9.魔王の提案
歴代魔王の中には私設兵団や親衛隊を組織したり、専任騎士を持つ者も多くいた。
例えば先代魔王は、それまでの戦で武功のあった四名を四天王とし、守護の要としていた。
だから、魔王が騎士を持つこと自体は特別変わったことではない。
「まずは表向きの話をしよう。二ヶ月前、魔王城に乗り込んできた勇者一行は、私と激戦の末に逃亡し、未だ行方知れず。
今回の事で一層の国力増強と治安維持の必要性を痛感した私は、大胆な組織改革を発表する。
その一環として“竜王の遠縁にあたるアレンという青年”を私の専任騎士に任ずる」
案の定、アレンは小首を傾げたまま難しい顔をしている。だからあくまで“表向きの話”だと言っただろう。
「以降、お前は自由に城の内外を行き来できるようになる。…念のため城内と城下の地図を」
「あーーーッ!そうだよ、それっ!外出許可と地図、もらいに来たんだった!ナニ、俺たち以心伝心?」
そうか、良かったな。ご期待に添えたようで何よりだ。だがここから先。
“裏側の話”は、恐らくお前にとって非常に不本意かつ納得いかないことだろうよ。
「以心伝心かどうかは知らんが…“アレン”などよくある名前だ。民はさして気にもしないだろう。
人間界に対しては“魔王が騎士をつけたらしい”程度の情報しか届くまい。
万が一、騎士の名が“アレン”だと判っても、勇者アレンと同一人物だと判断するのは難しかろう」
嬉しそうに頷いていたアレンが突然、恐る恐るといった様子で犬王と蜂王の顔色を窺い出した。
「…安心しろ。王たちは全員、お前が勇者だと知っている」
「ちょっ…ちょっと待ってくれ!俺の正体をちゃんと知ってて、さっきまでのチヤホヤっぷりだったのか!?
俺は勇者だぞ!コイツを…アンタらの魔王を殺しに来たんだぞ!?それが騎士って!」
「陛下がそうしたいって言うなら、ねー?」
「アレン様のお強さはかねがね伺っていましたし、ごく自然な反応だと思いますが」
「いやいやいやいや、おかしーだろっ!アンタらとは直接、戦ってないからいいとして、他の奴らは!?
鷲王とか甲王とか魚王とか…騎士になるどころか、俺が魔界にいることすらイヤなんじゃないのかっ!?」
ほほう。お前に、慮るという意識があったとは驚きだ。その割には城内を平然と闊歩し、外出までする気だったようだが?
…まぁ、確かに。多くの王はお前たちと戦って手酷く惨敗した。常識的に考えれば恨んで当然。だが
「王たちは、魔王継承というシステムも知っている」
「……え!?なっ…あー…んんっ???」
「彼らにとって勇者は、魔王を倒そうとする憎き外敵であると同時に次期魔王候補。
自分を乗り越え、自分が認めた現魔王すらも倒した者ならば、新たな魔王として受け入れよう…とそういう考え方なわけだ。
もちろん民は知らぬ。これは各種族の王たちだけが知る、魔界最大の秘密の一つ…」
アレンが不安そうな瞳で私を見つめてくる。…酷い話だろう?知らずに傅く民も可哀想だが、一番の犠牲者は勇者だ。
人間界を救う為のはずの旅が、魔界にとっては魔王選抜試験だなど、有り得ないにも程がある。
しかし、そんな有り得ない事を可能にしているのが、私の額に浮かぶ“魔王の紋章”。
「もしあの時、お前が勝利していたなら、お前が魔王になっていただろう。
だが私たちは決着をつけること無く和解し、共に魔界の為に尽力しようと手を取り合ってしまった。…そうだったな、アレン?」
私の問い掛けにアレンは一瞬、口を開きかけたものの、犬王と蜂王の顔を見て黙って深く頷いた 。そうだ。
お前と私が“魔王の紋章”の謎を解こうとしているなど、王たちには絶対に知られるわけにはいかない。
魔王が元勇者だと知りながら仕えるのが王たちの務め。
民を欺き、命懸けで勇者の力を確かめてまで受け継がせてきた魔王という存在。
それを無くそうとしているなど、王たちが許すはずがない。
「……そうだね。でも、それ以上に…あんたがあんまりキレイで…もっと見てたいって思ったんだ」
言いながら、何処か陶然と私を見つめるアレン。
犬王と蜂王は口元に手を当て、頬を赤らめながら私とアレンを見比べている。
…くっ、バカが。これではお前に口説かれてその気になった私が、側に置く為に騎士にしたいと言い出したようではないか。
いくら全てを内密に運ぶ為とはいえ、そのような醜聞……いや、待て。
王たちが何と言おうと互いを生かしておく私たちの関係を納得させるには、それくらい突飛な理由が必要か。
戦いの中で愛が生まれ、共に生きる道を選んだ二人…考えただけで反吐が出るな。
だがこうなった以上、私も腹をくくろう。
「やめろ、こんな人前で。…二人っきりの時に、ゆっくり聞くから…ね?」
「はぁーい。わかったぁ♪」
おい、大丈夫だろうな?これは演技だぞ?
