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「僕は、警察を呼ぶって言ってるんだよ。すぐ帰るかどうか、試してみようか」


 これからスマートフォンを取りに家の中に戻った場合、この二人は上がり込んでまで追いかけてくるのかどうか。まさかそこまでとは思いながらも、一抹の不安はぬぐえない。

 なにしろ、あの両親が「いざとなればうちの中に入ってしまっていい」と許可している可能性は高いのだから。

 慎は両親が今どこで暮らしているのか詳細は知らないが、この家を彼らが実家として考えている場合、警察はどこまで力になってくれるのだろう。実家にいる子供たちを、知り合いに迎えに行ってもらっただけだと言われたら。


 だがそれでも、ここで押し問答しているよりはいい。


 慎は意を決して、身を翻した。

 そして、いつの間にか背後の三和土に立っていた人物と正面衝突しそうになり、叫びそうになるほど驚いた。


「すばる……!?」


「慎くん、この方々はどちら様ですか?」


 慎は、背中の向こうで、光暦正会の二人も多少おののいているのを感じた。

 すばるは彼らにとって、予期せぬ闖入者だったろう。勧誘には、部外者という名の第三者ほど邪魔なものはない。

 しかしすぐに方針を切り替えたようで、男のほうが、


「おや、慎くんのお友達ですか? 我々は、あなたみたいに利発そうな子にだけお伝えしたい話があって、今日はお邪魔したんです。三分だけお時間いただいても?」


 すばる、この人たちと会話をするな。慎がそう言うよりも早く、


「慎くん。……この方々はどちら様ですか?」


 すばるは慎への質問を繰り返した。

 しかし、慎には答えられなかった。

 明音は部屋に残してくれているようだった。助かった。

 しかし、すばるもまた光暦正会の被害者なのだ。


 この二人がだれなのか、正直に言うべきか。言って悪いのか。どちらだろう。

 すばるの家庭を破壊した、君が二度と見たくもない団体の人間だと、言うべきなのか。そうしたらすばるはどう思うのか。しかし、ごまかしようなどあるのか。……

 そうして、ほんの数呼吸の後。


「分かりました、慎くん。慎くんが、私にはとても言いづらい人たちなんですね。私なら平気ですから、安心してください」


 慎は、泣きそうになった。

 どうしてこの人は、慎がなににさいなまれているのかを分かって、汲み取ってしまうのだろう。


 慎の背後から、男が言う。


「なにか誤解があるようですねえ。我々はね、その慎くんのご両親に言われて来てるんですよ。なにも後ろ暗いことなんてないんで、」


「後ろ暗いことがないなら、その慎くんのご両親が来ればいいのではないですか?」


「いや、お二人は忙しくて。住んでる場所も離れてるもんだから」


「なら、電話やメールでもいいのではないですか? メッセージアプリのアカウントを知らないなら、郵便だってあります。慎くんの知らない人たちが、事前の約束もなしに家に来ないといけない理由とは、なんですか?」


「君ねえ……」


 男が上がり込んでくる気配がして、慎――滔滔と話すすばるに半ばみとれていた――はドアのほうへ振り向く。

 男と、そしてその肩の向こうにいる女とも向き合う。二人とも目つきが変わっていた。

 この団体は、相手が子供となると、最後はこれだ。そしてこちらがおびえて下手に出れば、それをきっかけにして侵攻してくる。


 腕ずくになるのなら、もう四の五の言っていられない。とにかく家の敷地から押し出して、後はそれからの話だ。

 さすがに取っ組み合いのけんかにはならないとは思うが、彼らがわざと慎に怪我させられたふりをしたり、押し合いの際に大切なもの――誰かの形見の時計だとかジュエリーだとか――が壊れてしまったので責任を取れと難癖をつけてきたりはするかもしれない。勧誘屋の悪知恵には際限がないので、注意はいる。

 だが。


「慎くん。私、やります」


 すばるが靴下のまま、玄関へ降りた。

 慎の横を通り過ぎ、男の真ん前に出る。

 すばるがなにをしようとしているのか、慎も察した。


 慎は男をかわして、女の前に立つ。そして「少しよろしいですか?」と話しかけて女の気を引いた。

 その隙に、すばるは男に肉薄すると、少ししわの寄った額に右手のひらを置いた。

 なにをする、と男が言う間もなく、すばるは男の頭の中にある慎と明音の記憶を封印した。

 すばるが男の両肩をつかんで回れ右させ、門のほうへ押し出すと、男は意志を失くした操り人形のように、とことことそちらへ歩いた。


 一連の出来事は、慎の体に隠れて、女には見られていない。

 すばるは素早く女の横に立ち、また額に手を置いた。

 同じように、慎たちきょうだいについての記憶を封印する。

 そして二人の勧誘屋を門の外へ押し出すと、慎とすばるはさっとドアの中に戻った。


 慎が、ドアののぞき窓から様子をうかがう。

 この家に住むきょうだいを絡めとる気満々でやってきたはずの二人組は、しばらくその場できょろきょろとあたりを見回すと、首をひねって帰っていった。


 あいつら、僕の両親に今日のことをなんと報告するんだろう。

 そう思うと、慎はおかしくなって笑いそうになった。

 口元を引き締めてすばるを見ると、こちらはもっとあからさまに、にんまりと笑っている。

 足の裏をぱんぱんと叩いて廊下に上がったすばるに、なかなかいい性格なところがあるな、と慎は小さく吹き出した。そういえば、戻してもらった記憶によれば、いかつい男に蹴りを入れていたっけ。


