表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/73

第5話:閉じるべき扉、開き始める心

夜の空気は肌寒く、

四人の足音だけが薄暗い住宅街に吸い込まれていった。


葵の家が近づくほど、

胸の奥が重くなる。


(家に戻るだけなのに……どうして……こんなに……怖いの……?)


颯が隣を歩きながら、そっと声をかけた。

「無理に話すなよ。

 ただ歩くだけでいい」


奏も手を握っている。

その手は温かいのに──

足元の影がやけに濃い。


青年だけが、何かを探るように周囲の“気配”を見ていた。


「……ついて来ているな。

 けれど形は取っていない。今は“耳だけ”だ」


葵は息を呑んだ。


耳だけ──

つまり、声だけ届いている状態。


(だから……あの声が……)


『……あおい……』


今も、かすかに聞こえる。


「返事をするな」と言われても、

返事をしてしまいそうになるくらい弱い、泣きそうな声だった。


葵の家へ辿り着くと、

颯が玄関の前で言った。


「まずは家の中を確認する。

 影が入り込んでないかをな」


葵の母は仕事で遅く、家は無人だ。


鍵を開け、四人は恐る恐る入る。


玄関の空気は、普段の匂いのはずなのに、

今はどこか冷たく感じた。


青年が玄関マットに視線を落とす。

「……まだ侵入の跡はない。

 影は葵の“外側”に徹している」


安堵と緊張が同時に胸へ落ちた。


リビングへ入り、四人は腰を下ろす。

葵の家は静かで、優しい灯りがいつも通り照らしている。


本来なら安心できる場所なのに、

今はどこか“薄い膜で隔てられている”ような気がした。


奏が温かいお茶を配りながら言った。

「はぁ……やっと座れた……

 ここまで来るの、本当に長かった……」


葵は湯気に手をかざし、

じわりと戻る指先の感覚にほっと息をついた。


しかし、青年が急に顔を上げた。


「葵。

 リビングに置いてある、“あるもの”に触れるな」


「……え……?」


「影が最も干渉しやすい“記憶の媒体”が、この部屋にある」


葵は心臓が跳ねた。


(……私の記憶……?

 この部屋に、何があるの……?)


颯が立ち上がり、リビングの棚を見渡す。

そこには写真立てがいくつも並んでいた。


家族写真。

小さい頃の葵。

運動会、入学式、旅行のスナップ。


どれも、懐かしい記憶。


しかし──

青年が指さしたのは、その中の一枚。


普通の写真立て。

家族三人で写っているはずの写真。


けれど──


「……え……?」


葵は目を凝らした。


写真の端に、

“見覚えのない小さな手”が写っていた。


それは、家族の誰でもない。

隅にちょこんと置かれた、小さな子どもの手。


(……この写真……こんなの……

 こんなの写ってなかった……)


奏が青ざめる。

「えっ……もしかして……

 これ、“前からこうだった”わけじゃないよね……?」


青年は短く答えた。


「影が“記憶の隙間”を埋めたんだ。

 葵が家に近づくにつれ、干渉が強くなった」


葵は写真を手に取ろうとして──

青年に手首を掴まれた。


「触れるなと言ったはずだ」


葵は震える声で問う。


「……どうしてこれ……

 私……覚えてないのに……

 こんなに胸が……痛いの……?」


青年はわずかに表情を曇らせた。


「──“あの日の記憶”が近づいている」


颯の顔色も変わった。


「“あの日”って……何のことだよ……」


青年は答えない。


葵は震えながら写真立てを見つめた。


隅に写る小さな手。

影よりも白い。

幼い。

ちいさな小指。


そこから離れられない。


(……この手……

 私……知ってる……)


胸を掴まれるような苦しさが走る。


肺が重くなる。

息が浅くなる。


写真の手が──

ほんのわずかに動いた気がした。


葵は思わず口を開いていた。


「──名前……思い出さなきゃ……」


颯が慌てて葵の手を掴む。


「ダメだ!! 葵!!」


奏も肩を揺さぶる。

「やめて!! 葵!!」


しかし葵の視界はぼやけ、

写真の中の“その子の気配”ばかりが大きくなっていく。


影の声が耳の奥で囁いた。


『……おねえちゃん……

 さがしたよ……』


葵は涙が溢れるほど胸が締め付けられ、


「……私……

 本当に……おねえちゃん……だったの……?」


言いかけた瞬間。


ガンッ!!


家中の照明が一斉に明滅した。


窓ガラスが震え、

カーテンが揺れ、

玄関のドアが“外から叩かれる音”が響く。


ドン……ッ

ドン……ッ

ドン……ッ


影の声が、

“はっきりと聞こえた”。


『あけて……

 あおい……

 ──かえして』


葵の足が勝手に玄関へ向かう。


颯が後ろから抱きしめて止める。


「ダメだ!!

 葵を呼んでる!!」


青年が叫んだ。


「距離がゼロになった!!

 名前を呼ばれたら、向こうに引かれる!!

 ──絶対に“聞くな”!!」


葵は必死に耳を塞ぐ。


(聞きたくない……

 でも……聞きたくて……

 泣きそうに……なる……)


そして、玄関の扉の向こうから。


コン……コン……。


今度は優しいノックが響いた。


まるで──

“帰ってきた家族がドアを叩くように”。


『……あけて……

 おねえちゃん……』


葵の心が壊れそうになった。


(どうして……

 どうしてその声が……

 こんなに……悲しいの……?)


青年が叫ぶ。


「葵!! 目を開けるな!!

 その声は“記憶じゃない”!!

 ただの影だ!!」


しかし──

葵の心の奥では、すでに答えが揺れていた。


(影は“記憶の形”……

 じゃあ本物は……?

 私は何を……忘れたの……?)


扉越しの影が、ゆっくりと名前を呼ぶ。


『……あお──』


颯が葵の口を塞ぎ、ぎゅっと抱きしめた。


「聞くな!! 葵!!

 お前が返事したら……

 本当に……連れていかれる……!」


玄関の扉が歪み始める。


影が、近づいている。


ここから先は──

葵が“本当に忘れている名前”との戦いになる。


そして、その名前を知っているのは、

この場にいる“誰か”だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