あくまでそうした方が都合が良いからという苦渋の決断での演技だと、理解してその満面の笑みなんだろうな?
どうにも自分からドツボに転がり込んでしまった気がするが…
「わ…私とお前の個人的な感情はともかく。お前は私との決戦にまで辿り着いた次期魔王最有力候補。
しかし当のお前と私は、最終関門であるはずの決戦を放棄してしまった。
それ故、現在のお前の立場は非常に微妙になっている。
次期魔王として丁重に扱うべきか、魔王になれなかった者としてそれなりに扱うべきか…」
「それであんたの騎士、か」
「あぁ。確かに前例の無い事ではあるが、実力は王たちも十二分に認めるところ。
もし別な勇者が来ても、お前に負けるような者ならば私と戦う資格なぞ無い。
そもそも、お前が勇者の証たる聖剣エクスカリバーを持っている限り、そんな者など現れはしないだろうがな。
万が一、お前の中の勇者としての意識が揺り起こされ、再び私に剣を向けるならそれも良し。
今度こそ決着をつければ万事解決、というわけだ」
「なるほど…」
そう言ったきり、アレンは顎に手を当てて何やら考え込んでいる。…解っているのか?
お前に選択の余地は無い。勇者のままのお前が魔界に留まるなど、獅子身中の虫。
魔王にもならず、殺される気も無いなら、せめて恭順を示す必要がある。
名ばかりの魔王の騎士。だがその名は、お前が勇者のままでいるためには最も意味がある。
「…わかった」
言ってアレンは立ち上がると、神妙な面持ちで私のそばに歩み寄って来る。
椅子に座ったままの私をじっと見つめ、何をするかと思えば……膝まずいた。
「手」
「は?」
「いーからホレ、手ぇ出して」
いぶかしみながら右手を伸ばすと、膝まずいたままのアレンが恭しくその手を取る。
「…魔王ノルベール陛下に、永久に変わらぬ忠誠を」
ちゅっ…。
濡れた音と共に手の甲に落とされた、微かな痛みと生温い感触。
見ればそこにはキスマークがくっきりと浮かんでいた。
ひどく満足げにニヤニヤと笑うアレン。…あぁ、そうか。そういうこと、か。
「確かお前は平民の出で、こういう所作には縁がなかったはずだな。
アレンよ。お前のような者を一般的に何と言うか知っているか?」
「んー…なに?」
「世間知らずの不埒者、だッ!!」
言って私は右手を拳に変え、そのままアレンの眉間に叩き込んだ。
「へぶっ!?」
珍妙な悲鳴を残してアレンは倒れ込み、声も無く悶絶する。眉間は人体急所の一つ。
如何に勇者とて鍛えられる場所ではない。次にやったら鳩尾に肘鉄か、脛に蹴りを入れてやろう。
そんな事を考えながら、私は温くなった紅茶をすすった。