第8話:影の衝突
──激突の音は、
音ではなく“空間の悲鳴”だった。
黒と蒼黒がぶつかった瞬間、
空気が割れ、
壁がしなり、
床が波打つように沈んだ。
青年が思わず後退する。
「これは……
“影”と“器”の衝突じゃない……
“魂の震動”そのもの……!」
颯が叫ぶ。
「葵!! 危ない!!」
しかし奏が颯の腕を掴む。
「近づいちゃダメ!!
あの領域はもう……
人間の魂じゃ耐えられない!!」
颯は歯を食いしばりながら叫んだ。
「でも……葵が!!
葵がそこにいるんだぞ……!!」
拳を震わせる颯を横目に、
葵は一歩も引かずに立っていた。
弟の影を背に、
影の主と真正面から対峙して。
(こわい……
足が震えてる……
でも……弟がいる。
だから──立てる。)
影の主が声のない声で叫んだ。
『……器ヨ……
本来ノ姿ニ戻レ……!!
愛情デ歪ンダ器ニ……
価値ナド……ナイ……!!』
弟影が低く唸るように返す。
『おねえちゃんの……価値は……
ぼくが……いちばん知ってる……!』
影の主の漆黒が刃のように伸びた。
シャアァァッ!!
その刃は空間そのものを切り裂き、
葵の胸を狙って走る。
弟影が瞬時に前へ飛ぶ。
『させない……!!』
黒の刃と弟影が激突し、
火花のように黒い光が散った。
青年が衝撃で壁に叩きつけられながら叫ぶ。
「影の主の力は……桁違いだ……!!
弟影じゃ防ぎきれない……!!
葵、意識を集中しろ!!
器の力を……解放しろ!!」
葵は叫ぶように問い返す。
「どうすればいいの!?
私は……なにを……?」
青年は苦痛に顔を歪めながらも叫んだ。
「“恐れを手放すな”。
恐怖は器の力の源だ!!
でも怯えるだけじゃダメだ!!
恐怖を“守りたい気持ち”と結びつけろ!!
それが器の力になる!!」
葵の胸が脈打つ。
守りたい。
弟を。
颯を。
奏を。
叔父を。
青年を。
全部。
失いたくない。
その瞬間──
葵の足元で紋様が広がった。
蒼黒の輪がゆっくりと開き、
まるで心臓の鼓動に合わせて脈動する。
影の主がざわめくように震えた。
『……器が……覚醒シ始メタ……?
許サヌ……許サヌ……!!』
影の主が手を振り上げ、
漆黒の渦を形成する。
壁が歪み、
天井がきしみ、
重力が狂ったように揺らぐ。
青年が叫ぶ。
「来るぞ!!
“魂喰いの渦”だ!!
触れたら最後……存在そのものを奪われる!!」
葵は胸に手を当てた。
(弟……
力を貸して……
私は……一人じゃ……)
『うん』
弟影が葵の背中に触れた。
その瞬間、
葵の中で“何か”が繋がった。
魂の奥で、
影の奥で、
ずっと凍っていた部分が融ける。
溢れたのは痛みではなく、
優しい温度。
「私は──
弟を守る“器”。」
蒼黒の光が一瞬膨れ上がった。
明確な意思を持つ影。
人の姿をした影。
それが葵の隣に立つ。
弟とは違う。
けれど確かに“葵の影”。
青年が息を呑む。
「……“器の本体”……!!
葵、君自身の影だ!!」
影の主が怒りに震える。
『ユガンダ……!!
器ナド……破壊スル……!!』
影の主が“魂喰いの渦”を放った。
ゴウウウウウウッ!!
空間そのものが裂け、
黒い渦が葵たちに迫る。
見た瞬間分かった。
避けても無駄。
逃げても無駄。
飲まれれば終わり。
人間も、
器も、
弟影も、
すべて消される。
葵は震えながらも足を踏み出した。
「来なよ……
私が……受け止める。」
颯が叫ぶ。
「やめろぉぉッ!!
そんなの無茶だ!!
死ぬぞ!! 葵!!」
奏も泣き叫ぶ。
「葵ちゃん!!
無理だよ!!
そんなの……!!」
叔父は震えながらも呟く。
「……葵……やめてくれ……
おまえまで失いたくない……!」
青年の声が震える。
「葵……!
