第11話:黒翼の素顔・疼き出す記憶
虚影が砕け散った余波で、
黒い羽がゆっくりと舞い落ちる。
その中心に立っていたのは──
黒翼ではなかった。
葵が息を呑む。
「……え……?」
霧の奥で揺れていたのは、
冷酷な影王とは似ても似つかない、
**“幼い少女のような影”**だった。
ぼろぼろの服。
怯えた瞳。
かすかに震える指。
黒翼が震える声で口を開く。
『……見たな……
私の……
本当の姿を……』
弟影が言葉を失う。
影は重く呟く。
──これが……
黒翼の本質……?
影王の……?
いや……違う……
この形は……“影王になる前”の……
葵は震える少女を見つめた。
「……どうして……
そんな……姿……」
黒翼は一歩後ずつ後退する。
『見るな……
近寄るな……
葵……
お前にだけは……知られたくなかった……』
葵の心臓が跳ねる。
「どうして……?
私が知っちゃいけないの……?」
黒翼の瞳が揺れ、
その形がさらに幼く崩れる。
『お前が……
“私を作ったから”だ……』
弟影
『……え……?』
影
──作った……?
葵が……黒翼を……?
葵の視界に、
真っ白な光が一瞬流れ込む。
──走る音
──泣き声
──伸ばした手
──届かない背中
息が止まりかける。
「……い、まの……なに……?」
黒翼が必死に叫ぶ。
『思い出すな!!
思い出したら……私は……消える!!
お前が“忘れたから”……
私は存在できた!!』
葵の胸が強く痛む。
「わたしが……
忘れた……?」
黒翼は震える肩を抱きしめるようにしながら言った。
『私は……
本当は影王なんかじゃない……
お前が……
“一度死なせてしまった影”なんだ……』
衝撃で葵の足が止まる。
弟影が震えながら黒翼を見る。
『……じゃあ……
き、君は……
ぼくの……前の……?』
黒翼の目が大きく揺れた。
『……私には名前がない。
葵に呼ばれたこともない。
ただ……
静かに消えていくだけの……
影だった……』
葵の視界にまた閃光が走る。
──小さな影が泣きながら手を伸ばす
──葵が怖くて、手を離す
──影の身体が光に溶けていく
──「いやだ……きえたくない……」
──「こわい……助けて……葵……」
葵
「……ッ!! あ……ああああッ……!!」
影
──記憶が……戻り始めている……!!
黒翼は叫ぶ。
『思い出すな!!
その記憶は……
お前を壊す!!
私を壊す!!
二度と……戻れなくなる!!』
葵は震える手で胸を押さえる。
「わたし……
あなたを……
消した……?」
黒翼は涙に濡れた目を背ける。
『違う……
葵が悪いんじゃない……
ただ……
お前は幼すぎた……
影を抱くには……
優しさが強すぎた……
だから私は……
“葵を守って消えた”んだ……』
弟影が小さく呟く。
『……それ……
ぼくと同じだ……』
黒翼は二人に背を向け、
虚影の霧を必死に再構築しようとしていた。
『見せたくなかった……
私は憎しみなんかじゃない……
本当は……
葵の“喪失”から生まれたただの迷子……
葵が忘れ去った……小さな影……
だから……
“黒翼”なんて名前も自分で名乗っただけ……』
影が静かに言う。
──黒翼……
お前は……
本当は葵を恨んでなどいなかったのか?
黒翼は震えながら呟いた。
『恨んでなどいない……
ただ……
もう一度だけでいい……
葵に存在を見てほしかった……
それだけだ……
それだけのために……
私は影王になった……
ならざるを得なかった……!!』
葵の頬を一筋の涙が流れる。
「……ごめん……
忘れて……
ごめん……」
黒翼は首を振る。
『謝るな……
謝られる方が……苦しい……
お前は覚えていなくていい……
忘れてくれていた方が……
私は……痛まずに済む……!!』
葵は一歩、黒翼へ近づく。
虚影が揺れる。
黒翼が悲鳴。
『来るなって言った!!』
葵は止まらない。
「黒翼……
あなたを忘れたんじゃない。
“忘れなきゃ生きられなかった”んだよね……?
幼い私が、守れなかった影を抱えたままじゃ……
壊れてた……。
だから消したんでしょう……
“私を守るために”……!!」
黒翼の目から
真っ黒な涙が溢れた。
『……やめろ……
そんな風に……
私を……
見ないでくれ……!!
私は影だ……
葵の敵だ……
もう“優しさ”を向けられる資格なんて──』
葵はそっと黒翼の肩に手を置く。
「資格なんていらない。
私は……
あなたを忘れたままでいたくない。」
黒翼は崩れ落ちるように泣き出した。
『いやだ……
そんなの……
そんなのズルい……
私だって……
本当は……
もう一度……
葵に……名前を呼んでほしかった……ッ……!!』
葵は黒翼を抱きしめた。
「──黒翼。」
その瞬間──
黒翼の身体が、
光に包まれた。
影が驚愕する。
──葵……
その呼び方は……
本質を抱きしめてしまう……!!
弟影が叫ぶ。
『おねえちゃん!!
黒翼の“影核”が……
哀しみで溶けてる!!
このままだと……
黒翼が消えちゃう!!』
葵は抱きしめたまま叫ぶ。
「消えないで!!
あなたは……
私が消したんじゃない!!
私が……守りたかった影なんだ!!」
黒翼は震える手で葵の服を掴む。
『……そんなこと……
言われたら……
私は……
もう……影王でいられない……』
葵
「それでいい。
あなたは“影王じゃない”。
あなたは……
私が忘れた、小さな……」
黒翼の瞳が揺れる。
『……言うな……
名前を……
呼ばれたら……
私はもう……戻れない……
影王としても……
虚影としても……
消えてしまう……!!』
葵は静かに言った。
「──じゃあ言うよ。」
黒翼の涙が溢れる。
『やめろぉぉぉ!?』
葵はかつて呼んだことのある、
しかし今は完全に忘れてしまっていたその名を──
思い出した。
「……“──”」
その名を呼んだ瞬間、
黒翼の身体が光に包まれ弾けた。
弟影
『黒翼!!』
影
──葵!!
何を……呼んだ!?
その名前は……!!
葵は呆然と呟いた。
「……思い出した……
あなたは……
私の……
“一番最初の影”──」
光が収まり、
そこにいたのは、
影王でも黒翼でもない。
ひとりの、幼い影の少女だった。
震える声で葵を見上げる。
『……あお……い……』
葵の目から涙が零れた。
「……おかえり。」
影の少女は泣きながら笑った。
『……ただいま……』




