのだと、工場の操業停止に悩んでいたこの社長は看破したのである。

法案は、速やかに臨時国会を通過し、驚くべき短期間で成立した。

かくして《グレートリセット》後、唯一人類に希望をもたらすはずであった『魔法』技術において、日本は恐ろしく『電気系』に偏重した人材育成をまい進していくことになる。

まさに想像の斜め上を行く変態国家ここにありだった。



***



(『生ける電源』か……まあ食べていけるんならそれでもいいか)


その外人の慨嘆に聞き耳を立てていた同車両のなかに、帰宅途中の少年の姿があった。

つり革にぶら下がって深いため息をつく七瀬冬夜(14)。彼は浮ついているその白人男性を見、その同行者の女性を見て、さらにその奥に陣取っている明らかに人類ではない、二足直立する亀としか言いようのない乗客を見る。

むろんその異形の乗客をチラ見している人間が他にいないわけではないが、それがそこまで珍しいことともいえない時代に日本は入りつつある。

見れば他にも、つり革に尻尾でぶら下がっている猫っぽいやつもいるし、座席に座って古書っぽい本(いまでは需要大復活だ!)を凝視している河童っぽいやつもいる。

天朝国(ハインセット)王女の御膝元である日本は、否応なく外宇宙のエイリアンたちに、最低限の衛生措置を条件に門戸を開かねばならなかった。


「あの外人、また《国連》のひとかな」

「………」

「ちょっと、聞いてる?」


耳を引っ張られて、そっちを見る冬夜。

いつも登下校を同じくしている上級生、お隣の和菓子屋のお姉さん。

色白で黒髪パッツンな、1歳上の中河原砂姫さんである。眼鏡をかけているあたり冬夜とお揃いであり、チビガリな冬夜に比べて背も高いので、そのまま姉弟に見えなくもない。

幼馴染の異性と登下校一緒とか、なかなかに胸がときめきそうなシチュエーションなのだが、冬夜にそのあたりのざわめきはない。

不幸にも砂姫姉さんは少々手遅れなほどにお腐りになっておられるのだ。


「最近多いのよねえ。治安がいいからって呼んでもないのに国連本部が引っ越してきちゃって、職員も任期以上に居座るし芋づるで家族も呼んじゃうし。あのひとたち国際公務員だっけ? このまえうちの店にも来て、平気で万引きしてくしむかつくのよねー。千円だけ置いて五千円の箱もってっちゃうし! そんときは日に焼けてて南の国の人っぽかったけど。知ってる? あいつら警察も捕まえられないのよ。外交官と同じ治外法権があるんだって」

「ふーん」

「同人誌(薄い本)とかも人権侵害だとか騒ぐ気持ち悪いババアもいてさ、ひとさまの国に来て自分とこの理屈を押し付けんなって……冬夜?」

「あ、ぼくはここで降りるから」


いつも降りる駅のひとつ前。

用事の内容を察して、砂姫も口をつぐむ。


「ばあちゃんによろしくね。そのうち喉に詰まんない最中とか持ってったげる」

「うん、言っとく」


冬夜は両親をなくして、いまは母方の実家である祖母のもとに引き取られている。その引き取り手の祖母が体調を崩して入院しているのだ。

その祖母の家にいまはひとり暮らし。寂れた商店街の、シャッターの下りっぱなしな駄菓子屋が彼の家だった。

同じ商店街、助け合いの精神というのだろうか、砂姫姉との登下校もそんな心配から始まったものだ。

何気ない日常。

駅で手を振って分かれた彼に、その日運命の岐路がやってくる。




病院への見舞いの帰り。

すっかりと暗くなった街路を足早に進む冬夜は、その日たまたま厄介そうな手合(DQN)いが道を塞いでいるという理由で、慣れない横道を進んでいた。

繁華街というか飲み屋街の、裏口側の細い道。

脂と洗剤と湯気の混ざったような臭い。

甘酸っぱい腐臭の漂うゴミ捨て場。

顔をしかめながら通り過ぎようとしていた冬夜であったが、視界の端でそれを認めてしまったがために彼の人生は大きく狂いだすことになる。

ゴミ袋が山のように積み上げられた路地の一角に、白い人の足のようなものがちらりと見えたのだ。

どきりとして立ち止まり、忌避感と好奇心がせめぎあった後に後者が勝利し、冬夜の足は路地の暗がりに進んだ。

もしかしたら捨てられたマネキンか何かだろうと、希望的観測を胸に抱きながらゴミ袋の山を巡ったとき、その裏手にさかさまに寝っころがる酒瓶を抱えた幼女を発見する。

ゴミ袋の山の中腹辺りに、気持ちよさそうに爆睡する銀髪の幼女。

体勢が体勢だけに、パンモロである。

色は白であった。


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