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1-旅立ちと出会い

少し前まで、リーシェ・ペティシュは宮廷に仕える歌い手として忙しい日々をおくっていた。


外国からやってきた来賓のために晩さん会で美声を披露するのはもちろん、わがままな王妃から命令されれば、すぐにでも駆けつけてご機嫌取りしつつ歌う。

さらに貴族の令嬢やご婦人からも、やれお茶会で歌ってはくれぬか、やれ子守唄を歌ってほしいだの、些細な用事で急に呼びつけられることがままあった。


歌い手の仕事は、王宮内だけにはとどまらない。

国が誇る歌い手として、各地で大きな祭りごとがある度に毎回遠出して、えんえんと王を称える賛歌を歌う仕事も任されている。

また、月に一回は教会を訪れ神に歌をささげる。騎士隊の慰問と称して聖歌を歌い兵士を鼓舞する。とにかく歌づくしの生活だ。


楽師といえば聞こえは良いものの、精神的にも肉体的にも疲れ果てる仕事だとリーシェは思っていた。


ただ、疲れはててくたくたになっても、リーシェは歌うことが大好きだった。

器量も要領も良くないリーシェにとって、歌だけが、唯一自慢できる特技であり生きがいなのだ。


貴族たちは心の底で平民出のリーシェを嘲っているようだったが、そんな彼らですら、歌の美しさだけは認めざるをえないほどであった。



――ところが、奇跡の声をもつ歌姫の運命は、突然、ある魔法使いによって強引に捻じ曲げられてしまう。


「俺の眠りを妨げるなんて良い度胸じゃないか」

「おまえの歌はひどく不愉快だ」

「アルス=マグナが命じる。歌声よ、反転せよ。万物に仇なす呪歌となり果てるが良い」


たったそれだけ。

神の悪戯でふりかかる災厄のように、リーシェの歌声を奪った"反転の魔法使い"、アルス=マグナ。

呪いをかけると同時に、彼はささやくような言葉を残した。


「ただし、おまえが俺を探し出し、再び言葉を交わすことができたのなら――その時はおまえの呪いを解くと約束しよう」

「せいぜいあがいて俺を楽しませてくれ。歌姫リーシェ・ペティシュ」


歌を失い、宮廷から追放されたリーシェは、たった一人で、アルス=マグナを探す旅に出たのだった。


******


フォルマース郊外。

王都から3日ほどの距離に位置する森のはずれを、リーシェは歩いていた。

旅装束に身をつつんだその姿は、宮廷に居たころの女らしいリーシェとは全くの別人と言っても良いほどだった。


すこしだぶついた革の上着に、動きやすい柔らかな厚手のズボン。

実用性重視の暗い色でまとめられた服装には、華やかさなどみじんもない。


切れ長で涼しげな空色の瞳と、少し骨っぽいはっきりとした顔は相変わらずだが、宮廷に居たころに比べると、はっきり疲労の色がでている。

腰まであった茶色の癖毛は、宮廷を追放された時にざっくりと耳の下で切りそろえてしまったから、ちょっと観察する限りでは青年のように見えるだろう。

一人旅をするのなら、男と思われた方がなにかと好都合で安全だ。



リーシェは、王都ナザルルから、最寄りの宿場町・フォルマースを目指し足を動かしていた。


どうにかして、反転の呪いをかけたアルス=マグナを探し出し、呪いを解いてもらわなければならない。

探し出したからと言って約束通り解呪してもらえる保証はないが、行動しなければ、歌は永遠に奪われたままなのだ。


無論、呪いをかけられた直後は、リーシェ自身、魔法使いの言葉など全く信じていなかった。

普段どおりに幾度も歌を歌った。

けれど、その歌は、魔法使いの呪いによって、聴く者に苦痛を与える呪歌になりはててしまっていた。


自分では以前と同じように歌っているつもりなのに、周囲には、とてつもなく醜悪な歌として聴こえているらしい。

皮肉なことに、美しく歌おうと思えば思うほど、歌の"殺人的な"能力は上がるようだった。


実際、リーシェがこの森に入ってから、狼や人食い猿にも出くわしたが、すべて歌を歌って撃退している。


喜んでいいのか分からないが、魔獣など聴覚が鋭い存在には、人間以上に呪歌が効くようだった。

5秒も本気で歌えば、魔獣がもがいて泡をふきながら崩れ落ちていく。

そこをナイフで殺せば良いのだから簡単だ。


