友人の恋
突然です。
友人が恋をしました。
放課後の教室には、俺と友人だけ。
部活動の騒々しい掛け声が遠くの方で聞こえてくる。
無口で、ひたすら真剣に机の上の教科書にむかっていた友人が突然……ほんと突然に口を開いた。
「俺、恋をしたんだ」
と発言した友人は、教室の窓から望む夕日を遠い目で見つめた。
高台に建てられた高校の三階の窓から望む景色をオレンジ色の光で照らす太陽は、西にそびえる山々へ隠れようとしている。
部活動に励むグラウンド、俺達の暮らす町並み。
遠くには都心のビル群が優劣を競い、東と西には木々の生い茂る山々が広がっている。
それらが真っ赤オレンジに輝いていた。
友人の瞳には、さぞかし、美しい景色として映っているだろう。
その友人が座る机の向かい側に位置して座る俺は、シャープペンを操る左手を休めて友人へ二言述べる。
「それはおめでとう。これで何度目?」
俺は、細くて長い溜息を吐いた。
俺の言葉から読み取れるように、友人は何度も恋をしている。
そう。コイツは惚れやすいのだ。
この高校に入学して友人と知り合ってから……いや、もしかしたらそれ以前からかも知れないが、一週間に1~2度のペースで『俺、恋をしたんだ』と必殺技のように繰り出している。
いや、まてよ?
『俺、一目惚れしたんだ』発言と合わせると……う~ん、実際はもっと繰り出しているかも知れない。
そうなってくると、必殺技というより通常技って感じかな?
いやいや。Bボタンのパンチ並かも。
「ふふん、教えてやろう。昨日の時点で通算1000回の恋をしたんだ」
鼻にかけて笑う友人は、じつに自慢げだった。
おいおい、通算1000本安打達成した外野手じゃないんだから。
どうしてそんな自慢げになれるのだろうか?
まったく呆れて言葉を忘れるよ。
俺と友人は来月に大学受験を控える高校3年生だ。
俺たちみたいな受験生に必要なのは恋話ではない。
受験に必要な勉強をする時間だ。
そう。
友人の恋話に浮かれてる場合じゃない。
一分でも一秒でも長く、勉強するのだ。
放課後の教室に残って勉強しているのだって、受験のためだ。
……。
……。
……まあ、時には息抜きも必要だ。
「……で、今度はどんな人に恋したんだ? また幼なじみ系か?」
シャープペンを休めた事もあり、俺は勉強で疲れた脳の小休止と気分転換を兼ねて友人の恋話を聞くことにした。
「俺が恋した女性は……いやぁ、ははは♪」
いつものように、恋した女性の事を話そうとした友人は頬を赤く染めて、幸せそうに後ろ髪を撫でた。
なに照れてんだ、この友人はー?!
「いまさら照れんなよ!」
照れる友人の姿を見るに耐えなくなった俺は親友を一喝した。
恋に悶えたり照れる女性は見てて楽しいが、同性の場合だと目も当てられなかったりする。見てるとなんかこう……モチベーションがどんどん下がるというか、身震いしてしまう。
なんでそうなるかは説明できないけど。
そして、友人が照れる威力は通常の5倍だ。
「はははっ♪」
えー、まだ照れてやがるぅ。
見てるだけなのに何だか身震いを覚える。いや、もうそんなの通り越し、むしゃくしゃして自分の顔面の皮を剥ぎ取りたくなってくる。
顔に張り付いた偽りの仮面を剥ぎ取りたいような、変な感覚におちいるのだ。
「それで、どんな女性……なんだ?」
俺は冷や汗流れる額に爪を突き立てつつ、震える声で聞いた。
がタッ
友人は椅子から立ち上がった。
机を離れて窓際まで歩いた友人は、窓を空けて窓枠に手をかけると、外の新鮮な空気に顔を埋めた。
夕焼け空に、夕焼けに赤く染まった夕焼け雲が浮かぶ。
そんな夕日に染まる景色の中、友人の姿もまた夕日の眩しい真っ赤オレンジに染まっている。
景色を眺める友人からはいつの間にか照れが消えていた。
そのうち俺の心の変な感覚は薄れ、落ち着きを取り戻した。
そろそろ、教室の電気をつけてもいい時間かもしれないな。
身震いを振り払った俺は席を立ち、ドア付近に設置された蛍光灯のスイッチに手をのばした。
「……上手だったんだ」
「……え?」
教室に明かりが灯るのと友人が口を開くのは、ほぼ同時だった。
「上手って……なにが?」
外の空気に当てられて冷えたのだろうか?
