第3章 第1話:出口へ続く闇
廊下の先に広がる闇は、まるで空間そのものが黒く染まっているようだった。
照明が点いているはずなのに、光は闇に吸い込まれ、足元すらぼんやりとしか見えない。
葵は颯の手を握り、息を整えた。
(こわい……でも、行かなきゃ……)
青年が先頭に立ち、低く言う。
「ここからが本番だ。
校舎は“出口へ近づくほど”抵抗を強める」
奏が不安そうに問う。
「抵抗って……どうなるの……?」
青年は振り返らずに答えた。
「空間が歪む。
道が変わる。
記憶や幻が干渉してくる。
そして──“あれ”が、もっと近くなる」
颯が舌打ちする。
「だったらなおさら急ぐぞ」
四人は闇の廊下へ踏み込んだ。
踏み出した瞬間、
空気がひやりと変わった。
(さっきまでより……冷たい……)
葵は腕を抱いた。
ぞくぞくと、背骨を指でなぞられるような感覚が走る。
「走ると吸い寄せられる。歩け」
青年の声は静かだが緊張が滲んでいた。
しばらく歩き続けると、
廊下の壁に貼られた掲示物が、次々と“白紙”になっていった。
奏が小さく声を上げた。
「……これ……全部真っ白……」
「“記録の消去”だ」
青年が淡々と言う。
「校舎が、現実の情報を削っている」
葵の足が止まりかけた。
(削っている……? どういう……)
颯が肩を押す。
「考えるな。とにかく前へ」
再び歩き出したその時──
カツン……
背後で、足音が響いた。
葵は凍りつく。
(……誰か……いる?
でも、颯も奏も青年さんも……ここにいる)
青年がすぐに言った。
「振り返るな。絶対にだ」
颯も低く囁く。
「葵、見るなよ……?」
でも、足音は一歩ずつ確実に近づいてくる。
カツ……カツ……カツ……
まるで誰かが、
葵のすぐ後ろでついてきているようだった。
(嫌……やだ……なんで……)
恐怖が喉を締め付け、目が潤む。
奏が小さく葵の手を握った。
「だいじょうぶ……だいじょうぶだから……」
青年の声が急に鋭くなる。
「速度を上げるぞ。
あれは“気づいている”。」
そのとき──
廊下の壁が、ぬるり、と揺れた。
「……ッ!」
葵は息を呑んだ。
壁が液体のように波打ち、
そこから、白い“手”がゆっくりと出てきた。
小さな子どもの手。
白く、細く、力がなくて、
なのに存在感が異常に強い。
青年が叫ぶ。
「走れ!! 歩きでは無理だ!!」
颯が葵の腕を掴み、
奏が背中を押し、
四人は一斉に走り出した。
白い手は壁からずるりと抜け出し──
床に触れた瞬間、
音もなく滑るように追いかけてくる。
(はやい……!)
足音が乱れ、息が切れそうになる。
颯の声が背中を押す。
「出口の方へ走れ!!」
だが──
廊下が唐突に曲がり角を“失くした”。
ただの黒い壁が行く手を塞ぐ。
「……道が……変わってる……!」
奏が悲鳴を上げる。
青年が即座に反対方向を示す。
「戻れ! まだ別の経路が──」
ズズズッ……
壁から白い影がいくつもにじみ出し始めた。
葵の体が震える。
視界が揺れ、泣きそうになる。
(だめ……もう……)
そのとき。
──ぱちん。
目の前の景色が一瞬、白く弾けた。
「……え……?」
葵の頭の中に“映像”が流れ込んだ。
暗い廊下。
閉ざされた扉。
泣き声。
小さな手が、自分の腕を掴んでいる。
(これ……私の……)
颯が叫ぶ。
「葵!! こっち見ろ!!」
はっと顔を上げると、
青年が葵の腕を掴もうと手を伸ばしている。
「記憶に引き込まれるな!!
今は“現実”だけを見ろ!!」
白い手が床を滑り──
葵の足首へ触れようとする。
颯が叫ぶ。
「させるかッ!!」
彼は自分のブレザーを脱ぎ捨て、
植木棚を蹴り倒して影の動きを遮った。
一瞬の隙に、青年が叫ぶ。
「非常階段だ!!
非常口のランプは“あれ”でも消せない!!
そこから行くぞ!!」
暗闇の奥に、緑色の非常灯がかすかに揺れている。
葵は必死に走った。
白い手が後ろで蠢いている気配。
背中に冷たい視線。
胸の奥に飲み込まれるような声。
『……あおい……』
だがその声を振り払うように──
颯が手を伸ばし、
奏が背中を押し、
青年が道を開いた。
葵は非常階段へ飛び込んだ。
扉を閉めた瞬間──
コツン。
扉の向こう側で、硬い指先が当たる音がした。
沈黙が落ちる。
颯が扉を押さえながら息を荒げる。
「……っ……行けた……のか……?」
青年は険しい顔で階段の下を見下ろし、言った。
「まだだ。
だが──進める。
“ここから先”は、あれも干渉しづらい」
葵は頬に触れた。
さっきより印が熱い。
(……まだ追ってくる……
絶対、あの子はあきらめない……)
でも、外へ近づいている。
それだけは確かだった。
青年が静かに言う。
「行こう。
外に出れば──何かが“思い出せる”。
そして“真相”は、もうすぐだ」
葵は小さく息を吸い、頷いた。
「……うん……行く……」
四人は非常階段を下り始めた。
影が、扉の向こうで形を変えながら這う音が微かに続いていた。