魔獣や人間など、生物相手の戦いであれば、下手な兵士よりも処理能力が高いのは間違いない。

そういう意味で、女の一人旅とはいえ、ある程度の安全は確保されていた。



――"呪い"が本物であると気付いた時、リーシェはすぐに王都ナザルル中を捜しまわったのだが、アルス=マグナは既にどこにも居なかった。


王都に居ないとなると、どこへいったのか全く見当もつかないが、人や物流の拠点であるフォルマースを通る可能性は高いはず。

本人とは会えなくても目撃情報くらいはつかめるだろう。

そう考えて、リーシェは一人、宿場町フォルマースを目指して歩き続けているのだった。




町まであと少しの距離だ、とリーシェが少しだけ気を緩めた瞬間。

突然、視界の端になにかが飛び出してきた。


よくよくみると、ひどく焦った様子の長身の男だ。


褐色の肌と尖った耳を見る限り、ダークエルフに違いない。

銀を垂らしたような美しい髪が印象的な、整った顔の色男。

しかし、全速力で走ってきたせいか、毛が跳ねて鳥の巣のようになってしまい台無しだ。

細かい金の装飾があしらわれた見るからに上等そうな白い燕尾服を、ところどころ泥に汚しながら必死にリーシェの方に走ってきた。


リーシェは何事かと男の後方を見やる。

大岩に見間違えるほど立派な体躯の、熊と狼を掛け合わせたような魔獣が、大きく口を開けて男を追いかけている。


「すみません!そこの方!!」

男はリーシェと目が合うなり、息も絶え絶えに叫んだ。

「私をたすけていただけませんか!この熊、にげてもにげても追いかけてきて!」


「なんだその熊?!」

リーシェは驚きのあまりとっさに怒鳴ってから、顔をしかめる。

高貴な身なりをしているが、護衛の一人もつれていないのだろうか。もしくは既に食われたか…。

自分だけならこのまま逃げるのは簡単だが、そうすると、この男も間違いなく魔獣に食われるだろう。

このまま放ってもおけない。


「もしかしたら助けられるかもしれない!ただし、耳を強くふさいで!!!」

「耳?よくわからないですが、お願いします!こんなところで死ぬわけにはいかないんです!」

「いいから!死にたく無ければとにかく耳をふさぐんだ!」


男が耳を塞ぐのを待たず、リーシェは息を深く吸って歌い出す。

歌えないほどに近寄られてしまったら、リーシェにはなにもできない。

悲しいことに、今は呪歌だけが身を守る最大の武器だ。


「δκη♪……Ψξγφεδκγφ――♪」

ひどい不協和音を何重にも重ねたような歌が、音の濁流と化して熊を襲い出す。

醜悪で、邪で、混沌。この世のすべての汚い物を溶かして混ぜ込んだような、そんな音の集合体だ。


これが人間の声であると、だれが信じるだろうか。

邪神の猫撫で声だと言った方がよっぽど信憑性がある。

人間の本能に、恐怖を、嫌悪を、吐き気を催す呪いの音。

しかし、響き渡る"それ"は、たしかに"歌"の形を成しているのだった。


「グルルギィィィイイィィイイイ!ガリァグウウゥウウウルァアアアアアアアッッ」

熊の雷のような悲鳴が天を衝く。

人間ですらまともに聴けば10秒ももたず地に倒れ伏すだろう猛毒の歌だ。

聴覚が鋭い魔獣にとっては圧倒的な暴力以外の何物でもない。


熊が倒れるまで、リーシェは歌を歌い続けた。

強い魔物なのは間違いない。けれど、魔獣は歌に抗うすべを持たなかった。


ほどなくして、熊は意識を失って地面に倒れこむ。

リーシェは素早く近寄り、熊の頭と心臓があるだろう位置にナイフを何度か突き刺した。


不慣れながらも必死に止めをさし、ピクリとも動かなくなった熊の死を確信する。

ようやく一息ついて、男はどこだと周囲を見渡した時、リーシェは愕然とした。


「この男、一応耳をふさいでいたはずなのに、卒倒してる…」


自らの歌の予想外の威力に青ざめつつ、無言で男の手首をとり、おそるおそる脈を確認してみる。

よわよわしいものではあったがちゃんと生きていた。


きっと疲れがたまっていたのだろうと、リーシェは無理やり自分を納得させて、男が意識を取り戻すのを待つことにした。


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