こっちを向いた友人は真剣な表情を浮かべていた。まるで、なにかを決意したような……そんな瞳をしていた。
「彼女、イラストが上手なんだ」
「イラスト?」
――ぱたんっ
窓を閉めた友人は席に戻ると、恋した女性の事を真剣に語り始めた。
「昼休みの事だ。学食でお昼ご飯を食べ終わった俺は、自分の席に戻ろうとした。その時、たまたま彼女の机が目に入ったんだ」
昼休みに女性の机を見たということは……どうやら、恋した相手は同じクラスの女性らしい。
少なくとも、この高校の生徒だって事は確かだよな。
そのことに気づいた俺は少子抜けた。
なぜなら、今まで友人は同じ高校の女子を好きになったことがなかったからだ。
いつだって、友人の恋は唐突だった。
部活帰りに立ち寄ったコンビニの女性店員やレストランのウエイトレス、部活の練習中に負った傷を診てもらいに行った病院のナースにも恋をした。
こんなのは序ノ口である。
夏合宿に利用した宿の若女将にも恋をした。
近くにある古い神社の巫女にも恋をした。
部活帰りに見かけた女子高生にも恋をした。
バスロータリーのベンチで井戸端会議に夢中だった女子中学生たちにも恋をした。
満員電車の中でたまたま近くに押し込まれたOLにも恋をした。
ってどんだけ惚れやすいんだよ!
世界広しと言えど、こんなに惚れやすい人間が他にいるのだろうか?いや、いない!
こんなどうしようもなく惚れやすい友人にも尊敬に値する面はある。
それは、好きになったらその女性に速攻で告白する行動力だ。
『君を好きになりました。俺と付き合ってください!』
真っすぐな気持ちを相手へ直で伝える友人。
そんな友人の姿を、俺は他人の振りして見守りながら心の中で実に男らしいと思う。
でも、告白された女性はたまったもんじゃない。
突然、何の前触れもなく見知らぬ高校生が愛の告白を熱心にしてくるのだ。
『ご、ごめんなさいいぃぃぃ!!』
たたたたたたっ
5割の女性は、友人の男気に圧倒されて一目散に逃げ出した。
ぺたんっ
『うぅ……ぐすっ……ごめんなさ……も、もう、ゆるして……おねが……ふぇ』
そして、残りの5割の女性はその場で尻もちをついたり、瞳に涙をためて泣きじゃくった。
そうされると、いささか面倒なことになってくるのが世界の理であったりする。
『おい、そこの男子学生! お前だ、お前! 中学生の少女に何をしてるんだ!?』
警察がやってきて事件沙汰になりそうになった時は、正直言って焦った。
今思えば、神様からの『少しは自重しろ!』っていう遠まわしの警告だったのかもしれない。
後に、この時のことを友人は『あのときは少年院も覚悟したよ』と苦笑いを浮かべて語ってくれた。
でも、そうそう悪いことばかりじゃない。
『メルアドならいいですよ?』
ごく僅かだが、メールアドレスを渡してくれる女性もいたのだ。
そのときの様子を友人が嬉し涙を流しながら語ってくれた日のこと、俺は昨日のように覚えている。公園のベンチで、夕日眺めて話しを聞いていたっけ。
まあ、結局はウソのアドレスで、友人はショックのあまり高校を二日間休んだ。
そんな惚れやすく傷つきやすく失恋ばっかりの友人でも、同じ高校の女子には不思議と惚れた事はなかった。
この事実は、友人のクラスメイトであり、部活仲間でもある俺が証言できる。
高校生活での友人は、成績優秀でスポーツ万能。校長から進学の推薦状を許可されるほどに優等生。見た目も悪くない。
そんなわけだから、たまーに女子生徒からの告白も当然あるのだが、友人はその告白をすべて断っている。
『どうして、女子生徒の告白を断るんだ?』
不思議に思った俺は、部活の休憩時間の合間に友人へ聞いたことがあった。
汗だくの顔でスポーツドリンクを飲みほす友人いわく
『俺にも恋人を選ぶ権利は当然あるんだよ』
とのこと。
いくら惚れやすいといっても、ちゃんと本人なりの基準を持って相手を選んで告白していたってことだ。
……。
……。
……友人が恋人を選ぶ基準ってなんだろ?
