グレーな私
夜の台所は、やけに静かだった。
電子レンジの扉を開けると、
白いコンビニの容器がそのまま置かれている。
昨日の夜、温めたはずのご飯だ。
温めたところまでは覚えている。
しかし、そのあと何をしていたのかは思い出せない。
気づけば朝になっていた。
またやったな、と思う。
昔からこういうことが多い。
レンジで温めた食べ物を、
そのまま一晩放置して親に怒られたことがある。
カップラーメンの蓋を捨てようと思いながら、
何日も机の上に置いたままにしていたこともある。
「あとでやろう」
その言葉は、たいていどこかへ消えてしまう。
煙のように薄れて、いつの間にか思い出せなくなる。
外に何か持っていかなければならない日は、
前の晩にスマホの壁紙を変える。
白い画像に、黒い文字で持ち物を書き並べる。
財布、
鍵、
イヤホン、
書類。
朝、スマホを見る。そのときになって、やっと思い出す。
普通の人は、そんなことをしないらしい。
高校生の頃、教室の窓際で本を読んでいたことがある。
ページをめくり、次の行を追う。
それだけの時間だったはずなのに、
気づくと周りの空気が変わっていた。
顔を上げると、何人かがこちらを見て笑っている。
「さっきから呼んでるんだけど」
そう言われた。
呼ばれていたことに、まったく気づかなかった。
本の中に入ってしまうと、外の音が遠くなる。
声も、笑い声も、机を叩く音も、
どこか別の場所の出来事のように感じられる。
それが何度か続くと、無視していると思われるようになる。
無視していたわけではない。
ただ、聞こえていなかっただけだ。
締切というものが、昔から苦手だった。
まだ時間がある、と思っているうちに、
時間は静かに過ぎていく。
気づいたときにはもう遅い。
机の周りには、ペットボトルがたまる。
昔は飲みかけのものも多かった。
今は最後まで飲むようにしている。
それだけでも、少しはましになったと思う。
興味のないことは、どうしても覚えられない。
何度聞いても、頭に残らない。
先生にも、友人にも、よく怒られた。
けれど、興味のあるものだけは別だった。
ある瞬間、ふと面白いと思う。
その瞬間、頭の奥で何かが切り替わる。
気づくと、時間がいくつも過ぎている。
ときどき、良いことを思いつく。
そう思った瞬間、立ち上がって何かを始める。
途中のことはあまり考えない。
ただ、動き始めてしまう。
それが良い結果になることもあるし、ならないこともある。
もしかすると、自分は何かの病気なのかもしれない。
そう思ったことは、何度かある。
調べれば、それらしい名前はいくつも出てくる。
けれど、病院に行って手帳をもらおうとは思わない。
障害者年金をもらおうとも思わない。
今、仕事ができている。
生活もしている。
なら、それでいいのだと思う。
ああいう制度は、本当に働くことができない人や、
自分の注意ではどうにもならない人が使うものだと思っている。
自分は、ただ少し不器用なだけだ。
忘れるし、締切も守れないし、部屋も散らかる。
それでも、働いて、ご飯を食べて、毎日を過ごしている。
たまにレンジの中にご飯を忘れる。
それでも、まあいいか、と思う。
世界には、もっと大きな問題がいくつもある。
自分のこの小さな不具合は、
その中ではただの癖のようなものだ。
病気かもしれないし、違うかもしれない。
どちらでもいい。
それを武器にするつもりもないし、
誰かからお金をもらうつもりもない。
ただ、この少し変わった頭の働きと一緒に生きていくだけだ。
電子レンジの中のご飯を取り出して、もう一度温める。
台所は、相変わらず静かだった。




