第五話 事故
「ねえ、時也君あの・・・」
ほんの数秒の時間だった。
「堵色!」
「えっ?」
初めて時也に名前で呼ばれた事に驚いて堵色が振り向いた瞬間、物凄い力で後ろへ突き飛ばされた。
「きゃっ。」
その瞬間まるでピストルを撃ったかのような音と車のブレーキ音が重なった。
「痛…。なんな…の。」
一瞬なにが起こったのかすら分からずにいたがすぐに事故が起こったのだと分かった。しかしさっきの大きな音のせいかしばらくは音すら堵色には届かなくなっていた。視界に最初に入った光景は悲惨なものだった。自分の目の前には大型トラックの急ブレーキの後が悲惨なぐらい大きく残り、堵色はそこが現実の世界なのかすら分からなくなった。辺りのざわめきで現実世界に引き戻された堵色は時也の存在を探した。
急いで辺りを見回すと自分の足元に倒れている人がいる事に気が付いた。
それが時也だったのだ。
「時也君!なんで・・・。」
時也は倒れたまま意識を失っていた。
それから誰が呼んだのか、救急車が来て二人は病院へと運ばれた。どうやら被害にあったのは時也一人だったらしく、二人以外に救急車で運ばれた者は誰一人いなかった。
救急車の中で堵色はなにも言わず座っているだけで口を開いたのは時也が病室に入ってからだった。
「時也君。時也君。ごめんなさい。私のせいで・・・。」
堵色は目の前でたくさんのチューブに繋がれている時也に呼びかけ、泣いていた。もちろん返事は無く、規則正しく響く機械音だけが虚しくその場を包んだ。
事故は丁度一時間ほどまえ、飲酒運転をしていた車が歩道を歩いていた二人に突っ込んだという物だった。
堵色に向かって来る車に気付いた時也が堵色を庇った。病院に運ばれてずいぶんとたつのに時也は一向に目覚めない。
「時也君・・・。なんで私なんてたすけたの?」
堵色の目には涙が絶えることは無かった。
時也がゆっくり目を開くとそこには堵色が悲しそうに俯いていた。
時也は震える堵色の手をしっかりと握った。
「時也君!」
「…それは、助けるよ。僕にとって涼宮を失うことより怖い事はないんだから。」
「私だって、同じなんだよ。時也君が大事なの。ねえ、私ね、あの時、時也君が初めて堵色って言ってくれて本当に嬉しかったんだよ。なのに…こんな時だなんて…。こんな事になるなら一生名前なんて呼ばれなくてよかった。時也君とずっと一緒にいたいんだよ。」
「堵色。笑って。そんな顔させる為に庇ったんじゃないよ。さっきなんで助けたんだって言ったけど堵色は優しいからもしも僕が車にぶつかりそうになれば僕を助ける為にきっと同じ事をするよ。それと一緒だよ。」
堵色は精一杯笑った。それを見て時也は小さく「よし。」と言って目を閉じた。
「時也君・・・死なないで。また一緒に・・・。時也・・・君。」
堵色はハッキリと感じていた。握られた時也の温かい手のぬくもり冷たく消え、重くなって行くのを・・・。そして時也の握られた手はゆっくりと下へと下がった。