「……聞いてる?」
「え?」
友人の突然の問いに、俺の思考は中断された。
「また、上の空か」
友人は目を細める。ちょっと怒ってるサインだ。
「いや、ちゃんと聞いてたよ。お前がクラスメイトを惚れた理由だろ?」
「その俺が惚れたクラスメイトの名前は?」
「……知りません」
「すでに言ったんだがな」
「マジで?」
「大マジだ」
俺は夢中に考えるあまり、友人の話が耳に入らなかったようだ。
「……ご、ごめん。ちょっと考え事してた」
「そっちから話を聞いてきて、その態度はないんじゃないか?」
「はい。まったくそのとおりです。反省してます、はい」
「どこから話を戻そうか……最初からでいいか」
そんなこんなで友人は話を続ける。
「俺が好きになった彼女の机には開かれた一冊のノートが置いてあった。そのページには、女性のイラストが描かれてあったんだ」
「女性のイラスト……ね」
「そう、瞳を閉じた女性のイラストだった。それが、めちゃくちゃ上手で、俺は心は奪われた。あの時、俺の止まってたトキメキ回路がまわり始めたんだ」
出ました。
友人の必殺技のひとつ『トキメキ回路がまわった』宣言。
この宣言が出たって事は、友人は玉砕……じゃなくて、告白を考えてるって事だ。
ん?
待てよ?
ってことは、イラストの女性に恋をしたってことか?
「あの柔らかな曲線、独特だが美しさを損なわない表現力。時には荒々しい力強いタッチ……俺が見てきた中で断トツ」
大変です。友人のトキメキ回路がフルスロットルっぽいです。
目が彼方を見ているというか……逝ってるもの。
どうやら友人は現実の女性をあきらめて脳内の女性へ走るようです。
「あんな素晴らしいイラストを描くんだ。きっと、あのイラストのように彼女の心も美しくて清らかなのだろう。そんな彼女に俺は惚れた。惚れてしまった……」
ほっ。
よかった。
どうやら、実在する女性に恋をしたらしい。
俺は一瞬、友人が遠い世界へ旅立ってしまったかと思った。
「俺の心を奪った女性……その人の名前は……」
おおう!
友人の好きになった女性が明らかになろうとしている!
誰だ?
友人は誰を好きになったんだ?
学年のマドンナの柊さん?
それとも、学園のアイドルの楓さん?
それともそれとも、水面下でファンクラブが存在すると噂される下級生の彩夏ちゃん?
それともそれともそれとも、栗色の長髪が素敵な美人教師の桃花さんか!?
どくどくどく!
友人のトキメキ回路に影響を受けたのか、俺の心臓の鼓動が早くなる。
関係ない話だが、漫画での心臓の鼓動は『どきどき』だけど、俺は『どくどく』と聞こえるんだ。皆さんはどんな風に聞こえているのだろうか?
