十八、発見
翌日の夜、ハーツイーズが《男爵ホテル》に来た。相変わらず警察の調査や捜索に進展はないまま二回目となる歌姫の公演が始まって三十分が過ぎた頃だった。夕食を終えた私が食堂から出たと同時に正面玄関から入ってきたハーツイーズがこちらに駆け寄る。走ってきたのか頬は上気し、肩で呼吸をしていた。
「棗はまだ聞いてないだろう」
「何をですか」
「サントリナが骨で発見されたんだ」
ハーツイーズの言葉に周囲の客や従業員が一斉にざわめいて視線を向けてきた。私はとりあえず彼をロビーのソファーに座らせ、厨房でレモネードを用意する。息を整えていたところ差し出されたレモネードを一口飲み、ハーツイーズは語り出した。
「エンプティで少女の死体が発見されたと、ついさっき警察から連絡があった。全身の肉がほとんど削ぎ落とされていて、白骨化した状態だったらしい。それでも残されていた脚の皮膚にある黒子や残されていた肌着、骨の大きさからサントリナだと判断された。当然公会堂で公演中だった歌姫にも連絡が行って、今は警察の霊安室にいるらしい。記者が蛆虫のように集っていたぞ」
言い終えてからレモネードを半分まで飲んだハーツイーズは、私の耳元で囁いた。
「ここだと人目につく。お前の部屋に行くぞ」
「わかりました」
まだざわざわとしている客や従業員に背を向け、私達は六階に上がった。部屋に入り、扉の鍵をかけてから、私は堂々と他人のベッドに腰掛けるハーツイーズに訊ねた。
「死体は水路の中で発見されたんですか?」
「いいや。誰かが引き上げたらしく、水路脇だった」
「エンプティで死体が見つかるなんて珍しいことではないでしょう」
「だがその死体は有名な歌姫の娘サントリナだ。これは大きな話題となるだろうな」
エンプティの住人はなんでも食べる。人の道を外れた行為も平気でする。そして高級で着心地がよさそうな服であれば、いくら血や汚水に塗れていようが関係なく死体から剥ぎ取るはずだ。だから肉が削ぎ落とされ、服が肌着しか残っていなかったのだろう。
もし脚でなく顔の肉が残っていれば、一目で暴行を受けたとわかる。けれどもハーツイーズも私もサントリナの脚には何もしていない。精々階段から落ちたときの怪我しか残っていないだろう。私達が彼女に暴力を振るった痕跡は恐らく見つからない。ハーツイーズは愉快そうに笑った。
「この調子だと警察は、サントリナの死を迷宮入りにすれば有名な歌姫やその関係者から批判を受けると考え、生贄としてエンプティの人間を犯人に仕立て上げるはずだぜ」
エンプティの住人はきっと自分達にかかった疑いを晴らそうとすらしないだろう。そもそもエンプティにいるよりも刑務所に入っていた方がまともな食事もできて快適だと言われれば、むしろ犯人になることを承諾するかもしれない。銃殺される可能性も十分にあるけれど。そこまで考えたところで、私の頭に小さな疑問が浮かんだ。
「ところでハーツイーズ。どうしてわざわざ走ってきてまで、私にこのことを教えたんです。何もあなたが教えてなくても、この話はいずれ自然と耳に入ってきますよ」
「知ってる。まさか本気でわからないのか」
「何を」
「棗に会うために決まっているだろう」
ハーツイーズが私の手首を掴んだかと思うと勢いよく引いた。その勢いのままベッドに倒れ込んだ結果、私はハーツイーズを組み敷くような体勢になる。退こうとしたが、彼は手を離そうとしない。
「女を上に乗せるのは久しぶりだ」
喉を鳴らして笑うハーツイーズが、手首を握っている方とは別の手で私の頬を撫でた。蟀谷から顎までの輪郭をすうっとなぞるようにする。
「お前って表情も少なくて地味な顔だと思っていたが、近くでじっと見つめるとそんなに悪くないな」
そのとき部屋の扉がノックされた。私達はほぼ同時に扉を見た。
「棗。アンゼリカだけど、いる?」
