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第7話:闇が触れた瞬間

――視界の端で、影が揺れた。


葵は息を呑む。

肌が刺されるように冷たくなり、喉がひとりでに震える。


暗闇から“それ”はゆっくりと姿を現した。


もっとも、姿と呼べるほど明確ではない。

光のない深淵が、無理やり人の形を真似たような輪郭。

黒でも灰でもない、色の概念すら欠けた“穴”のような存在。


――だが、腕だけは異様なほど白かった。

細く、長く、冷え切った白。


それが、こちらに向かって伸びてくる。


『……あおい……』


明らかに、葵の名を呼んでいる。


「返事するな――っ」

颯が振り向かぬまま、葵の手を強く握る。


葵は喉の奥で声を潰し、必死に耐えた。

だが、“それ”の声は耳ではなく、直接頭の奥に流れ込んでくるようだった。


(いや……やだ……来ないで……)


“それ”は、まるで葵の心の震えを愉しむように、また一歩前へ出た。


コツ……コツ……


足音が、やけに重い。


青年が前に進み、軽く手を広げて“それ”の前に立ちはだかった。

「これ以上、彼女に触れることは許さない」


“それ”の動きが、ピタリと止まる。


廊下の空気が一瞬で凍りつく。

奏が葵の背後に隠れ、小さくしゃくり上げた。


『……どけ……』


冷たい声が、廊下全体に響き渡った。


青年は眉一つ動かさずに言った。

「どかない。ここから先は、俺の管轄だ」


その瞬間――


闇が爆ぜた。


風でも衝撃でもない、ただ“空気の色”だけが変わった。


黒い影が青年の周囲に走り、床に亀裂のような筋を残していく。


颯が驚愕に目を見開く。

「……お前……何を隠して――」


青年は答えず、足元の影をじっと見つめた。

「……ここまで侵食されているとはな」


葵には、その意味がまったくわからない。


だが――“それ”は青年を敵と認識したらしい。


白い指先が震え、姿をわずかに持ち上げる。

影の輪郭が“目”のような形になり、青年を睨みつけた。


『……あおい……を……返せ……』


(返せ……? 私、何も奪われてない……)


意味がわからないのに、背筋がぞくりとした。

颯も同じように葵を守るように肩を寄せる。


青年が静かに言った。

「返すものなどない。葵は“誰のもの”でもない」


“それ”が震えるように揺れ、指先がぴたりと葵のほうへ向いた。


次の瞬間――


白い指先が、風のような速さで葵へ向かって伸びてきた。


「――ッ!!」


葵は声にならない悲鳴を上げ、反射的に目を閉じた。


颯が抱き寄せようと手を伸ばす。

奏が泣き叫ぶ。


青年が素早く腕を伸ばし、闇を掴むように空間を切り裂こうと――した、その瞬間。


指先が葵の頬に、触れた。


冷たい。


痛くも熱くもない。

ただ、生き物とは思えない冷たさが、皮膚に吸い付く。


同時に――


頭の奥で、何かが“目覚める音”がした。


葵の意識が、暗闇に引っ張られる。


視界がぐらりと歪み、床が遠ざかる。


「葵!!」

颯の声が遠い。


「触れるな!!」

青年の鋭い叫びも、どこか水の中の音のように聞こえた。


葵は自分が倒れたのか、浮いたのかもわからない。


ただ、闇の奥から聞こえる声だけが、はっきりと耳元に届く。


『――みつけた』


優しく、嬉しそうで、でも底に何かが沈んでいる声。


『……やっと……みつけた……』


葵の全身が、凍りつく。


(……私……なにを……?)


遠のく意識のなかで、誰かの手が必死に葵を引き戻そうとしていた。


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