「俺は、梅崎さんが好きだ!」
コブシを握った友人の答えは俺の予想とは違った。
「うめざき? 梅崎って、俺達と同じクラスで、俺たちと同じ部活に入ってる『梅崎みしお』の事か?」
「そうだ」
「……マジか?」
「大マジだ」
あっちゃー。
友人、やっちゃったよー。
俺は、友人を憐れんだ。
「ふぅ、悪い事は言わないよ。梅崎さんはやめて」
「どうしてだ?」
どうやら、友人は見ていないらしい。
あれだけクラスにやってきて、梅崎さんに馴れ馴れしくしてるっていうのに。
「見ていないとは言わせないぞ。梅崎さんには彼氏がいるんだ」
「からし?」
「そうそう。オデンの大根には欠かせないよねー、カラシ……ってバカっ! 彼氏だ、彼氏! 梅埼さんには彼氏がいるの!」
「……カレイ?」
「……いや、もう、いい加減に現実を受け止めろよ。辛いだろうけど」
「……」
友人はしばらく無言だった。
顔は俺の方に向いているのだが、眼の焦点はあっておらず、何処を見ているのか見当がつかない。
「うっ……」
「う?」
『うっ』ってなんだ?
「嘘だああぁぁぁああああ!!」
現実を受け止められなかったのだろう。
友人は頭を抱えて絶叫し、その声は教室に木霊した。
「残念ながら……ほんとのことなんだ」
がタッ!
ガラガラ!
たたたたたっ
なんて不憫な。
友人は急に立ち上がり、俺に制止させる時間を与えず瞬く間に教室を飛び出してしまった。
「梅崎さんの彼氏に会いに行って、殺人事件に発展しなきゃいいけど……」
『恋の縺れで殺傷事件!』
もし、そんなことになったら俺のせいだ。なぜなら、俺が友人という弾丸を暴走させたようなものだからだ。
俺がもっと友人を傷つけないように上手く伝えていたら……そう思うと。
ああ、自己嫌悪。
「……はぁ~。あとのまつりだぁ~」
机に散らばった友人の勉強道具を見ながら俺は深い溜め息を吐いた。
「いやいや、いくらなんでも、あの行動力のある友人がそんなことするはずが……するはずが……」
俺は心配しながら友人が教室に戻るのを待ったが、見回りが来る時間になっても友人は戻らなかった。
タイムオーバー。
しかたないが、学校から離れないと見回りに迷惑がかかる。
友人の勉強道具を机に戻した俺は見回りに挨拶してから教室を離れた。
コツ……コツ……
なんでだろ?
いつもより、足音がアスファルトに響くようで。
帰路についた俺の足取りは重く、いつも徒歩30分の道のりがめっちゃ長く感じる。
その間、何回か友人の携帯に電話をしてみたが通じることはなかった。
次の日。
友人は学校を休んだ。
担任いわく、風邪とのこと。
でも本当は違うはずだ。
「俺のせいだ……俺があの時、もっと上手く伝えていたら……」
そう考えると授業が手につかなかった。
そして、あっという間に放課後。
知らず知らずに癒しを求めていたのだろうか?
帰り道、俺は駅前のゲームセンターを訪れた。
「そういえば――」
ゲームセンターの楽しさを教えてくれたのは友人だったな。
空気も悪いし、うるさいから苦手だったんだけど、友人に連れられて何度か訪れている内に慣れていた。
友人は格闘ゲームが好きだ。
俺は苦手だって言ってるのに頻繁に相手をさせられたっけ。そんで初心者の俺に容赦なくハメ技を極めてさ。
まあ、そのかわりに俺の好きなエアホッケーの相手をしてもらったからギブアンドテイクだ。
一回100円。二人で50円ずつ。使い込まれた昔ながらの台。昔ながらの3分間待ったなしルール。
友人は口に出さなかったけどエアホッケーは不得意みたいだった。5割方、俺の圧勝だったから。
ふと、エアホッケーを見ると先客がいた。俺と同じ制服を着た二人の学生。
その中の一人に見覚えがあった……というか友人だった。
なーんだ。
風邪で学校休んだのに、こんなところで遊んでいたとは。
まったく、心配して損したよ。
俺はゆっくりと友人に近づき、手を振る。
「おーい……がっ!!」
友人の後ろから声をかけた俺は、もう一人の男子生徒が誰なのか思い出して凍りついた。
そいつと直接話したことなかったからすぐに思い出せなかったけど、今なら鮮明に思い出せる。
友人に相対する男子学生は、休み時間ごと梅崎さん目当てで教室へ来てた……梅崎さんの彼氏だった。
梅崎さんを好きな友人。
梅崎さんの彼氏。
皆さん、大変ですぜ。
地獄絵図ですよ。地獄絵図!