その攻撃は……“受け止めるものじゃない”!!
普通なら絶対に耐えられない!!」
葵は微笑んだ。
「──“普通”じゃないよ。
私は。
器なんだから。」
弟影が葵の手を握る。
『いっしょに、いこ。
おねえちゃん。』
葵は強く頷いた。
「うん」
次の瞬間──
葵と弟影が手を伸ばし、
“魂喰いの渦”をつかんだ。
颯が絶叫する。
「葵ぃぃぃぃッ!!」
青年が恐怖に凍りつく。
「……つかんだ……!?
自分の魂が削れる攻撃を……!!」
影の主が悲鳴のような声を上げる。
『やめ……ロ……
器……!!
ナゼ……ナゼ耐エル……!?』
葵は歯を食いしばり、
全身で渦を押さえ込む。
「私は……倒れない……!!
弟と……一緒だから……!!
守りたい人がいるから……!!
もう二度と……奪わせない!!」
蒼黒の紋様が爆ぜた。
弟影と葵の影が重なり──
巨大な“器の影”へと形を変える。
影の主が後退する。
『……馬鹿ナ……馬鹿ナ……!!
歪ンダ器ガ……
ナゼ……
完全形態ニ……!?』
葵の声が響く。
「私は《不完全》でも、《間違って》いても──
それでも弟を守りたかった。
愛したかった。
それだけで……十分なんだよ!!」
影の主が渦を引き裂かれ、
よろめく。
その瞬間、
器の影が拳を振り上げた。
葵の叫びと共に、
「──どけぇぇぇぇッ!!」
影の主の胸部に叩きつけた。
ドォォォォン!!
影の主の身体が吹き飛び、
闇が裂け、
空間に穴が開く。
黒い霧が四散し、
叫びが響く。
『ァアアアアアアアアアッ!!
器……ッ……!!
人間ト混ザルナ……!!
歪ム……歪ム……!!』
葵は拳を震わせながら叫ぶ。
「歪んでてもいい!!
これが……私の生き方だぁぁぁッ!!」
影の主が後退し、
その影が徐々に薄くなっていく。
青年が息を呑む。
「まさか……
影の主を……押し返した……?
葵が……!!」
颯は涙を流しながら笑った。
「……すげぇよ……葵……
お前は……
俺が惚れた葵そのまんまだ……!」
奏は震えた声で呟く。
「葵ちゃん……
本当に……強くなったんだね……」
叔父が静かに目を閉じる。
「強く……美しい……
これが……葵の“器”……」
影の主は苦しげに影を揺らし、
空間の裂け目へと後退していく。
しかし──
その直前、
影の主が低く呟いた。
『……器。
マタ会ウ……
次ハ……完全ナ姿デ……
奪イニ……来ル。』
そして、影の主は闇へ消えた。
部屋に静寂が戻る。
葵はその場に崩れ落ちた。
弟影がそっと抱きとめる。
『おねえちゃん……だいじょうぶ……?』
葵は涙をこぼした。
「……うん。
ありがとう……
守ってくれて……
一緒にいてくれて……
本当に……ありがとう……」
弟影は微笑むように揺れた。
『ずっと……いっしょだよ……』
青年がゆっくり歩み寄る。
「葵……
今の一撃で影の主を退けた。
でも──
まだ終わっていない」
葵は顔を上げる。
「終わって……ない……?」
青年は静かに頷いた。
「影の主は……必ず“完全体”で戻ってくる。
その前に──
君の《器》を完成させなければならない。」
颯が葵のそばに膝をつく。
「なら……
俺たちも一緒に行くよ。
葵をひとりにしねぇ。」
奏も強く頷いた。
「葵ちゃんを……守る。
何が来ても。」
叔父も言った。
「逃げられない。
なら、全員で向き合うしかない。」
葵の胸が暖かくなる。
(私……ひとりじゃない……
もう、何も怖くない……)
青年は静かに口を開いた。
「──これより、“器の修行”に入る。
君が完全になる前に……
影の主が戻る前に。」
葵は、強く頷いた。
「教えて。
私が本当に……“器になる”ために必要なすべてを。」
青年は深く息を吸い込んだ。
「いいだろう。
これから話すことが──
君の人生を変える。」
物語は
“人間と器の狭間”へ突入する。




