009 チートの芽生え
長谷部裕也という人間を、冬夜は観察する。
まだもてあまし気味の高位把握野がともかくなにがしかの計算対象を欲しているがために、特に求めずとも長谷部の『術者』としての性能を見透かしてしまう。
いけ好かない奴だけれども、こいつの実技成績が学年でもトップクラスであるのは間違いない。となれば有用なサンプル対象である。
特に意味もなく、冬夜はビン底メガネを指先で押し上げた。
(…相手のスペックがステータス画面みたいに数値で見えればいいのに……隊長さんのいう『物差し』が分かりにくいよ…)
術者の能力を測るのに、もっとも単純な方法は『相対圧迫法』と呼ばれるものである。隊長いわく、魔力(いわゆる思惟力)を一定量の塊にして、相手の存在中心に向って打ち出してみる、というものである。
予期せず他者の干渉がおのれの中心に迫ってくると、無意識の防御反応が生まれ、それを打ち消すための魔力が存在中心から放たれるのだという。
その塊が打ち消されるまでの距離や時間で、相手の素の実力を測る、というものである。脳筋の隊長さんの教え方があまりに感性的であるがゆえに、理屈は分かっても肝心の『基準』が曖昧すぎて使えない。
ちなみに天朝国臣民の一般平均を100として、近衛騎士と同等の《存在核力》をねじ込まれたいまの彼は、140相当の魔力出力を備えているのだという。
ちなみに地球人類の魔力……《思惟力》出力は、『5』だという。
何か昔そんなマンガを見たことがあるような既視感を覚える、もの寂しい数字である。
(1%ぐらいの塊を作って……どうだ?)
1%といっても、しょせんはイメージの数量化でしかないので、正確さはまったくない。小指の先ほどの大きさに固めた《思惟力》の塊が、ふんぞり返っている長谷部の存在中心に向って飛んでいく。
《思惟力》の塊は、太陽に向っていく彗星のように、燃え上がりながら相手の体表から30センチぐらいのところでわずかに火花を散らして消滅する。
(…わ、分からないかも)
「いつまで座ってんだよ。立てよ」
「…あ、うん」
ぐずぐずしている冬夜に長谷部が苛立ったように声を荒げる。
いつものようにもたもたするでもなく、予備動作もなく猫のようにしなやかに立ち上がった彼に、長谷部は少し眉を動かした。
そうして二人は相対する。
早くも長谷部の右手に小さな放電が始まっている。空気中のイオンを長谷部の《思惟力》が寄せ集めて、電気量を増幅させているのが観える。空気中の光の粒が、長谷部の意思の力によって掻き集められているのだ。
《思惟力》とはそのまま意思の力の体現であり、願望を実現させる作用を持つ。量子力学で明確化されていなかった観察者効果……意思ある観察者の介在により結果に歪みが生ずる現象は、《思惟力》理論の導入により解決されたとされる。
(…ん?)
長谷部の術技発動のプロセスを観察していた冬夜は、指先に集められた電気がとっくに放電してしまってもおかしくないほどにその内圧が高まっていること、そしてそれが『第2の術技』によって押さえ込まれているという事実を看破する。
例えるなら刀の鍔のようなもので、『おのれが感電しない』という願望に沿って《思惟力》が絶縁性の『ハンドガード』を形成しているいたのだ。
(なんだよちゃんとしたやり方があるのかよ)
心の中で舌打ちする冬夜。
自分にはなかなかできなかったショックガン魔法の、よく考えれば当たり前のノウハウが目の前にあった。電気を集めても放電させないとか、神のような制御技術が必要なのはおかしいと思ってはいたのだ。
長谷部が自らの『気付き』でそれを得たのかは定かではない。あるいはコミュ障気味の冬夜には縁のない、まわりの大人や先輩たちとの繋がりから、コツの継承を受けるルートが存在したものか。
いやしかしこのノウハウはどう考えてもショックガン魔法には必須だろう。
実技の先生がなにゆえその大切なことを教えようとしないのか、いろいろと深読みしてしまう。
電気を集める術技とそれをガードする術技。ふたつの術を併用できて初めて実施可能なノウハウである。あるいは生徒たちが魔法の経験を積み、魔法の同時発動に慣れたころに教授するタイミングが用意されているのかもしれない。
冬夜はのちに知ることとなるが、中学生が教えられる実技は『失敗の痛みを教える』ことに主眼が置かれ、実際的な運用術は高校からとされていたりする。
まあともかく、学級委員の長谷部は、中学二年にして高校レベルの魔法運用を駆使しているのだ。同級生の中で頭ひとつ抜け出るのもいたしかたのないことではあった。
(…電気の絶縁は《電磁力》の透過の拒絶をイメージするとして、それを電気塊との間に展開するのに慣れがいるのか……って。わぁぁ!)