「テメエは誰だ? 名前は?」
友人より先に梅崎さんの彼氏が俺の存在に気づいたようで……。
というか、『テメエ』って何様ですか?
学年同じなのに失礼な奴だ。
ずいぶんと命令口調だし……梅崎さんと一緒の時は優しそうで良い人だったっぽいのに。
人間って生き物は、好きな異性の前では性格が変わるものらしい。
「そっちにいる友人の一人だよ。ところであなたは?」
ちょっとムカっとした俺は名乗らずに、逆に聞き返した。
「お前に名乗る舌は持たない。なにか知らないが、そいつに話しかけられてな」
そう言った梅崎さんの彼氏は友人を指差した。
おーい。人を指差す行為は失礼だと親に習わなかったのか?
俺の中で梅崎さんの彼氏の株は紙屑になった。
株式会社なら倒産すっぞー。
「聞くと勝負しろというじゃないか、馬鹿馬鹿しい。お前がそいつの友人と言うなら、さっさと連れ出してくれ」
「その勝負の理由……聞いてませんか?」
「理由を聞く必要もない。そいつを連れて、さっさと失せろっ」
『さっさと失せろ』だと?
はぁー、もう駄目。
俺、頭にきた。
ごめん、友人よ。勝負の理由は友人の口から話した方がいいと思うけど……俺、我慢できないや。
俺の怒りは爆発した。
「その理由が梅崎さんにあったとしてもですか?」
「……なんだと?」
梅崎さんの彼氏の瞳がギロリと俺をとらえた。
さっきまでは俺らなんか眼中にないって感じだったのに、ここにきて目の色が変わったな。
まるで、猛獣のような眼光。
まるでヤンキーだ。
正直怖い。
でも!
怖さよりも怒りの方が勝っている俺は止まらなかった。
「彼女への告白をかけて、勝負しましょう……エアホッケーで、一対一の3分間勝負を!」
後に、ゲームセンターを出た俺は思う。なぜエアホッケーで勝負したのかと、なんで俺が勝負を吹っ掛けたのかと。
「彼女……ほほぅ、みしおをか?」
「そうだ!」
「はっ! おもしろい! みしおを良く知る人物の一人として、この勝負引くわけにはいかねぇな!」
楽しそうに腕をポキポキ鳴らし、にやりと笑う梅崎さんの彼氏。
おおう。やる気になったようだ。
「言っとくがな、俺はこう見えてもエアホッケーの世界大会で10位に入賞したこともある腕前なんだぜ!」
と吠える梅崎さんの彼氏。
え?
そうなの?
だからって、俺が引くわけにはいかない!
「そんなのは百も承知だ!」
俺も吠えた。
でも嘘です。知ったかです。
正直言って、梅崎さんの彼氏がエアホッケー上手だってのは知らなかったです。
「知っていて勝負を挑むとは、いい度胸だ! その度胸に免じてお前が先攻でいいぜ!」
そう言って梅崎さんの彼氏は100円を投入する。
盤上から空気が吹き出し、盤の端っこから一枚の白い円盤がせり上がった。
うわー。梅崎さんの彼氏、余裕かましてるよ!
