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「すばるがそんなに自己評価を低くする必要は、全然ないと思うけど」


「小さいころからそうだったわけではないので、たぶんここ数年なんですが。もちろん粗雑に扱われれば不満ではあるんですけど、心のどこかで、それが自分にはふさわしいと納得してしまうことがあって」


 慎は、少し考えた。すばるのこの意識と、彼女の能力とは、なんらかの関係があるんだろうかといぶかしむ。記憶封印は他人の記憶に干渉する、デリケートな能力だ。すばるの心持ちの変化が、それにどんな影響を与えるかは知れない。


 というのも、慎が虚空化を自分の能力として意識したのは、自分などこの世から消えてしまいたいと強く願ったころだったからだ。その一心が、能力を顕現させたのだと思っている。


 だがすばるの記憶封印の能力は、彼女のこの自己肯定感の低さとは直接的には結びつかない。とすると、これは能力とは関係ないのか。

 どちらにせよ、すばるの精神状態は健康なそれであってほしいことは変わらない。


「僕は、できるだけすばるがそんなふうに思わなくて済むように、すばるのよさを君本人に伝えられるようにするよ」


「わあ、凄い……友人っぽいですね、それ。やっぱり慎くん、いい人です!」


 朗らかに微笑みを浮かべるすばるの顔を見て、慎は、しかし胸を締めつけられるように苦しくなった。

 たった今、優しくされたり褒められたりするといたたまれないという話を聞いて、そんなことがあるのかと驚いたが、まさにそれを実感していた。

 慎も微笑み返そうとしたが、胸の痛みがそれを許さず、いかにもぎこちない表情になる。


「……慎くん?」


「僕がそうなるべきなんだ。褒められれば、申し訳ないと思うように……いや、思ってはいた……だからこんな能力……」


 そう口に出してから、慎ははっとして立ち上がる。


「じゃ、じゃあそろそろ僕は帰るよ。いくら対策があるって言っても、僕とはあまり長く話さないほうがいいんだろうし」


「慎くん」


 すばるは座ったまま、わずかに表情を厳しくして、慎を見上げていた。


「慎くん、なにか思うところがあるのなら、私には言ってください」


「そんな……すばるには、ただでさえ僕のせいで迷惑かけてるのに」


 自分と話すと手首を切ってしまう女の子に、今以上の負担などかけたくはなかったのだが。


「慎くんは、私にだけはなんでも言っていいのです」


 真剣なすばるの眼差しに、慎は抗する力を失った。

 慎の体が重力に引かれて沈み込み、クッションからわずかにずれて床に座る。


「僕は小さいころから友達が少なくて、家族が――家だけが居場所で、両親とはいつも、おかえり、ただいまって、言い合って仲が良くて」


「……はい。いいことのように聞こえますけど……?」


「でも、違ったんだ。あの二人にとっては僕は勧誘のための道具でしかなくて、僕を利用するために僕と同学年くらいの子がいる家にも僕を連れて回って、……気のいい同級生も、そんな僕とは仲良くなってくれなくて……」


 すばるが、相槌の代わりに首肯する。


「何年かして自分でもそれが分かったら、……学校には二親がそろっていない子も何人かいたけど、僕はこんな親なら二人ともいらないって思った。でも本当に誰からもいらないのは僕なんだ、両親は、少なくとも思想団体には評価され、必要とされていた」


 今度はすばるは首肯しない。


「この世から消えたい。自分なんかいなければいい。氷が水に溶けるように、跡形もなくいなくなってしまいたい。……虚空化は、毎日毎日そう思って、呼吸の気配も殺しながら生きていた時に身についたんだ。すべてが後ろ向きだ。建設性も覇気もない、こんな人間。褒められたら、たまらない。僕なんかが……」


 慎は、自分がどんなにみっともないことを口走っているのか、それを理解すると、恥ずかしくてたまらなかった。

 誰にも言えずにいたことを、交流を持つようになってから大して時間の経っていない女子に、あらいざらい告げてしまった。

 どんな顔をしていいのか分からず、すばるの顔が見られない。


「……慎くんもなかなかの自己評価の低さですね。なんとか否定したいのですが、私の手持ちの知識と言葉では、根本的な解決はまだ難しいようです。だから、別の方向から慎くんを元気づけますね」


