013 主従、現実に向き合う
七瀬家の財政は、現状火の車です…。
能天気にご飯を要求する宇宙人たちに、包み隠さずそう伝えると……カグファ王女はよろよろと後ずさってから、ぺたんと尻をついた。
「貧乏はもういやなのじゃ…」
貧乏って、ちょっとそれどういうことなのかな。
突然押しかけた居候にそういうことを言われると、若干ピクリと来るものがある。中学生が一人食べてくぶんには十分にあるんだけどね!
七瀬家の現在の収入源は、働き手がいないのだから当然のごとく入院中の祖母の年金のみ。それも《グレートリセット》後に、「取り込み詐欺だ!」と大ブーイングが起こるほどにカットされてしまった額のものだ。
入院費用を含んだ医療費で半分近くがすぐに溶け、水道光熱費に電源維持特別税、固定資産税、各種保険代、その他いろいろな出費を差し引くと、冬夜の手元にひと月の生活費として3万円ほどが残る。
生活保護申請? そういう制度があったのは知っているけれども、《グレートリセット》後の生産性が著しく落ちたこの国で、収めるものも収めていなかった人たちに対するセーフティネットは大劣化している。詳しくは分からないけれども、年金暮らしのほうがいまは何倍もマシなのだそうだ。
まあそれはともかく。
生活費は1日1000円。
自炊していれば子供ひとりなら何とか暮らしていける額なのだけれども、ここに居候ふたりを抱え込むというのは、はっきり言って最初から破綻している。
「…カグファ様は、その、『王女様』なんでしょう? 王様に言って、生活費を支給してもらうとかできないんですか」
「……ひぅ」
「姫様! お気をたしかにッ!」
いまをときめく宇宙人、天朝国の王族だとか言われて、どれだけ大金持ちなのかと思っていればこの寸劇である。お金がないのは分かりました。もう分かりましたから、そのべそをかくようなむせび泣きはやめてください。近所に聞こえたらどうするんですか。
「それではわらわの起居する小宮の造営もできぬと申すのか…」
「ショウキュウってなんのことですか」
「この惑星での我がルプルン家の本邸、中枢とすべき宮殿じゃ」
「………」
「…いまおぬし聞かなかったことにしたな。なぜそこで急に洗い物に没頭し始める!」
お隣から分けてもらった重曹で食器洗いを始めた冬夜に、居候たちが抗議の声を上げる。臣下は主にその身その財産をなげうって仕えるもの、出し惜しみして主に恥をかかせるなどあってはならぬこととまくし立てるヘラツィーダに、冬夜は水道の蛇口を閉めてから振り返り、腰に手をついた。
「最初から足りないものを、どうやって増やせっていうんですか」
「…このような屋敷もあるのだ、伝来の家宝や隠し財産などが些少なりとも眠っていよう。それを持ち出してだな」
「この年季の入った『シャッター商店』のどこを探したらそんなのが出てくるんですか。家中をひっくり返したって10円玉が出てくれば御の字です」
「ほほう、その10円玉とやらがあれば…」
「うんまい棒でも買うんですか? それだって販売再開後はかなり小さくなって実質値上がりしたくらいなのに…」
「ウンマイボー? それは武器か何かなのか」
「子供のおやつです」
「………」
どうだ。この完膚なきまでの貧乏感。
青くなったってなにも出てなどこないのです。むしろここで暮らすのなら生活費を入れてもらってしかるべきところだと思うんですが。
「…わらわはおぬしの主じゃぞ」
「生き返らせてもらった手前、それは否定しません。もう人間やめちゃってるっぽいので」
「ならばもっとこう、敬ったりとかちやほやしたりとか」
「そうだぞトーヤ。生き返らせていただいた大恩を忘れたとは言わさぬぞ!」
「…もともとヘラツィーダさんに殺されたのが原因でしたよね?」
「………」
「………」
ちよっ、ヘラツィーダさんなに剣を抜いて立ち上がってんですか。
訓練にはまだ早い時間ですよね!?
