第3話:残された温もり
葵の手は、
確かにそこに“いたはず”の弟を
掴み損ねたまま宙を切った。
光は揺らぎ──
静かに、完全に消えた。
空気が止まる。
心臓の音すら、
聞こえなくなる。
葵の指先が震えた。
「……うそ……
また……
いなくなるの……?」
声は掠れていた。
「今度こそ……
何も残さず……
全部消えちゃうの……?」
膝が崩れ、
床に落ちる。
涙がぽたぽたと音を立てた。
颯が駆け寄ろうとする。
「葵……!!
大丈夫──」
だが葵は静かに、
首を横に振った。
「大丈夫じゃない……
大丈夫なわけ……ない……」
奏も泣きながら葵のそばに座る。
「葵ちゃん……
ごめん……
何もできなくて……」
叔父も唇を噛みしめる。
青年だけが、
ただ静かに目を閉じていた。
葵は震える声で言った。
「どうして……
私から……
大切なものばかり……
消えていくの……?」
指先が痛いほど握りしめられる。
「弟も……
影も……
家族も……
私の手で……
ぜんぶ……壊れて……
私が……呼んで……
私が……失って……
私は……
何も守れない……」
涙がさらに落ちる。
その瞬間──
青年が、静かに言った。
「違う」
葵は顔を上げる。
青年の瞳は
どこまでも静かで、
どこまでも真っ直ぐだった。
「葵。
君は失ってなどいない」
葵は悲しげに眉を寄せる。
「……失ってない……?
どうしてそんなこと……
言えるの……?」
青年はゆっくり言葉を続けた。
「弟は消えていない。
“形を変えただけだ”」
葵の呼吸が止まる。
青年は弟が消えた空間を見つめたまま、
低く言った。
「弟は……
君の影となり、
そして今は──」
颯と奏が息を飲む。
叔父も驚愕に目を開く。
青年がその続きを言った瞬間、
空気が震えた。
「──君の“魂”の中に戻ったんだ」
葵の瞳が大きく開く。
(魂……の中……?
弟が……?
私の……?)
青年は頷いた。
「君が“愛してる”と言った瞬間、
影は、かつて弟が願ったままの形で
君の中へ戻る道を選んだ。
弟は君の一部になったんだよ」
葵の瞳が震える。
「弟は……
私の中に……?」
「そうだ。
君が望んだから。
弟も望んだから。
“もう二度と離れない”形を
自分で選んだんだ」
葵は唇を押さえる。
(私が……
弟を……
抱きしめたから……?
弟が……
“もう二度と離れない”形に……
変わった……?)
青年は静かに続ける。
「影は消えたわけじゃない。
弟は消えたわけじゃない。
ただ──
君を守るために、
“帰った”んだ」
葵は涙を流したまま、
胸に手を当てた。
じんわりと、
温かさが伝わる。
──ドクン。
とてもやさしい鼓動。
(……これ……
弟の……?
弟の気配……
影の温もり……)
心臓の奥が、
温かい光で満たされる。
葵は涙を流しながら微笑んだ。
「……良かった……
また……
一緒に……いられる……」
颯が安堵し、
奏が泣きながら笑う。
叔父は沈痛な面持ちながらも、
静かに頷いた。
だが──
青年の表情だけが、
ひとり深い影を落とす。
颯が気づいた。
「……どうした?」
青年は少し間を置き、
低く呟く。
「弟が葵の中に戻ったことで……
新しい問題が生まれた」
葵が顔を上げる。
「問題……?」
青年は、
誰よりも静かな声で言った。
「弟の魂が“帰った”ということは──
葵の中には今……
“二つの魂”が存在する」
颯が息を詰める。
奏が蒼白になる。
叔父が鋭い声で問い詰める。
「まさか……融合してしまうのか?」
青年は首を横に振る。
「違う。
融合ではない」
青年は葵の胸元へ目を向け、
はっきりと言った。
「──“どちらかが、もう片方を喰う”」
空気が凍りついた。
葵の心臓が激しく脈打つ。
(喰う……?
魂が……
どちらかを……?)
青年が続ける。
「魂はひとつの器に
本来ふたつ入らない。
このままでは──」
言葉が重く落ちた。
「──葵か弟のどちらかが、
必ず消える」
葵の瞳孔が縮む。
颯が叫ぶ。
「そんな……!!」
奏が泣き崩れる。
叔父が怒鳴る。
「どうにかできないのか!!」
しかし青年は静かに言った。
「できる方法は──
ひとつだけだ」
全員が息を呑む。
青年が葵の目をまっすぐに見つめる。
「葵。
君自身が選ぶんだ」
空気が刺すように痛い。
青年の声は、
どこまでも残酷で──
どこまでも真摯だった。
「弟を生かすか──
自分を生かすか。」
葵の胸が震えた。
(そんなの……
選べるわけ……
ない……!!)
しかし青年は続けた。
「ただし──
その選択をする前に、
“ひとつだけ伝えなければならない真実”がある」
全員が息を飲む。
「それは──
君の魂が“欠けている”という事実だ」
葵の視界が揺れた。
欠けている……?
私の魂が……?
残酷な真実の扉が、
またひとつ開いた。




