6.図書館にて
「…あ、俺、魔界の古代語、読めるわ。さすが勇者サマ、顔だけじゃなく頭もイイのね♪」
決戦から二週間。退院した私と勇者アレンは、魔王城内の図書館で古い書物を読み漁っていた。
「えーと…“かつて世界は一つだった。光と水と緑に溢れた世界一ーエスペランザ。希望を意味す…”
…あ、これ知ってる!ロゼッタストーンに刻まれた神話だ!へぇ、魔界にも人間界と同じ神話があるんだぁ」
図書館では私語厳禁と教わらなかったのだろうか。
私の正面に座った勇者アレンは、先程からずっと独り言を言っていて煩くて仕方ない。
本を戻しに行きがてら席を移しても、すぐに私の前に移動してくる始末。
「…少しは静かに出来ないのか」
「あんたがそうしろってんなら黙ってるけど?」
「では静かにしろ」
落ちる静寂。聞こえるのはページをめくる音だけ。それにしても静かすぎる。
もしや寝ているのではと視線を上げると、勇者アレンはじっと私を見ていた。
「何だ、私の顔に何か付いているか?」
「いやー、もしゴツいオッサンとかエグい触手が魔王だったら、一緒に本を読んだりとかヤだったろーなぁ、と思って。
つか、あの話自体、信じなかったかもしんないし。あんたが魔王でよかったよ」
ニコニコと笑う勇者アレンを無視して、私は手元の本を読み進める。今、読んでいるのは初代魔王リリトの頃の蛇族の手記。
伝承によればリリトは時の竜王の力を借り、戦乱の渦中にあった魔界を平定して魔王になったという。
流石に、リリトが具体的にどのような経緯で“魔王の紋章”を額に頂き、“魔王”になったかという記録は残っていないが。
少なくとも当時の竜王は一部始終を知っていたはずだ。
まして現竜王オディロンによると、竜王は新魔王誕生の現場に立ち会う事が義務付けられているという。
以上を踏まえると、魔王継承というシステム確立に当時の竜王が関与していたのは明らか。
ではなぜ私は、竜族ではなく蛇族の手記を読んでいるかというと
「なぁ…前から気になってたんだけど、魔族っていやぁ竜ってのが定番だろ?
なのになんで神話に出てくる魔族の代表はヘビなんだ?」
「…お前、意外と鋭いな」
「え、そぉ?…って“意外と”はヨケーだろっ!?」
そう。勇者アレンが言うように、時代を遡れば遡るほど魔族の代名詞として蛇が出てくる。
魔界一の兵力を誇り、数多くの兵や将を輩出する武の名門・蛇族。
なかでも戦略家として名を馳せる歴代蛇王は、参謀として常に影から魔王を支えてきた。
そして蛇王もまた、新魔王誕生の現場に立ち会う事が義務付けられた存在。
「言うなれば光と影。竜王が表なら、蛇王は裏。そうして魔王という存在を支え続けてきたのであれば…」
謎を紐解く糸口は蛇族が握っている。竜族では駄目だ。核心に近すぎる。
実際、現竜王オディロンを問い詰めた時には、そうする事が当然、何をどう疑問に思うのか…といった様子だった。
現蛇王ルーファスも似たようなものだが、それでも違和感程度は感じていたらしい。
『正直、なぜこの様な惨劇を私が見届けなければいけないのか…と思いました。
人間同士の殺し合いの果てに生まれた魔王が魔界を統べる。それ程までの強さを、我ら魔族は求めているのでしょうか。
だとすれば。血の海で嗤う陛下を見て、恐怖と共に歓喜を覚えた私は…魔族としての業が深いのかもしれません』
「ーーーールぅ…おーい、ノルベールぅ。だいじょぶかぁ?」
ハッと意識を目の前に戻すと、勇者アレンが私の顔を覗き込んでいた。
いかんな。思考のるつぼにはまって余計な事まで思い出してしまった。
「大丈夫だ、何でもない。それよりお前、私の顔ばかり見ていないでちゃんと調べたらどうだ」
「ふふーん。そういうコト言うと、せっかくのスゴいこと教えてやらないぞー?」
「ほほぅ、言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」
勇者アレンが自慢げに指差す先には古い書物。先程の神話の続きが書いてあった。
「…“交わらぬ螺旋の交わり。一つが二つ、二つが一つ。血と涙と死と生と。二つの世界は互いを乞う”……これがどうした?」
「なんかエロくね?」
長い沈黙。あまりの阿呆さ加減に唖然としていると、勇者アレンはニヤニヤしながら自説を語り出した。
「交わるはずのない二人が交わって一つになるんだ。血は…初めてなんだろうなぁ。
涙は…液体、汁、おツユってこったろ?ホントの涙でもいいけど。
死と生ってのは…多分、オトナになるってことだ。そうやってお互いに求め合って、幸せいっぱ」
「頭が痛くなってきた。部屋に戻る」
「はぁあっ!?待てって!こっからがイイとこなんだから!」
私室に戻る道すがら、勇者アレンはひたすら私にセクハラまがいのご高説をぶつけてくる。
絶対に結ばれるはずのない二人が運命的に出会って恋に落ちるとか、周囲の反対を押し切って一夜を共にしてしまうとか。
そんな二人の愛が人々の心を変えるとか、世界を救うとか…どこまで夢見がちなんだ。
「つまりお前は、私とお前がそうなれば世界の理を覆せると?」
「可能性の一つとしちゃ、考えてみてもいいんじゃない?
歴代の勇者と魔王でそうなった奴らはいないみたいだし、ヤってみる価値はあるかと」
私は深い溜め息をついた。こんな頭が下半身のような男に、どうして負けそうになったのだろう。
今更ながら自分の力不足が悔やまれる。しかしそれも後の祭り。
勇者と魔王の末路を明かし、共に謎を解こうと誘ってしまったケリは、私自身でつけなければならない。
「いいだろう。ただし条件がある。…私を本気で落としてみろ。期間は、そうだな…三ヶ月」
「へ?」
「私の好みは、私と同レベル以上で話せる者、下品でない者、“魔王の紋章”の謎解きに真摯に取り組む者。
あぁ、完全に謎を解いてくれると尚良い。せいぜい頑張ることだな、アレン」
言って、廊下にアレンを残したまま、私は私室のドアを閉める。
程なくドアの向こうから断末魔の叫びとも狂喜の歓声とも取れない奇声が聞こえ、激しい物音と共に遠ざかっていった。
方向からすると、向かった先は図書館か。イイ子だ。物わかりが良くて助かるよ。
必死に古い書物を読み漁るだろうアレンの姿を想像して、私は一人ほくそ笑んだ。