俺の怒りゲージは、さらに上昇した。
「上等だ! 俺に先攻させたこと、後悔させてやる!」
自然と声が大きくなる俺は、円盤を掴もうと手を伸ばす。
だが、その手は円盤を掴むことはなかった。友人が先に円盤を掴んだからだ。
「おま……」
「すまん。お前にここまで行動させるなんて……俺はどうかしてた。ここからは俺にやらせてくれ」
友人は円盤を握りしめた。
まあ、たしかに本来は友人の勝負だ。
「だがな。相手はエアホッケー大会の――」
「今の俺に、そんな事は関係ない。俺は梅崎さんが好きだから、ここは譲れない!」
友人に吠えられた。
「……」
アマチュアの俺とは実力も経験も段違いなんだぞ、と友人に言おうとしたが、その言葉は呑み込んだ。
だって、言ったところで何の意味も成さないみたいだから。
それらしい言葉は誰にでも言えると俺は思っている。
でも、友人の眼は決意に満ちていた。こんな眼ができるのは本当に彼女を好きだからだろう。
「これは男の中の男の勝負。やるからには右手を骨折しても戦い通せよ。はい、これ」
俺はスマッシャーと呼ばれる円盤を打ち合う器具を友人に渡し、盤から離れた。
「言われなくても、そのつもりさ」
友人はスマッシャーを右手に握り、円盤を自軍の盤上へ放った。
円盤は盤上から噴き出す空気の力で浮き上がり、おとなしい左回転をはじめる。
「スマッシャーの握り方を見ると……お前、素人だな?」
さすがエアホッケーのプロだ。
スマッシャーの握り方で素人だと推理できるとは……梅崎の彼氏、恐るべし。
これは本格的に、まずいぞ。友人!
「はっ! もう一人の方は骨があるかと思ったが、弱っちい素人を倒したところで――」
――ズドンッ!!
「な!?」
「なん……だ……と!?」
まさに青天の霹靂と呼ぶに相応しい一撃だった。
友人の右手が打った円盤は、凄まじい速さで相手のゴールを奪った。
普段、俺と遊んでた友人とは比べモノにならない威力だった。
ズズズズズズズッ
おおう!
なんか、友人の全身から黒いモヤモヤっとした霧みたいなオーラが出てるように感じる!
俺の目の前で友人の姿をしているのは本物の友人か?
どっかから来た宇宙人とかじゃないよな?
「一瞬、円盤が消えた……この俺が反応できなかった。馬鹿な!」
俺と同じで、梅崎さんの彼氏も友人の威力に驚いているらしい。
チュルーーン♪
得点を伝える効果音が鳴り響く。
なにはともあれ友人が一点先取。1-0だ。
友人は左手で前髪をかきあげる。
「俺が円盤を盤に放った時点で、なぜスマッシャーを握らない? なぜ悠長に話をしている? アンタはそれでも梅崎さんの――」
「だまれ、だまれだまれだまれ!!」
店内に響く梅崎さんの彼氏の怒りに振れた叫び声。
思い思いにゲーム画面に顔を埋めていた客たちが顔をあげる。
「先取したからってイイ気になるな! 勝負はこれからなんだぜ!」
梅崎さんの彼氏は右手でスマッシャーを握り、円盤を左方向へ打つ。
友人の陣地に入った円盤は、外枠に当たって跳ね返り、友人のゴールを目指して加速した。
ゴールに入るか入らないか相手を惑わすに申し分ない角度だった。
――フュン!
「くっ!」
友人は打ち返そうとするが下手に反応してしまい、空振り。
チュルーーン♪
簡単にゴールを奪われてしまった。1-1、同点だ。
「今の反応と処理は素人丸出し……っといけねぇ。ついつい油断しちまいそうだが、二度目はないぜ!」
梅崎さんの彼氏の言葉を気にする様子もなく、友人は円盤を盤上へ浮かべる。
「ふっ!」
友人は右手を振った。
――ズドンッ!!