「ありがとう、すばる……。でも、このせいですばるの力がばれたりして、君が危険な目に遭ったりしないかな」


「その可能性はありますけど、緊急事態でしたからね。とはいってもあれではその場しのぎにしかならないでしょうし、そう何回もは使えない手ですね」


「ごめん。僕ばかり助けてもらって――」


 自分はいったいどう報いればいいんだろうと考えた時、慎の目がすばるの左手首をとらえた。

 例の幅広のリストバンド。そこから白いものが覗いている。


「慎くん?」


 そう言ってから慎の視線に気づいたすばるが、はっとして左手を胸のあたりに引きつけた。


 慎はすばるの左手をとると、リストバンドをつまんでずらす。


「あ、いけません。慎くん、えっち」


 すばるの声は、慎の耳には入らなかった。

 リストバンドの下には、かっちりと包帯が巻かれていた。


「いつ……? 昨夜……? 我慢したって……」


 嘘だったのだ。慎のための。


「……はい。念のためタオルで右手を拘束していて、ずっと辛抱できてたんです。それは本当なんですけど、寝る前、トイレに行こうとしてタオルをほどいたら急に我慢が利かなくなって、……油断しました。でも、ハサミで少しひっかいただけなんですよ。その後は刃物を持つ前にすぐにまた縛り直したので、大事には至らなくて。大げさに包帯巻いてますけど、ばんそうこうでもよかったくらいなんですよ、本当」


 すばるが早口で言う。

 だが大事に至っていないとも、大げさだとも、慎には思えない。


「そんなに急激で強い衝動は、僕と、……長い時間会ってたから……今までの中でも一番長いくらい、話してたよね。だから……」


「それは、そう、……ですね。きっと」


 慎の呼吸が浅くなる。もう僕と会うべきじゃない。

 手首を切りそうになる(・・・・・・・)のと切ってしまう(・・・・・・)のとでは、ことの重大さが全然違う。

 たとえある程度の対策が可能だとしても、こんなリスクを背負ってまで、すばるはこんな、この程度の人間と会うべきじゃない。相馬慎は、すばるがそこまでして会うほどの値打ちがある人間ではない。

 慎の理性がそう訴えていた。

 喉まで、その言葉が込み上げた。

 だが言えない。


「慎くん、分かりますよ。慎くんが、今、なにを言おうとしているのか。私を今すぐここから帰して、もう会わないようにしよう。そんなところでしょう」


 慎はめまいがした。

 どうして。どうして分かるんだ。僕には自分のことだって分からないのに。


「でも私は、自分の体質のために、会いたい人と会えなくなるのは嫌です。確かに大変ですよ、このリストカット癖は。でも、乗り越える甲斐のある苦難です。都度、新しい対策を考える気力が湧いてきます」


「だめだよ。だめなんだよ。すばるは、犬をかわいがっているだろう? 僕は、自分以外の生き物なんて――人間以外どころか、人間だって大切に思えない。君とそんな僕では、価値が全然違うんだ、差があるんだよ。僕といれば、ずっと損するのはすばるなんだ」


 話せば話すほど、一緒にいればいるほど、損をする相手。まさにさっき、思想団体の勧誘屋に対して慎が抱いた印象だった。

 自分は、そちら側だ。あいつらと同じ性質の人間なんだ。すばるとは違う。


 しかし。


「明音ちゃんを大切にしているではないですか。見ていれば分かりますよ」


 意表を突かれて、慎の目元にこみ上げかけていた涙が落ち着く。


「……明音? だって明音は、家族だし……」


「家族を大切にできない人は世の中にたくさんいます。……一時期の私が、そうでした。こんな思いをさせるなら子供なんて作らなければよかったのにと、両親を恨みもしました。それに引き換え慎くんは、立派じゃないですか? はっきり言って好感度高いですよ」


「そ……れ、は……。明音は、もともと性格がいいやつだから。だから僕だって……」


「では、私はどうですか?」


 今度はさらに意表を突かれ、慎は目をしばたたかせた。


「すばる?」


「はい。私は、僭越ながら感じられていますよ。慎くんが、私を大事にしてくれていると」


 ヒュッ、と慎の喉が鳴った。

 大事って。その。つまり。どういう意味で。感じているって、どのくらいに。

 混乱する慎をよそに、すばるは堂々と言ってくる。


「なら大切に思えているじゃないですか、人間。慎くん、価値ありますよ。少なくとも、私と同じくらいにはあるはずです」


 そう言われたら、もう、勝手な混乱などどうでもよかった。そんなわけはない、自分とすばるの価値が同じなわけはない、そう分かっていても、いつも心臓の内側に隠してある棘だらけのもう一つの心臓が、すうっと小さくなっていくように思える。


 僕は、すばるにしてもらっているだけのことを返せるんだろうか。

 いったん止まった涙が、とうとう幾筋か流れ落ちていく。


「泣かないで、慎くん。私はあなたが思っているより、ずっと薄情な人間なんです。慎くんでなければ助けていませんよ。だから、もっと自分を好きになって欲しい。私が、私なりに一生懸命に助けになろうと思える、そうさせてくれているのは慎くんなんですから」


 二階へ戻らなくては。

 明音が変に思うだろう。

 今日は明音のために、すばるに来てもらったのだから。

 それは分かっている。


 ひとまず慎は、すばるにだけ明音の部屋へ行ってもらった。

 来訪者については適当にごまかしてくれると言うので、任せることにする。


 台所の椅子に座り、テーブルに肘をついて、両手で顔を覆った。手のひらが涙で濡れる。

 目を閉じていても、深い暗闇の中に、すばるの姿が明滅した。


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