「はい」
「棗に用がある同級生のセージって名乗る男の子が一階に来ているんだ。どうしようか」
ハーツイーズを見ると、一瞬遅れて彼も私を見た。特に親しい仲でもないセージが私に用があるとは信じがたい。アンゼリカにどう返事するか迷っていると、ハーツイーズが耳打ちしてきた。
「ここに連れてくるよう言え。多分、セージにとって用があるのはお前にじゃなく俺だ」
私は頷いて扉の向こうに言った。
「彼をここに連れて来てください」
「わかった」
足音が遠のき、私達はベッドの上に並んで座った。やがて二人分の足音が近づいてきて、一人が扉の前に立ち止まるともう一人はそのまま通り過ぎていった。無言のままノックされる。私は扉を少しだけ開けた。緩く波打つような癖があるワインレッドの短髪と淡い榛色の三白眼を持つ、やや緊張気味のセージが唇を引き締めて立っていた。
「こんばんは、セージ。ここに来るなんて珍しいですね」
「ハーツイーズを捜しているんだ。棗ならどこにいるか知っているんじゃないのか」
「ええ。中にいますよ」
セージはわずかに顔を顰めた。私の部屋にハーツイーズがいるということに嫉妬しているのだろう。私は扉をさらに開けた。
「どうぞ」
憤然とした表情を崩そうとしないセージはすぐにハーツイーズに近づいていった。
「そんなに棗が気に入ったのか」
「だったらどうする」
ゆっくりとした動きで脚を組み、挑発的な笑みを浮かべるハーツイーズ。それに対してセージはしばらく黙っていたが、不意に声を潜めるようにして言った。
「俺は知っているんだ」
「何を」
「歌姫の娘サントリナが行方不明になって騒がれる日の前夜、ハーツイーズと棗がエンプティに行っていたことだよ。俺はあの夜、久しぶりにハーツイーズの家を訪れたけれどきみがいなかったから外にいないかと捜していたんだ。そこで偶然エンプティから二人が出てきて、別れるところを見かけた。――ついさっき白骨化した死体がエンプティで見つかったって、叔父が教えてくれたよ」
「ああ、セージの叔父は警察だったな」
動揺した様子など一切感じさせず、ハーツイーズは頷く。
「お前は知らないと思うが、棗はよく夜に出歩いてエンプティにも行く。俺もたまにエンプティに行くことはお前だって知っているだろう。偶然会う機会はいつだってある。何が言いたいんだ」
「きみ達二人が殺したんじゃないのか」
それを聞いたハーツイーズはおもむろに立ち上がり、自分より背の高いセージの左頬を殴りつけた。さらにハーツイーズはベッドに倒れ込んだセージの身体を仰向けにさせると馬乗りになり、顎を掴む。その力は随分強いらしくセージの顔は歪んだ。痛いのだろう。
「あんまり短絡的なことを言うなよ、セージ。どうせお前は俺に構われなくなったから、このことを叔父に告発するとか言って脅そうと考えているんだろ。言っとくが俺も棗もサントリナを殺してはいないんだから、そんなこと意味がない」
言い終えてハーツイーズはセージと唇を重ねた。唇の端から唾液が垂れるほどに舌を絡ませてから、乱暴にセージのズボンを下ろした。するとセージがハーツイーズの肩を押し退けようとする。しかし体格では勝っていても純粋な力勝負では勝てないらしい。あるいは本気で抵抗しようとしていないのかもしれない。
「やめてくれ、ハーツイーズ。謝るから」
「何を今さら純情ぶってるんだよ」
「頼む。棗が見ているだろ」
セージの弱り切った目が私を見た。私はその視線を避けるように学習机の前へ移動し、椅子をベッドに向けてから座る。
「だからどうした。こいつは慣れているんだから、見せつけてやればいい。それともあの新米教師が混ざる方がいいのか」
