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4

「慎くんは、償いたいと思っているわけですよね?」


「……思ってる」


「団体の被害に遭った人たちに対して。その中には、私も入っていると」


「……入ってる。もちろん。筆頭で」


 頭がうまく働かないせいで、おうむ返しになってしまう。


「では、償ってください」


「どう、すればいい……のか」


「これは、なかなか奇跡的な結論にたどり着きましたよ」


「奇跡的?」


 すばるが、ずっとつかんでいた慎の肩を放した。代わりに慎の両手を取り、自分の両手で包み込む。


「……すばる?」


「私を助けてください。なぜか手首を切ってしまう私が、死ななくなる方法を、一緒に見つけ出してください。私は、そうしてくれる人をずっと探していました。ほかならぬ、私が手首を切るきっかけになる本人が――なぜそうなのかはまだ分からないものの――無実であることはすでに証明されました。だから協力してもらうのに、罪悪感は不要です。優しい慎くんが、ただ私を助けてくれるだけ。なんの問題もないはずです」


 すばるは微笑んでいた。

 涙をこらえているのが、慎にも伝わった。慎のほうは、そのせいで、新たな涙が一筋つうっと落ちた。

 さらに、深くうなずいたせいで、雫がいくつかの群れを作り、窓から柔らかく差し込む光を湛えて煌めいて舞った。

 慎は、自分の涙をきれいだと思ったのは、初めてだった。


「今日この後、私はまた手首を切りたくなってしまうかもしれませんが」


「そう、そうなんだよね。どうしよう」


 慎と会った後にその衝動が襲ってくるというなら、今日もそうなる。


「対抗手段はありますから、大丈夫。明日の朝、教室でお会いしましょう」


 すばるが微笑んだ。

 その朗らかさに、慎は、一抹の不安を抑え込んで、微笑みを返してうなずいた。



 翌日は、金曜日だった。すばるは無事に登校してきた。


「おはよう、すばる」と、教室にいるほかのクラスメイトに聞こえないよう、慎は小声で言う。


「おはようございます、慎くん」


「大丈夫だった? 昨日、あれから」


「大丈夫ですとも」


「そうか、よかった」


 慎は胸をなでおろす。

 これまでの人生の中で、大丈夫だと言った人間が大丈夫ではないことのほうが多かったので、慎はこの言葉があまり好きではなかったが。


 慎は、前日すばるの家からの帰り際に、すばるから「明日学校が終わったら、またうちに来てもらえますか?」と誘われていた。

 そのため、この日の授業が終わると、すばるは「では、昨日の約束通り、うちで待っていますね」と速足で帰っていった。

 それなら一緒に下校すればよさそうなものであったのだが。慎はクラスメイトの女子の家に向かう道中に、その本人となにを話せばいいのかなど分からないので、助かったとも思う。


 すばる宅の最寄り駅を降りて歩き出すと、慎には、一度来ただけのすばるの住む町が、すでに自分の故郷のように感じられていた。駅から少し歩いた先にある住宅街などどこも似たようなものなのかもしれないが、妙に郷愁のような思いが込み上げてくる。

 

 すばるの家に着くと、母親はやはり留守だった。生活のためにフルタイムで働いているようだから、当然ではある。

 一足先に帰宅していたすばるに案内されて部屋に通されると、制服姿のままのすばるが、「飲むものでも持ってきます」と言って階下に消える。


そのまま、十分ほど過ぎた。

 一人で、女子の部屋に所在なく座っているというのは、部屋の中が細かく整理整頓されているとなおさらに、なかなかに緊張感を生じるものだった。

 やがて、とんとんと階段を上がる音が聞こえてくる。


「お待たせしました、慎くん。すみません、ドアを開けてください」


 慎が慌ててドアを押し開けると、アイスコーヒーとアイスティをトレイに乗せたすばるが、するりと部屋に入ってくる。

 

