第6話:影の主、来襲
家が揺れるたび、
壁に飾られた写真が落ち、
床がきしみ、
空気がひりつくように重くなっていく。
窓の外。
暗い空を、まるで“影の津波”のような黒が覆っていた。
それは煙ではない。
闇でもない。
生きている。
蠢き、
脈打ち、
触れてはならない何か。
颯が蒼白の顔で叫んだ。
「なんだよ……あれ……!!
まるで……街が丸ごと飲まれてるみたいだ……!」
奏は震える声で息を呑む。
「影の濃度が……高すぎる……
こんなの……近づいただけで魂がもたない……!」
叔父がカーテンを閉め、
全員を窓から遠ざけた。
「外を見るな!
目を合わせただけで魂が引かれるぞ!!」
青年はひとり、窓に背を向けて立ち、
低く呟いた。
「──来たな、影の主。」
葵の鼓動が跳ねる。
(影の……主……
影の頂点にいる存在……
弟の影とも……違う?)
ドォォン!!
玄関が、まるで巨大な拳で殴られたように歪んだ。
ガガガガガガ!!
影が扉の隙間に入り込み、
錠前を“内側から壊そう”とするように暴れだす。
奏が必死に叫んだ。
「どうするの!?
ここ……もう守れない……!!」
颯は葵の前に立ち、
腕を広げた。
「葵には指一本触れさせない!!
……影だろうがなんだろうが……!」
青年が即座に言い放った。
「颯、前に出るな!!
あれは君の死では済まない!!
“魂ごと消える”!!」
颯の喉が詰まる。
魂ごと。
存在がなくなる。
一个瞬で。
青年は葵を見る。
その瞳には
恐れではなく──“覚悟”だけが光っていた。
「葵。
君を取り戻しに来たんだ。
君を“影の器”として奪いに。」
葵の背筋が凍る。
(奪いに……?
影の主が……?
私を……?)
青年は続けた。
「君は影の主にとって《欠けた器》だ。
君の中にある弟の魂も、
今の形も──
主からすれば“異物”なんだ。」
叔父が言う。
「つまり……影の主は……葵を“本来の怪物の器”に戻す……?」
青年は静かに頷いた。
「そう。
“葵から人間性を奪うために”来た。」
ドオオオオオォォォン!!
玄関の錠前が跳ね飛び、
扉が外れかけ、
黒い影が指のように侵入してくる。
“見ただけで魂が削られる”ような濁った黒。
葵の弟の影とは違う。
温かみも、痛みも、悲しみもない。
ただ──空虚。
ただ──飢えている。
青年が叫ぶ。
「全員、葵から離れろ!!
狙われているのは葵だけだ!!」
だが颯が叫ぶ。
「離れられるかよ!!
葵を置いて逃げられるわけねぇだろ!!」
葵は首を振る。
「颯くん……!
離れて……!
巻き込まれたら──」
「いやだ!!」
颯は葵の腕を掴んだ。
「葵をひとりで戦わせるなんて……無理に決まってる!!
俺が……守る!!」
青年が歯を食いしばる。
(……愚かだ。
だが──それが、人間だ。)
影の主の“手”が扉の向こうで形を持ち始めた。
人の形のようでいて、
人ではない。
輪郭が揺れ、
黒が滴り、
触れるだけで凍え死ぬような存在。
叔父が震える声で呟いた。
「影の主は……“形を持つ”……
そんな……禁級の怪異だぞ……!」
青年はポケットから札を取り出し、
扉に向けて放つ。
「──術式、《反転陣》!」
札が光り、結界が一瞬で広がった。
が──。
バチッ!!
影の主の指先が結界に触れた瞬間、
光が“押し潰された”。
まるで紙を破るように。
青年の顔から血の気が引く。
「……反転が……効かない……!?
そんな……馬鹿な……
主の力が……強すぎる……!」
奏は膝を震わせる。
「どうするの……これ……
勝てない……
逃げても無意味……
終わっちゃう……?」
青年は唇を噛み、
最後の札を掲げた。
「──だから葵。
君が目覚めるしかない。」
葵の胸が強く脈打つ。
「私が……?」
青年は叫んだ。
「器として──
本来の力を!!」
颯は葵の肩を掴む。
「葵……
お前は……
絶対に、怪物なんかじゃない。
でも……
もしお前の力で皆が助かるなら──
俺は信じる!!
お前の全部を!!」
ドォォォンッ!!!!
とうとう玄関の扉が吹き飛んだ。
黒い影が床を這い、
壁を登り、
天井から垂れ下がり、
部屋の中央へ向かって集まってくる──
すべてが“ひとつの形”へと収束する。
それは“人の影”。
けれど、顔がない。
目の場所には空洞。
口の場所は裂け、
声が流れ出すように響いた。
『──かえせ。
器を。』
葵の視界が揺れる。
(これが……
影の主……)
青年が葵の肩に手を置く。
「葵。
君が立たなければ……
皆、魂ごと消される。」
葵は震えながらも──
拳を握った。
弟の声が、
胸の奥で囁いた。
『だいじょうぶ。
おねえちゃん。
いっしょに、たたかおう?』
その瞬間、
葵の中の“影”が脈打つ。
世界が揺れ──
葵の瞳が深い蒼黒に染まった。
「……来なよ。」
影の主が動いた。