「待て、ヘラ」
そんな近衛隊長の暴走を制止したカグファ王女は、パンモロの格好で胡座に腕組みして、思案深げに言葉を継いだ。
「たしかにこの弧状列島の現地国家……『日本国』と申したか……は、リアルマネーによる貨幣経済で成り立っているようだ。わらわも3年の放浪で何も学ばなんだわけではない。この地で何かを得るためには、それ相応の対価を用意せねばならぬ。店先の物に勝手に手を出すと追っ手がかかるゆえな」
「認識阻害をすればものを得るのは児戯に等しいものですが」
「それダメだから。窃盗だから」
「今後のことを考えれば、新領の運営やその他諸々、足りぬものはすべて現地民から入手せねばならない。まずは手元資金が必要であることは間違いないのだ」
「姫様…」
「聞いてますかー」
ぽく、ぽく、とトンチ小僧の知恵をめぐらす音が聞こえてきそうな三者だんまりののち、予定調和のごとくチーンとという幻の擬音とともにカグファ王女が顔を上げた。
「貨幣を得るためにはまず『物々交換』がもっとも原始的な手段となろう。…ならばわらわたちが所持するもので、かつこの『日本国』で価値のあるものを金銭とトレードするのがもっとも簡便であろう。…トーヤ」
「はぁ」
「この国で価値のあるものをいくつか挙げてみよ。物によってはこちらで用意できるものもあろう」
なるほど、物々交換ということなら、けっこう現実的である。
もしも何も手だてがなかったならば、暇と元気を持て余してるっぽいヘラツィーダさんに、新聞とかの募集欄によく見かける『臨時電源職/日払いOK』という働き口を謹んで推薦しようと思っていたのだけれども。ヘルメットに作業着を着て、変電所に詰めている美貌の日雇い人を頭に浮かべてしまう。
笑いの衝動をこらえながら、価値のありそうなものをひとつずつ挙げていく。
「金とかプラチナとかあるけど資源取引で国内にたくさんだぶついてるらしいし、宝石とかはどうなんだろう……意表を突いて黒マグロ? 産地がひどい有様で数が少ないっていうチーズとかワインとか……お肉も高すぎて手が出ないよなー……そういえば学校で銅線の銅が慢性的に足りないとか聞いたかな」
「…その『銅』とやらはどのくらいで売れるのだ」
「あー、えーっとね、…たしか昨日のもらった饅頭の包み紙の新聞に……あったあった」
今日の朝に、お隣からもらった饅頭の包み紙を見つけて……3枚の紙をたたんだだけの薄いいまどきの新聞の4面の隅に、小さく取引レートが記されている。
えーっと、1トンで4548000円?
(………)
いまひとつ価値が分かりづらい。
1キロで4548円? 価値が高いのかどうかがピンとこない。
ちょうど同じ欄に金の取引価格も載っている。
えーっと、1グラム320円?
…。
……。
………1キロだと32万円?
てっきり不足している銅のほうが高いのかと思ったら、金のほうが断然高かった。
過去の高騰していた時代の金の価値を知らないので、冬夜にはあまり驚きはない。そういうものかと思っただけだ。
「なんじゃ、『金』のほうが高いのか。よかろう、いじれるか試してみるぞ……見本の『金』とやらと、返還元の鉄くずか何かを持ってまいれ」
「いじるって、…見本の金なんて持ってないけど」
「見本を見ねばどんな物質か観察できんじゃろう。この目で『金』とやらの《#&*?%》を見極めねばいじりようがないではないか」
「…この家のどこ探したってそんなものはないって。『銅』ならかろうじて鍋があった気がするけど…」
「…仕方があるまい、その『銅』でできた鍋と鉄くずを持ってまいれ」
「待ってて」
そうして冬夜は、台所から銅製の手鍋と、裏の物置で溜まっていた古釘とネジなどをまとめて持ってくる。
渡された手鍋をしげしげと観察していたカグファ王女は、しばらくして納得したように小さく頷くと、古釘の山に手をかざしてぶつぶつとつぶやいた。
ややして古釘がびりびりと震え出し、線香花火のように火花を迸らせ始める。
そうして気がつくと、釘、ネジ、ナットの形をした『銅』の塊が転がっている。赤味を帯びた光沢が、紛れもない物質変換が成し遂げられたことをたしかに物語っていた。
その銅製品を握り締めて、ドヤ顔のカグファ王女。
散々その魔法のすごさを自慢しまくられたわけだが……買取商で査定してもらった結果、それらは全部で500グラムほど、2000円で引き取られていった。
通貨の価値をまだ理解していないカグファ王女は、それからしばらくは得意満面を維持していたものの、わずかな米とレトルトのカレーを3つ買っただけで羽ばたいていったのを見て、静かに灰になった。