19話 約束
その日の夜。
島を包むのは、ただ静けさだけだった。月光が雲の切れ間から差し込み、闇の輪郭を淡く照らす。プルームはその光に導かれるように、ふと目を開けた。
戦う理由はそれぞれなのに、ソラに酷いことを言ってしまった。自分の価値観を押し付けてしまった。そんな後悔で完全に寝つけていなかったのだ。
プルームはエイラリィと二人部屋の自室を出て、夜風に当たりに宿舎の外に出た。すると、何かが風を切る音が何度も聞こえてくる。
雲にかかった月の僅かな光に照らされながら、闇夜の虚空に向かい何度も何度も剣を振り下ろす何者かがそこにいた。そして月を覆っていた雲が流れると、光が強くなり、剣を一心不乱に振り続ける人物の輪郭が顕わになる。
「ソラ……君?」
その人物とはソラだったのだ。
ソラの短い呼気と共に奔る剣は、まるで夜露を払うかの如く鋭く、そして疾く虚空を斬る。
「お、あやつまだやっておるな」
「団長」
それを見つめるプルームの横に、ヨクハが現れて、並び立った。
「わしが見かけてから、かれこれ数時間は経過しておる」
ヨクハの何気ない一言で、プルームがふとソラに視線を向けると、ただひたすらに剣を振るその姿に、凄まじい集中力とただならぬ何かを感じ生唾を飲み込む。
「ちなみに昨日もやっておったぞ」
「え?」
恐らく毎日続けているのだろうとヨクハは語る。ヨクハがソラと出会った初日、握手を交わした時、ソラの手は普通の騎士のそれではなかった。幾度となく皮が破れ、豆が潰れ、血が滲み、固く硬く堅くなったその掌は、数カ月やそこら剣を振っただけでできあがるものではない。
ヨクハからそれを聞き、ソラの持つ意外な一面にただただ言葉を失うプルームであった。するとようやく鍛錬を終えたであろうソラが、ヨクハとプルームの姿に気付き、近付いてきた。
「あれ? 団長とプルームちゃん? 起きてたの?」
「あ、そ、ソラ君、ごめん覗くつもりじゃなかったんだけど」
「日中あれだけしごかれて、鍛錬をあれだけ嫌がっていたお主が更に夜中に独り鍛錬とは、随分と精が出るのう」
すると、感心したような口振りのヨクハに対しソラは、どこか不思議そうな顔で返した。
「え、いやいやこれは鍛錬なんかじゃないよ」
「なに?」
「ただの約束なんだ。一日一万回剣を振る。どんなに疲れた日でも、どんなに悲しい日でも、どんなに死にそうになった日でもこれだけはやる。ある奴とそう約束したからな」
約束……その言葉に何やら深い事情を察したヨクハがソラに尋ねる。
「……いつからなんじゃ?」
「えっと、五年前からかな」
「五年前から一日も欠かさず……か?」
「ん? ああそうだけど」
さらっと言い放つソラ。そのあまりにも常軌を逸した日課に、さすがのヨクハも唖然とせざるを得なかった。
「あっやばっ、もうこんな時間だ! 明日の朝も島ダッシュしなきゃならないし、少しでも早く寝ないと。じゃあおやすみ団長、プルームちゃん」
すると懐の時計を見て、ソラは焦ったように騎士宿舎へと駆け込んでいった。そんなソラの姿を見て、ヨクハは口の端を上げた。
「あの尋常ならざる剣撃、その秘密がこんなところにあったとは。やはり思った通り面白い奴じゃのう」
※
翌日、竹林での反射及び動体視力強化訓練を再開するソラ達。
「今日もよろしく、プルームちゃん、エイラリィちゃんも」
「うん、それじゃ始めるけど……」
昨日と同じようにソラと距離を取り相対するプルームだが、昨日のやり取りのせいか、プルームはソラに対しよそよそしい態度を取るのだった。
「よし、来い!」
しかしそんなことお構いなしに、珍しくやる気に満ちた様子でソラは剣を構えて待つ。そしてプルームの額に剣の紋章が浮かび上がり、一つの石の礫がプルームの眼前に浮遊する。
一方、そんなやる気満々のソラとは裏腹に、プルームの頭には昨日のことが離れずにいた。
ソラとは短い付き合いではあるものの、態度は飄々として掴みどころがないが、決して軽率なことを言う人間ではない。
