第1話:影の主、目覚める
願望の影が砕け散ったあと。
空間を満たしていた黒い靄はすっと消え、
静けさが落ちてきた。
葵と弟影は歩き続ける。
足元には影の道が伸び、
どこまでも真っ暗な闇が広がっていた。
『……寒いね、おねえちゃん』
弟影の声が震えている。
その震えが寒さのせいではないことを、葵はわかっていた。
葵は弟影の肩にそっと手を置く。
「大丈夫。
怖いときは……ちゃんと手をつないで?」
弟影は少し照れたように笑い、
小さな手を葵に差し出してきた。
『……うん……』
二人が手をつなぐと、
周囲の闇が微かにざわめいた。
葵は眉をひそめる。
(……感じる。
何かが“こっちを見ている”)
弟影が足を止めた。
『おねえちゃん……前、見て……』
言われるまま顔を上げた葵は、
息を飲んだ。
闇の先に──巨大な“門”が浮かんでいた。
高さはビルの十階分ほど。
歪んだ影の文字がびっしりと刻まれ、
中心には暗赤色の“眼”がひとつ。
「……これが……第三段階……?」
弟影が喉を鳴らして頷く。
『……“主の間”へ続く門だよ。
ぼくも一度だけ見たことがある……
ぼくが死んだ時……この門の向こうで……あいつが笑ってた』
葵の心臓がきつく跳ねた。
(弟の命を奪った“本当のもの”……
この中にいる……)
門の“眼”がゆっくりと動き、
葵たちを射抜いた。
『──見つけた』
声ではない。
頭の奥に直接響く“意思”。
葵は思わず弟影の手を強く握る。
「……あなたが……弟を……?」
答えはない。
ただ門が、ぎぃ……と軋みながら開き始めた。
真っ暗な奥から、重低音の鼓動のような気配が近づいてくる。
ドン……
ドン……
ドン……
弟影が顔を青くする。
『来る……
“主”が……起きる……!!』
葵は足を踏みしめた。
(逃げられない。
ここで終わらせないと──)
闇の奥から、
影がゆっくりと形を取っていく。
まず腕。
次に肩、胸、そして……ひとつの巨大な“顔”。
真っ黒な仮面のような顔に、
裂けるような笑みが刻まれた。
『ようやく来たか……
人間の女』
その声は空間全体を震わせた。
葵の背筋が凍りつく。
無意識に一歩下がると、
弟影が前に出た。
『相手はぼくの方だ!!
お前は……ぼくを殺して……
おねえちゃんまで奪おうとした!!』
主は滑らかに笑う。
『お前……まだいたのか。
影になってまで人間にしがみつくとは……
哀れだな』
弟影は怒りに震え、
葵は胸が締めつけられた。
(……弟はこの存在に……たったひとりで対峙して……
そして……)
主の巨大な腕が持ち上がる。
『葵。
お前は器として優秀だ。
感情が深い。
愛も、罪も、後悔も、願望も……すべて“影の栄養”となる』
葵の心が引きずられるように揺れた。
『来い……
お前の未来はもう決まっている』
その瞬間──
弟影が葵の前に飛び出した。
『やめろ!!
おねえちゃんは……渡さない!!』
主の腕が、無慈悲に振り下ろされる。
「弟くん!!」
葵は叫び、弟影の腕を掴んで引き寄せた。
ドォン!!
衝撃波だけで体が吹き飛びそうになる。
弟影は震えながら葵にしがみついた。
『……こわ……かった……』
葵は強く抱きしめる。
「怖いのは私も同じだよ……
でも、一緒なら……大丈夫だから……!」
主の仮面がわずかに傾く。
『ふむ……
面白い……“人間と影の共鳴”か』
闇が波打つ。
『ならば……第三段階の規則は変更だ。
二人まとめて……飲み込んでやろう』
葵は息を呑んだ。
影の主が両腕を広げた瞬間、
地面が割れ、無数の影が這い上がってくる。
弟影が葵の手を握り、叫ぶ。
『おねえちゃん!!
逃げられないよ!!
第三段階は……“影の主との正面戦”だ!!』
葵は拳を固めた。
(願望も弱さも、もう乗り越えた……
あとは──“本当の敵を倒す”だけ!!)
「行こう、弟くん……!!
ここで終わらせる!!」
影の主が大きく咆哮した。
『来い──人間!!
影すら喰われる闇の中へ!!』
葵と弟影は、
ついに“最終決戦”へ踏み込んだ。