 え、と慎が顔を上げた。

 どこか気恥ずかし気にしているすばるが、胸に手を置いて話し始める。


「私、自分の能力が怖いんです。この力は、一定の条件さえ整えば、簡単に人を廃人にできます」


「はいじん……?」


「相手が私を信頼しきって、ただ目の前で座っていてくれれば。私はその気になれば、次から次へとその人の記憶を封印し続け、重度の記憶障害状態に追い込むことができます」


 理論上、それはそうかもしれない、とは慎も思う。

 しかし。


「すばるは、そんなことはしない」


「しかねませんよ。条件さえ整えば、恨みもつらみも抱く人間ですから。……いえ、実は、以前、やってしまったことがあるんです」


 え、と慎は目を見張る。


「いつの間にか身についていた記憶封印の能力を持て余していた私は、……私が前に仲良くしていた、同い年の女の子がいるんですが。前にも話しましたよね」


「ああ、能力の実験につき合ってくれたけど、気まずくなったとかの」


「そう、その実験についてです。好奇心の強い子で、自分で試して欲しいと言われて。私も自分の能力のことを知りたかったので、お言葉に甘えました」


 すばるはその時のことを思い出して、両腕をさする。


「最初は、運動会で転んだこととか、毛虫を踏んでしまったこととか、他愛のないものを。それがだんだんとエスカレートして、学校の入学や卒業、誕生日やクリスマス、仲のいい友達のこと……、思いつく限り何十回も繰り返すうちに、しまいには、その子の両親のことさえ忘れさせることができました」


 すばるの呼吸が浅くなる。

 慎は、止めようとして手を伸ばしかけた。

 しかしすばるは続ける。


「このままどこまでいけるんだろう、と探求したい気持ちはありました。でも相手の子は、ただ記憶をなくしていくだけじゃなくて、……最後には、まるで、痴呆みたいになっていったんです。口をぽかんと開けて、目はうつろで、私が話しかけても生返事で。そこで、慌ててすべての記憶の封印を解除しました。無事に元通りにできましたよ」


 慎が、安堵のため息をつく。


「その後私の能力のことを忘れてもらったのは、前言った理由だけじゃなく、この時のことが怖かったからなんです。私は、正直、自分は人にはない能力を持つ特別な人間だとうぬぼれたい気持ちもそれまでは持っていました。でも私が怒りや憎しみで我をなくしてしまったら、……その気になれば、私は今だってあれができてしまう。それは、力を使いこなせるようになった今でも、ずっと怖いままです」


「それは逆じゃないかな」慎にそう言われ、すばるがつと顔を上げる。「もう一度言うよ。すばるはそんなことはしない。今の君なら、なおさらだ」


 すばるが微笑んだ。


「……だから、私、私が愛想をつかされたくないなって思えるような人に、出会いたいとずっと思っていました。その気持ちが、きっと私の暴走を抑制してくれるから。今、私、慎くんに失望されたくないです。だから、そんなことはしない……」


「僕も同じだよ。虚空化を悪用でもして、すばるに嫌われたくない」


 二人で笑い合う。

 それから、すばるが言った。


「慎くん。虚空化を身に着けた時は、本当につらかったと思います。でもその後、わたしと出会うまでこの世からいなくならないでくれて、ありがとうございます。私、慎くんがいてくれて本当によかった。だから、……元気を出してくださいね」


 いてくれてよかった。

 それはこっちの言うことだ、と慎は胸中でつぶやいた。


 日が暮れかけたので、遅くなる前に帰ろうと、慎はすばる宅をおいとますることにした。

 そして玄関を出たところで、ふいに庭のほうへ目をやる。

 例の、雑多な木組みがある。本当になんだろうあれ、と首をかしげた慎に、すばるが言った。


「あ。あれが気になりますか? 犬小屋なんですけど」


「犬小屋……?」


「ちょうどこの後お散歩なので、呼びますね。ヨシカド、クロウ、ホーガン、出ておいで!」


 聞いた限りでは今一つ一貫性のない名前をつけられた、大きさも犬種もばらばらの三匹の犬が、木組みのなかから飛び出してきた。


「うわあ!?」


 ひときわ体が大きいヨシカドとクロウ――それぞれの名前は後からすばるに聞いた――に体当たりのごとく足に突っ込まれ、慎は危うく転びそうになった。


 それまでの静寂が嘘のように、犬全員が一斉に吠え出す。

 わんわん、ひゃんひゃん、わっふわっふ……

 そして三匹が輪を描くように慎を取り囲み、ぐるぐると回り出した。


「ふふふ、みんな慎くんに会えてはしゃいでいますね」


「そ、そうかなあ。攻撃の陣形じゃないの、これ?」


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