だが、エリギウス帝国のしていることや、オルスティアを守ることがどうでもいい。ソラの口から出たそれはとても嘘とは思えなかった。
しかしその夜、一心不乱に剣を振るソラが、とても何かを背負わずに戦う者には見えなかったこと。そんな二つの矛盾がプルームの頭の中でぐるぐると渦を巻いていたのだった。
――ソラ君、君は……
「姉さん!」
エイラリィの叫びで我に返り、気付く。思考に気を取られ、無意識の内に〈念導〉による礫の発射を、全力で行ってしまっていたことに。
凄まじい速度で放出された礫が直撃し、ソラは後方に吹き飛んだ。
「ソラ君!」
すぐさまソラに駆け寄るプルーム。そしてエイラリィ。
「ごめんソラ君、私考え事してて加減を忘れて……エイラ、すぐにソラ君の治癒を――」
直後、ソラは何事もなかったかのように平然と立ち上がった。それを見てプルームは気付く。
「今の、剣で受け止めて――」
プルームの言うとおり、ソラは礫が直撃する寸前、剣の腹でそれを受け止めていたのだった。
「おー、ようやくちょっとだけ見えてきた……ような気がする」
そしてソラは自分に感心したように呟くと、プルームに告げる。
「プルームちゃん、今の感覚忘れない内にどんどん頼むよ」
「え、あ、うん」
※
それからソラは来る日も来る日も礫を受け続けた。朝から晩まで礫を剣で受け、時には身体に受けてエイラリィに治癒をされ、また礫を剣と身体で受け、エイラリィに治癒をされ……一週間が経つ頃。
プルームの額には剣の紋章が浮かび上がり、その周囲には無数の礫が浮遊していた。そしてプルームは全弾を次々と射出していく。
「ぐっうっ!」
ソラは己に飛来するそれを剣で受け流していくが、四肢を掠った礫によって、血が滲んでいく。それでもソラは怯まず身のこなしにより紙一重で躱し続け、そして――最後の一つを剣で両断してみせた。
両断された礫がソラの体の左右を通り抜け、彼方へと消えていく。
「はあはあはあ」
肩で息をしながら残心をするソラにプルームとエイラリィが駆け寄った。
「凄いよソラ君、もう直線的な動きならいくつでも捉えられるようになってる」
「ああ、プルームちゃんとエイラリィちゃんのおかげだよ」
「正直驚きました。蒼衣騎士のあなたがこの短期間でここまで反応速度を飛躍的に上昇させるとは、凄まじい執念ですね、いや下心とでも言うべきですか」
「あの……エイラリィちゃん、何か棘があるよ、素直に褒めてくれる?」
「とりあえずこれで修行の第一段階は完了だね」
「え? 第一段階?」
”第一段階”だというプルームのその言葉に、嫌な予感を募らせて固まるソラ。するとプルームが告げる。ソラは既に前方から真っ直ぐ向かってくる攻撃には対応できるようになったため、今度は曲線的な動きからの全方位攻撃。これに対応できるようになれば、とりあえず訓練は終了だと。
それを聞き、かつてプルームに初めて出会った時の戦闘で、思念操作式飛翔刃に切り刻まれ撃破された敵騎士の姿を思い出しながら、ソラは苦笑した。
「はあ、まだまだ先は長そうだこれは」
「たかが一週間程度で修行が終わるだなんて、甘い考えをしているところがソラさんらしいですね」
皮肉たっぷりのエイラリィの一言、しかしソラはそれを聞いてハッとしたように顔を上げた。
「一週間! そうだ今日であれから一週間」
「それがどうかしましたか?」
「聖霊花、今日俺の聖霊花が咲く予定の日だ」
幼い少年のように目を輝かせ、普段見せない表情でソラが叫ぶと、ちょうど鍛錬場である竹林の中にカナフがやって来た。
「レイウィング、お前の聖霊花が咲いているぞ。見に行くといい」
そして聖霊花が咲いていることを告げる。
「ようやく、俺の守護聖霊が判明する時が来たということか」
ソラはそう呟くと訓練を中断し、聖霊花が咲く聖堂の裏の花壇に向かい足早に歩きだした。そしてカナフ、プルーム、エイラリィもその後を追う。
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