ただ、諦められる理由が欲しいだけ
漣の目の前には、激しい衝撃で粉砕され、今にも自重で崩れ落ちようと不気味な音を立てるコンクリートの残骸が広がっている
「『遅延実行』」
漣が静かに呟く。
刹那、崩落の臨界点にあった瓦礫が、その不安定な形のまま空中でピタリと固定された
本来なら一秒後には存在しないはずの「残骸」が 物理法則を無視した静止を維持する
漣はその「保留された足場」を、何ら危うげない足取りで淡々と踏み越え、瓦礫の向こう側で腰を抜かしている依頼人の元へと歩み寄った
「……報酬だ。命の代金にしちゃ、安いだろう?」
漣が依頼人から指定金の倍額を奪い取ったその時、男が至近距離で漣の顔を凝視し その表情を強張らせた。
「……九条? おい、その顔……お前、あの九条 弦の息子か……っ!?」
恐怖に満ちていたはずの男の瞳が、一瞬で「汚物」を見るような、底冷えする嫌悪に塗りつぶされた
「ふざけるな! こんな人殺しの種から金を取られるなど!!」
「……はぁ。元々、お前から襲ってきたんだろ。その上でお前を生かした手間賃だ。」
漣は再び 自ら固定した瓦礫の道を通り、出口へと向かう
背後で、這いつくばっていた依頼人がその光景を凝視していた
その瞳には、醜い「侮蔑」と「計算」が浮かび上がっている
(……なんだ。やっぱり止めるだけか。殺傷能力すらねえ、ただの欠陥能力じゃねえか。それに……『今』なら)
物理的な破壊すら伴わない、ただ「遅らせるだけ」の不遇能力
『バグ』が発生し終わった今、あんな無能なら 後ろから襲えば金を取り戻せる
さらに言えば、ヤツは九条の息子
下されるべき正義を振りかざすだけの話
「返せッ! その金は俺のもんだ、九条のガキがぁ!!」
男は形相を変えて突進した。
漣が能力で「保留」している足場へ、怒りに任せて飛びかかる
相手の能力が「止めるだけ」だと確信した男の動きに、躊躇はなかった
漣は階段の手前で足を止め、一度も振り返らずに指を鳴らした
「……解除」
その瞬間、遅延されていた物理法則が、残酷なまでに現実へと回帰した
不安定な状態で固定されていた瓦礫が、男の体重という最後の一押しを受け、一気に崩壊を再開する
「な、あ、あああああああ!?」
男の足元が消失した。
掴もうとした札束に指先が届く直前、男は重力に引かれ 土砂降りの雨の中へと真っ逆さまに落ちていった
奈落へ消えていく男の罵声を聞きながら、漣はカバンに札束を仕舞い、冷徹に、だがどこか誇り高く呟いた
「……別に、死にはしないさ。下はゴミ溜めのクッションだ。骨の一本も折れば、その頭も少しは冷えるだろ?」
漣の指先が、わずかに強くなる
雨音だけが落ち続ける
そんな中で少年は 静かに言った
「俺は、あんたたちの言う『人殺し』じゃないしな」
父が遺した『ガラクタ』を握りしめ、少年はたった一人の影を引き連れて、闇の深い方へと消えていった。
カバンに突っ込んだ札束に価値などない
そんな紙切れで...
自分に刻印された『大罪人の息子』という烙印が消えるはずもない
解析屋。
高負荷区に発生する【バグ】を解析し、情報として売る仕事
そして――
それは俺が、この世界に踏みとどまるための
唯一の理由でもある
世界を壊した男。
大厄災を引き起こした張本人。
――九条 弦。
その息子であるというだけで 俺の人生は最初から壊れていた
それでも……
父を憎みきれない自分がいる
父が罪人である事実は 誰よりも理解している
それでも その罪まで 俺が背負わされる理由はない
父は、本当に“悪”だったのか
もし解析の果てに それが証明される日が来たなら...
その時、俺は……………
「……ダメだ、考えるな」
漣は 父が遺した『未起動の解析機』を 指が白くなるほど強く握りしめた
今日もまた、答えの出ない問いを胸に抱いたまま 解析屋として歩き続ける。
…….別に『正解』が欲しいわけじゃない。
ただ――
諦められる理由が、欲しいだけだ
誰かに並んで歩いた記憶なんて、もう思い出せない
隣に立つ影なんて 数えるまでもない
それでも構わないと、何度も自分に言い聞かせてきた
一人の方が楽だ。
裏切られない。
失わなくて済む。
……そうやって、慣れてきただけだ。
そう 自分に言い聞かせるように呟き漣は闇の深い方へと消えていく
その直後だった
漣が去ったばかりの廃ビルを見下ろす位置に一人の男が「音もなく」降り立った
男は冷徹な眼差しで漣が歩き去った足跡を見つめ通信機を起動した
『ターゲットの九条漣を捕捉。これより抹殺任務に移行する』
少年の平穏は.....
今この瞬間に終わりを告げた