ひとりでごにょごにょとつぶやいていた冬夜に、長谷部が前振りもなく拳を叩きつけたきたのだ。
とっさにガードするものの、ショックガン魔法の特徴として、拳の物理威力をとどめても、電気ショックはどうしても食らわざるを得ない。腕のガードに拳が当たった瞬間に勝利を確信したのだろう、女子たちにはけっして見せることのない歯をむき出しにするようなほの暗い愉悦の笑みが冬夜に向けられていた。
が、しかし。
絶縁のガードのみ形成に成功していた冬夜によって、電気ショックが通ることはなかった。出力に問題のある防御魔法であったので、電気を弾き飛ばしたばかりか接近していた長谷部本体までついつい突き飛ばしてしまった。
「…あっ」
予想もしていないシールドアタックを無防備のまま受けてしまった長谷部は、後ろに尻餅をついただけでは止まれずに、二度三度と転がって、体育館の壁によってようやく受け止められる。
一瞬何が起こったのか、長谷部には理解できなかっただろう。
まわりでにやにやと『いじめ』の風景を眺めていた長谷部の取りまき立ちも、バカみたいに棒立ちになって目を剥いている。
生徒たちを監視していた実技の先生が、倒れ伏している長谷部を見て声を上げて駆け寄ってくる。護身術訓練では多少の怪我は黙認されるものの、興奮してそれ以上の加害を加えようとする生徒も皆無ではないので、先生の行動は迅速であった。
が、それよりも長谷部が立ち上がるほうが若干だけ速かった。
垂れた鼻血を拭ってぎょっとするのも束の間、彼は怒りを滴らせて冬夜に飛び掛ってきた。
魔法によってガードされたなどと露にも思ってはいないのだろう。たまたま冬夜のガードがラッキーパンチよろしく入ってしまった……仲間たちにみっともないところを見られた……そんな恥辱が長谷部の顔を紅潮させる。
むろん得意のショックガン魔法も通っていないのだ。やはりというか成功体験を踏襲する流れで、帯電した拳が、今日ばかりは教師の視線のブラインドを突いてなどという小狡さもかなぐり捨てて襲い掛かってくる。
ああこれは、と冬夜は息を詰める。
そうしてわれながらびっくりするほどに、のんびりと思案した。
(…ああこれは相当に痛いやつだなー。食らったら悶絶するかもだけど……さっきのガードは覚えたから弾き飛ばすくらいはできるんだけど……その後始末がちょっとやだなー。勝つのは簡単だけど急に目立つのは、この顔のことも女になっちゃったこともあるし、やっぱ避けるのがベストだよなー。…ていうことは、この攻撃はとりあえず食らっといたほうがいいんだよな)
興奮しているのか、長谷部が手に集めている電気量は相当に多くなっている。ただ少し優秀なくらいの中学生に、人を感電死させるぐらいのショックガン魔法を作り出せるとはとうてい思えない。
多少の苦痛を織り込んで受けてやってもいいんだけれども、痛みが多少で済めば、の話である。
「長谷部ッ! やめんかっ!」
先生も長谷部の箍がはずれていることに気づいたようだ。
でももう遅い。長谷部の繰り出した拳が身体に接触するのが断然に速い。
電撃を食らうのはいい。でも痛過ぎるのはいやだし、予想外の痛手を受けて失神でもしてしまったときには、気絶している間にいろいろと知られたくない秘密がバレてしまうかもしれない。
わずかでもリスクは負えない。
ならば。
(…長谷部の電撃は受けない)
拳が接触する瞬間を、冬夜はほぼ棒立ちのまま迎え入れた。
そしてインパクトの瞬間に例の絶縁魔法を発動する。
そのままの勢いで、パンチを肩に食らった冬夜は、もんどりうつように身体をひねりながら後ろに向って倒れこむ。
そこで状況の不自然さを糊塗するために、おのれでショックガン魔法をガードなしで発動……そして管理された適度な感電。空気を叩くような、ショックガン魔法独特の音が鳴り響く。
そうして尻餅をついたまま肩を押さえて苦悶の芝居を敢行すれば状況は完成である。
「長谷部ッ! やり過ぎだ!」
次の瞬間、長谷部の姿は実技の先生の背中の向うに消えた。
一瞬だけ見えた長谷部の表情が、目いっぱい狼狽していた。彼もまたおのれの魔法が過剰に振るわれたと自覚したのだろう。
「大丈夫か、七瀬」
「…はい」
「誰か! 七瀬を保健室まで連れて行ってやってくれ!」
「先生! ほ、ほんとに大丈夫ですから…」
「いちおう念のためだ。見てもらってこい」
結局、冬夜は保健室送りとなった。




