未定義の門出(前編)
お待たせいたしました!
ここから物語は、世界のバグが凝縮された死地...
『棄界』を目標に加速していきます
知略の漣と、父が遺した解析機『エイジャス』。
「二人」の「孤独」なデバッグが、今始まります
あの激闘から三日
執行官・雨宮の追撃を振り切った九条漣は低負荷区の地下 湿った風が吹き抜けるスクラップ街に潜伏していた
手元には父・九条弦が遺したデバイス『エイジャス』
画面には目的地である『棄界』の座標が刻まれている
だが そこへ至るための「最新のルート」が致命的に欠落していた
現時点で分かっていることは三つ。
・棄界へは、高負荷区の深部からでしか行けない
・棄界の情報は表にほとんど出回らず、その大半が『デマ』
・『棄界へ続く高負荷区』の位置だけは、エイジャスによって判明している
それだけだ。
それだけしか、ない。
「……九条? 冗談だろ」
耳を刺すノイズと共に 通信が一方的に切断された
端末を握る指先が、ほんの僅かに震えた
馴染みの情報屋。昨日まで愛想を振りまいていた連中が 漣が『父』の名を出した瞬間 化け物でも見るかのように回線を閉ざす
情報屋。
物理法則が壊れたこの世界においても 変わることのない「人の業」を切り売りする剥製師ども
彼らにとっても大崩壊の元凶とされる九条弦の名は触れれば即座にシステムを汚染する「不可侵の禁忌」だった
(……世界から拒絶される感覚には、もう慣れたはずだったんだがな)
漣は自嘲気味に笑い 最後の希望である老解析屋のガレージを訪ねた
父と親交があった数少ない一人。
だが老人は漣の顔を見るなり その瞳に深い「恐怖」を宿らせた
「……その顔、その眼。来るなと言ったはずだ 漣」
「頼む じいさん。棄界への入り口を知っているのはあんただけだ。俺は父さんの真実を――」
「真実など知ってどうする!」
老人の怒声が 静かなガレージにひび割れた警報のように響く
彼は何かを言いかけ 喉の奥で言葉を飲み込んだ
震える手が棚の奥を探り 埃を被った小さな箱を引きずり出す
「……これは わしが昔......弦から預かったガラクタだ」
「解析屋を引退するきっかけになった忌まわしい遺物だよ」
手渡されたのは 表面が鈍く光る『黒いプラグ』だった
「持っていけ。そして 二度とここへは戻るな」
「……じいさん?」
「お前が生き延びるためではない」
老人の目が、かすかに揺れた。
「……それが、わしにできる唯一の贖罪だ」
老人の言葉の真意を問う間もなく 漣はガレージを追い出された
扉が閉まる直前 老人が力なく呟いた一言が 雨音に混じって耳に届く
ーー「お前が辿り着く先にあるのは 希望などではないのだ」と。
夜の帳が下りる中 漣は巨大な境界防壁へと向かった
高さ三十メートル。
都市の安定を守る「物理法則のダム」
壁の隙間からは 重力異常で巻き上がった砂塵が煙のように噴き出している
そこにある空気の重み。
空間の歪み。
それだけで――ここが人界ではないことが分かる
「……父さんは博士として この景色を計算していたのかもしれない」
漣はエイジャスを起動し 境界ゲートのセキュリティ・コードに指をかけた
政府の演算サーバーが必死に物理法則を繋ぎ止めている
――「バックドア」を抉じ開ける
「けど 俺は解析屋だ」
「理屈じゃなく...自分の足で このバグを超えていく」
重い金属音が響き 扉が開く
眼前に広がるのは――
ビルが九十度に折れ曲がり 瓦礫がまるで意思を持つかのように空中に静止した、静かなる『崩壊の世界』
そう。
『棄界へ続く高負荷区』だ。
「さて……ここからは仕事の時間だ」
一歩踏み出した瞬間 肺を押し潰すような圧倒的なプレッシャーが漣を襲う
『警告。前方約200メートル地点に 正体不明の【ノイズ】を補足。……デバッグの準備を』
エイジャスの冷徹な通知と同時に 足下の石がゆっくりと浮き上がった
孤独な行軍は最初から「歓迎」されてはいなかった




