ゆめのかなしみ
棗は朝から不機嫌だった。
その証拠に淡い茶色の髪をかきむしっている。
理由としては男に貢がせたチョコレートが、棗のすきなゴディバではなかったからだ。
あれだけ言ったのに、と棗は男をさんざん罵倒した。
「つかえないおとこね」
柔らかいピンク色のくちびるから出された声は、小鳥のさえずりのようにきれいだった。
その陶器のように白い肌に長い指を這わせながら後ろのベッドに倒れる。
するとそれまで棗をみていたまたちがう男が起きあがった。
「姫はごきげんななめなのですか?」
口角をだらしなくあげて男は棗に言った。
棗はふふ、と笑い、男のくちびるを足の指で押さえつける。
「だまってください」
きっと男をにらみつけて、棗はゆっくりと立ちあがった。
「かえります」
きっぱりと言い放つと男はやれやれ、とでも言いたげに手を動かした。
棗は気にせず、ハンドバッグを掴んで扉をあけた。
もうそろそろあの男にも飽きたかな、と棗は思った。
外にでると、ぽちゃぴちゃ雨がふっていた。
夏のあめは湿気ていて、熱気がこもっているようだ。
天気予報もみない棗には傘もなかったので、ためらわず雨に濡れた。
しかしそれは決してぬれねずみとかいうものではなく、蝶が雨の中を舞っているようだった。
アスファルトが雨に濡れて、独特のにおいをかもしだす。
ふとみたみずたまりに映る己の姿をみて、棗のきぶんはすこし高揚する。
道路には時々車が通るけれど、歩くひとは棗以外にはみあたらない。
そして棗の姿はハイヒールの音とともに、町へ吸いこまれていった。