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第8話:影の記憶

――暗闇が、静かに揺れていた。


深い深い水の底に沈んでいくような感覚の中で、葵はふと目を開けた。


(……ここ……どこ……?)


周囲は薄い靄に包まれ、白と黒のあいだを漂っているような世界だった。

上下の感覚も曖昧で、ただ自分が“何かに包まれている”ことだけは確かだった。


ぼんやりとした視界の中、遠くで小さな影が揺れる。

影はまるで、葵を案内するようにゆっくりと動いていた。


(行けって……こと?)


足が自然に前へ進む。


音はないのに、足音だけが淡く響く。不自然で、夢の中のような静けさ。


しばらく歩くと、靄の向こうに“誰かの背中”がぼんやりと見えた。


小さな子ども――。

年齢は小学校低学年ほどだろうか。

真っ白なワンピースと、黒く長い髪。


その子は、じっと遠くを見つめていた。


葵は思わず声をかけそうになる。


(……あの子……誰?)


彼女の背中には“見覚えのようなもの”があった。

だが、確信には至らない。


手を伸ばしかけた、その時――


小さな声が、世界全体に響いた。


『……あおい……』


葵は心臓を掴まれたように立ち止まる。


それはさっきの影の声より、ずっと幼く、ずっと弱々しい声。

どこか懐かしい響きに胸がざわつく。


「誰……? どうして私の名前を……」


葵が問いかけようとした瞬間――


子どもの姿がふっと消えた。


靄が波紋のように揺れ、代わりに“別の景色”が現れる。


それは、見覚えのある廊下だった。


(……これ、私の小学校……?)


壁の色、掲示物の位置、外の光――

細かいところまで覚えている。


葵は歩きながら、胸の奥に奇妙な痛みが走るのを感じた。


(なんで……こんなに懐かしいの……?)


ふと横を見ると、下駄箱のところに、さっきの子どもが立っていた。

葵に背を向け、何かをじっと見つめている。


(また……)


今度こそ、声をかけようと近づく。


だが、その瞬間――


子どもがゆっくりと振り返った。


顔は靄に隠れて見えない。

だが、彼女の胸元には、小さく折り畳まれた紙が握られていた。


……見覚えがある。


(この紙……私が昨日拾った……“気をつけて”……?)


葵が戸惑う間に、子どもが紙を差し出してくる。


白い指先が震え、声がかすかに漏れた。


『……返して……』


返して――?


あの“闇”と同じ言葉。


葵の背中に、ぞわりと恐怖が走る。

同時に、胸の奥が痛むような感覚も込み上げる。


(返して……? 私、何を……)


手を伸ばした瞬間――


子どもの輪郭がぐにゃりと歪み、世界全体が崩れ始めた。


床が崩れ落ち、廊下の壁が裂け、靄が激しく渦を巻く。


『……かえして……あおい……』


無数の声が重なり、世界の底から響く。


葵は立っていられず、足元が消えた。


――落ちる。


暗闇の底へ、真っ逆さまに。



---


「葵!!」


誰かの叫び声と共に、現実の光が一気に開いた。


葵は息を吸い、目を見開く。


視界には、必死に抱きかかえる颯の顔があった。


「葵! 大丈夫か! 返事しろ!!」


心配と恐怖の混ざった声。

額に汗が滲んでいる。


青年はすぐ隣で、真剣な目で葵を見つめていた。


「……戻ってきたか。引き込みは浅かったようだ」


葵は声が出せず、ただ震えていた。


胸が締め付けられる。

まだ、あの子の声が耳に残っている。


(返して……返してって……何を……)


そして、気づいた。


――葵の右頬には、うっすらと“白い指の跡”が残っていた。


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