ハーツイーズはセージを軽くあしらい、自分のいいようにした。行為の最中、彼はセージの上に跨ったままで一度も自分が下で仰向けになることはなかった。下半身だけ服を脱いだハーツイーズが何度も身体を上下させていると、最初は私を気にしていたセージも次第にハーツイーズの細い腰を掴んで自分の腰を弾ませるようになった。そしてようやく解放されたセージは服を整えて、ハーツイーズを見つめる。一方でハーツイーズは何も言わずにシャワールームへ入っていった。必然的に私とセージの二人きりになる。
「棗もハーツイーズのことが好きなのか?」
「わかりません。もし仮に好きだとしても、あなたほどではないですよ」
「……どうしてハーツイーズは棗を選んだんだろう。きみには失礼かもしれないけれど、あいつにはもっと相応しい人がいると思わないか」
「それはセージのことなんですか?」
彼は言葉を失い、しばらく沈黙してから首を横に振った。
「別にハーツイーズは私を選んだわけではないでしょう。彼は本当に淫靡ですから、一人だけを選ぶことはしないと思います」
「確かにそうだな」
悲しそうに微笑んだセージは、次に真剣な顔で訊ねてきた。
「きみ達は本当にサントリナの死と無関係なのか」
「ええ。無関係ですよ。確かにあの夜、私とハーツイーズはエンプティで偶然会って、一緒に歩き回った後で別れました。それだけです」
「そうか。すまない、疑ったりして」
「構いません」
「……今月の半ばからハーツイーズの付き合いがいきなり悪くなって、その代わり棗と一緒に教室を出ていくことが増えて、悲しかったんだ。だから、気を引こうとしてあんなことを言ってしまった。確かに短絡的だったな」
言い終えたセージは静かに部屋から出ていった。その五分後にシャワールームの扉が開き、ハーツイーズが出てきた。右手に持ったタオルで首に張りついたプラチナブロンドを拭きながら、湯気の上がる赤らんだ裸体を惜しげもなく晒している。
「セージはどうした」
「帰りました」
「ふうん」
「冬期休暇に入って彼と会ったことは?」
「一度もない。あいつは変に一図なところがあるから、きっと今日まで誰も抱いていないんだろうな。誰かが混ざるのはいいくせに、俺じゃないと駄目だとか言うんだ」
その後ハーツイーズが服を着て部屋から出ようとしたとき、突然扉が開いてフェンネルが顔を見せた。目の前のいかにもシャワーを浴びたばかりというようなハーツイーズに軽く苦笑すると、部屋の中には入らず廊下に立ったまま口を開く。
「サントリナの死体がエンプティの水路脇で発見されたんだ。今一階に警察が来て色々と説明をしている」
「そのことは俺がもう棗に伝えた。何人かの客や従業員にも聞こえていたはずだぜ」
ハーツイーズはそれだけ言うと足早に去っていった。フェンネルは彼が階段を下りたことを確認してから私に向き直る。
「五分ほど前には癖毛で背の高い少年が下りてきたんだ。彼には警察の叔父がいるだろう。市長の息子までも一緒だったなんて、一体お前達は何を白状させられたんだい?」
「フェンネル。私もハーツイーズも白状するようなことは何もありませんよ」
「僕の思った通りだ。手がかりになるものは何もないようだし、三日もすれば自然とエンプティの住人が犯人として挙がり、歌姫も娘の骨と首府へ帰るだろう。しばらくは記者が押しかけてきそうだが、従業員一同には今回のことについて何も喋らないように言っておいた。すぐにここはまた平穏に戻るよ」
愛嬌と狡猾を併せ持つ狐のような笑みを浮かべ、フェンネルは続ける。
「それにしても僕はお前とハーツイーズが彼女を直接殺さなかったことがどうも腑に落ちないんだ。二人なら――いやどちらか一人だけだったとしても簡単なことだろう? まあ、お前達にもそれぞれ思うところがあったんだね。さあ、もうおやすみ。今夜はもう一階に下りてはいけないよ。そのうち歌姫が狂ったように泣き喚きながら帰ってくるだろうから」
フェンネルは私の頭を優しく撫でた後、額にキスをした。