チュルーーン♪
梅崎さんの彼氏は防御に徹したが、反応できず。
友人は点を取り返した。これで2-1。
「ちっ! なんて威力と速さだ!」
さっきと同程度の威力と速さ。
2回目は威力が多少落ちると思ったが、これなら最後まで戦い続けられるだろう。
「だが、そんなタイミングも動きもバラバラな打ち方で、残り2分30秒も続けられるかよ!?」
「これぐらいのことをしないと、いざってときに彼女を守れはしない!」
そうだ。
言ったれ言ったれ友人!
「はっ! 言うじゃないか!」
「いくらでも言うさ! 彼女を俺の者にできるなら、いくらでも言ってやる!!」
「それは俺も同じこと。みしおは渡せないぜ!」
ラリーは無く、打っては得点。打たれては得点の攻防が続いた。
はっきりいって、見てる方は退屈。熱いセリフは聞いてて面白いけどね。
そんなこんなで20-19。
友人リードで、残り20秒を……切った!
「くそっ、時間がねぇってのに、球筋が見えてこない。くそったれぇ!!」
――フュン、フュン、フュン!
チュルーーン♪
友人のゴールに円盤が叩き込まれた。これで20-20の同点。
苛立ちを隠せない梅崎さんの彼氏。それでも確実に点を稼ぐところはさすがプロと言ったところか。
俺は残り時間を確かめる。
「残り15秒だ!」
「俺はお前に勝つ! 俺は愛のために闘っている! 愛は無敵なんだ!!」
友人はスマッシャーを振って円盤を打ち込んだ。
「おおおおっ!!」
ガっ!!
「な!?」
なんということか!
ここにきて、友人の円盤は弾かれてしまった。
「はっ! 待っていたぜ。この瞬間をぉぉおおおおお!!」
弾かれた円盤は、高速回転を続けつつ両陣地の狭間へ進む。
梅崎さんの彼氏は盤の外枠に沿って走り、友人の陣地に接敵する勢いで円盤に狙いを定めて腕を伸ばす。
「させるかあああああ!!」
友人も走った。
右手をのばして振り上げ、円盤を打ちにかかる。
ガキィ! ピシッ
二人のスマッシャーにサンドイッチされた円盤から、プラスチックがヒビ入った時に聞こえる嫌な音がした。
「テメエみたいな優男に、みしおを渡せるか! 帰れ帰れぇえああああ!!」
「みしおは俺が幸せにする! だからアンタは引っこんでろぉおおおお!!」
円盤がサンドイッチ状態のまま、両者譲らない。力比べだ。
だが時間は刻一刻と過ぎていく。
「残り10秒!」
男の意地と意地のぶつかり合いも残り10秒。
はたして、どちらが勝つのか!?
「第一、お前は今年高校卒業だろ!? 高校を卒業したら進学に就職など、それぞれ自分自身の道を歩み始める大切な次期だ! ましてやお前は進学、みしおは就職。立場も違えば生活習慣も大きくかけ離れてくる! それでも、みしおの事を守り抜いて幸せにする力はお前にあるのかっ!!」
「あるさ!!」
「それが愛の力だとかほざくなよ! 愛だけで人を一人幸せにできるほど、人生は甘くなどないんだよ!!」
「愛で幸せにすると証明してみせる! 手始めにお前を倒して、みしおを幸せにする力があるということを証明する! この場で!! 全員に!!」
「俺を倒したとしても、みしおが拒めばそれまでだぜ!!」
「そんなの一切承知!! だからと言って、手を拱いているほど俺は、めでたくないんだっ!!」
バキンッ!
熱くて短い3分間。二人の勝負が決する時はきた。
二人の狭間でせめぎ合って弾かれた円盤は、友人の陣地へ招かれた。
ガシッ!