「昨日はお構いもなくすみませんでした」


「そんなこと、僕に気なんて遣わなくていいのに」


「そう言わずに。コーヒーをストレートで飲む慎くんのために、慣れない抽出作業をしましたよ」


 なんのことかと一瞬考えてから、慎はアイスコーヒーを指さす。


「え、これ、もしかしてドリップしたの? しかも冷やしてくれたの?」


「夏ですから」


「いやそうじゃなくて、わざわざ? そんな、いいのに」


「大丈夫ですよ。このために先に帰宅ましたし、昨日あれから、母に教わって練習したんですから」


 さらになにか言い募ろうとして、慎は、はたと思いとどまった。

 半分は、自分のためにそんな手間をかけてくれたのかというありがたさに。

 もう半分は――


「……いきなりそんなことを言い出して、お母さん、驚いてなかった?」


「少しは。でも、友人が家に来るためだと言ったら、喜んでいました」


 それは、ほぼ間違いなく女友達だと思っているのでは……と慎は思ったが、今言ってもせんなきことだと考えて、やめた。


 すばるが怪訝そうに首をかしげ、


「……友人と言ったのは、問題があったでしょうか?」


「ち、違う違う。友人で合っていると思うよ。あんまりいないから、確証は持てないけど」


 すばるはもう一度部屋を出ると、使っていないというカラーボックスを持ってきて、背面の板を上にして床に置いた。


「これをテーブルにしましょう。なんだか、本来とは違う用途で家具を使うというのは、おしゃれな感じがします。この無造作感が」


 慎にはどちらかというと野暮ったく見えたが、これも言う必要はないと思い、ありがたくグラスを置かせてもらった。

 それから、早速一口飲んでみる。

 おいしい、と素直な呟きが漏れると、すばるが嬉しそうに何度かうなずいた。


「慎くん、今日お呼びしたのは、報告をするためです。昨夜、慎くんが帰った後なんですが、やっぱり、リストカットの衝動に襲われました。割と強めのやつです。先日と変わらないくらいの強度でした」


 慎は、思わず、すばるの左手首を見た。

 アームカバーで見えないが、あの下には包帯が巻かれているはずだった。


「大丈夫じゃないじゃないか!?」


「ご心配なく。今回は前もって対策できたので、切らずに済みました。アームカバーをガムテープでかっちかちのぐるっぐる巻きにして、部屋から刃物を外へ出して、そこのベッドの足に右腕を縛りつけたんです。あとはひたすら、朝が来るのを待ちました」


 なにげない調子でそう言われ、慎の顔から血の気が引く。


「……寝てないの、今日?」


「夜の間に、何度か寝落ちしましたよ。二三時間は寝たはずです。睡眠不足ではありますけど、これは仕方ありません。授業中は舌を噛んで眠気に耐えていました」


 よく見ると、すばるの目は赤い。瞼にも張りがない。

 すばるは平気な調子で言ったが、慎は、ぬけぬけとここにきて平和な顔で座っている自分を、ひっぱたきたくなった。

 大丈夫だと言われて、それを額面通りに受け止めてはいけないと、何度も学んだはずなのに。


「なら、もしかして、今夜も」


 慎が腰を浮かしかけた。少しでも早く、すばるの視界から消えたほうがいいのではないのかと。


「あるかもしれませんね。慎くん、でも、これは避けては通れないんです。なにをすればなにが起こるのか。どんな風に起きるのか。どうすれば起きなくなるのか。この体験を繰り返すのは、解決の糸口を見つけるのに必要です。少なくとも対策は一つは見つかって入るんです。だから、気にしないでください」


「気にしないのは無理だけど……でも、僕のほうも腹は決めるよ。ごめん、すばる」


「いいえ」


 すばるの笑顔は、屈託がないというよりも、共犯者に向ける悪だくみのように見える。

 どこか楽しげで、人には言えない秘密を共有している人間独特の微笑み。こんな体験も、彼女には新鮮で楽しいのかもしれない。


「体験といえば、僕も試したいことがあるんだ。虚空化を、一度、限界までやってみたい。どこまで気配を消せるのか」


「あ、いいですね。私も興味あります」


「直接すばるの役に立つことじゃないから、申し訳ないんだけど」


 すばるが微苦笑する。


「私たちが行うことのすべてが、私のためだけにするものである必要はありませんよ。一方的ではなく、見返りを求めるものでもありません」。


「ありがとう。これって、一人でやるのは怖くて。下手すると、なにかあっても誰にも見つけてもらえなくなりそうだし」


「本当にご家族の方も、慎くんの力のことは知らないんですか? 誰も?」


「うん。だから自分でコントロールできる範囲でしか、今まで能力の実験ってできなかったんだ。一人でも仲間がいれば別なんだけど、ほら、僕、今までトモダチがあんまり」


 気まずそうに遠くを見る慎。

すばるがすっと右手を前に突き出し、


「おーけーです慎くん、みなまで言わないでくださいあなたが傷つきます。では、私は慎くんを見ていればいいですか?」


「そう。見つめられている状態で気配を消すのが、一番難しいんだ。それで挑戦してみたい。……いくよ」


 呼吸を深くする。ただし音は立てず、意思も理由もなく吹き寄せる風のように、自然に。

 今まで、見知らぬ雑踏にまぎれた、人ごみの中では難なくできた。一方、以前、祖母と二人でテーブルで向かい合っていた時は、試しに存在感を消してみても、あっさり話しかけられたりもした。

 あれから修練を積んだ。今はどうだ?


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