円盤をスマッシャーで抑えた友人は叫んだ。
ギャラリーに聞こえるように、自分に誓うように。
「俺は今までに1000回の恋をして1000回の失恋を味わった! でも、みしおに出会ってわかったんだ! 俺は彼女に出会うために1000回の失恋を越えてきたのだと!!」
そして、この場にはいない梅崎さんへ届くように。
「みしおの事が、好きだぁああああああ!!」
――ズドンッ!!
チュルーーン♪
ピピーーー♪
試合終了。21-20。
勝利は友人の手に輝いた。
「うぅりゃあぁああ、よっっしゃああああああ!!」
友人は左手でガッツポーズをつくり、全身で嬉しさを表現した。
「やったな、よかったな! これで彼氏公認で告白できるな!」
俺は、喜び狂い踊る友人に駆け寄って、祝福を贈った。
「……彼氏……公認?」
ん?
どうしたのだろうか?
笑顔だった友人の顔が段々と冷めていく。
「そうか。まだ勘違いしてるのか」
友人は俺を憐れむようにポンと俺の肩に手を置くと、溜め息と吐いた。
勘違いって?
え、なになに?
俺が何を勘違いしてるっていうんだ!?
「え? だって、お前は梅崎さんに告白するために、エアホッケー勝負を頑張ったんだろ?」
「そうだが、お前はひとつ致命的な勘違いをしている」
え?
なになに?
その、推理小説で犯人を追い詰めるようなセリフは!?
「ち……」
友人が何かを言おうと口を開いた瞬間、敗者が寄ってきた。
舌打ちして、気分悪いったら。
「悔しい……が、約束は約束だ。怒るとすぐに眼潰しをして手に負えない妹だが、みしおを幸せにしてやってくれ……頼んだぞ」
そう言った梅崎さんの彼氏はお辞儀をした。
おおう、根は素直なんだな。
「わかってますよ。お兄さん」
「お兄さん言うな!」
友人は照れ臭そうに返事を返し、梅崎さんの彼氏は突っ込みを入れる。
いや~、一時はどうなるかとおもったけど、最後はハッピーエンドで終わってよかった。
俺は心から友人を祝福した。
……。
……。
……。
って、ちょっと待て!
「おい、梅崎さんの彼氏! 妹ってなんだ!? おい、友人! お兄さんってなんだ!? お前らの話を聞いているとまるで――」
「彼氏? なに言ってんのこいつ?」
「すいません、お兄さん。こいつは普段からこういう奴で……ほんと、恥ずかしいかぎりなんですよ」
「って、お兄さん言うんじゃねぇよ!」
「すみません。兄貴」
「……あ、兄貴なんて気安く呼ぶな!」
梅崎さんの彼氏(?)と友人は話を続けるが、俺だけが置いてきぼりをくらっている。
「あ!!」
ま、まさか!
俺は一つの可能性を考え付いた。
友人は勝負に勝ったとたんに梅崎さんの彼氏(?)の事を『お兄さん』と呼んだ。
梅崎さんの彼氏(?)は、梅崎みしおさんの事を『妹』と言った。
この二つから導き出される答えは一つ。
俺が梅崎さんの彼氏だと思っていた人物は、実は梅崎さんのお兄さんだった!?
「この人は、梅崎のお兄さん!? そんな……だって、年齢や学年を考えれば兄弟の可能性は消えるはず」
「双子の兄だ」
えーーー!?
なに? その設定!?
「そんな馬鹿な! 俺がそんな……でかい勘違いを!?」
「まあ、そういうことだ。現実を受け止めろよ。辛いだろうけどさ♪」
ポンっと、再び友人の手が俺の肩に置かれた。
「うっ……」
「う?」
「嘘だああぁぁぁああああ!!」
俺は現実を受け止められなかった。
たたたたたっ
何も信じられなくなった俺は、現実から逃げるようにゲームセンターを飛び出してた。
「残念ながら、ほんとのことなのさ♪」
という友人のふざけた言葉が、現実から逃走する俺の耳にいつまでも繰り返し反響していた。
終わり