表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/73

第6話:名前を知るもの

息を潜めたまま隠れていると、廊下は異様な静けさに包まれた。

鼓動の音さえ、聞こえてしまうのではないかと思うほどの沈黙。


――コツ……コツ……


その中で、放送室から響く足音だけが、不気味に廊下に染み込んでいく。


奏が葵の腕にしがみつき、小さな声で泣きそうに言う。

「やだ……葵、怖い……怖いよ……」


葵は震える奏の手を握り返した。

「大丈夫……大丈夫だから……」

そう言いながら、自分自身の指先も冷たく震えていることに気づく。


颯は息を押し殺し、廊下の影を鋭く見つめていた。

「足音の重さが……おかしい。あれ、本当に“人”か?」


青年が静かに頷く。

「人ではない。だが……人間の“誰か”に近づこうとしている存在だ」


「どういうことだよ」

颯の声がかすかに震える。

怒りか、恐怖か、それとも……焦りか。


青年は葵を一瞬見つめると、答えた。

「名前を知っている。名前を呼んだ。これは偶然ではない」


葵の胸が締め付けられるように痛む。

(私の名前……知ってた。どうして……?)


足音が、放送室の前で止まった。


暗闇の中から、かすれた声が漏れる。


『……あ……おい……さん……』


奏が息を呑み、葵は背筋が粟立つ。


青年は低く呟いた。

「この“声”を覚えているか?」


「え……?」

葵は目を丸くする。


「昨日、倉庫街の奥。風に混じって聞こえた声だ」


葵の脳裏に、あの夜のざわめきが蘇る。

倉庫街の影の一つが、確かに揺れていた。

その時、聞こえたかすかな声――。


『……きをつけて……』


(あれ……まさか……)


「同じ声だ。あの夜から、ずっと君に接触を試みている」


青年の言葉が、葵の胸を重くする。


廊下では、静かに、しかし確実に“それ”がこちらへ近づこうとしていた。


コツ……コツ……


颯が小声で言う。

「葵、目を合わせるな。呼ばれても、絶対に返事するな」


「……どうして?」

葵は震える声で返した。


颯の表情が、初めて“深い恐怖”に染まった。

その表情が、逆に葵を恐ろしくさせる。


「返事をすれば……それはもう“お前の場所”を確定する。

 名前と声がそろえば――お前を“引ける”。」


葵の血の気が一気に引いた。

足元が揺らぐ。


青年は静かに言葉を足した。

「呼ぶのは、葵に用があるからだ。ただし、その目的は……君が考えているような善意ではない」


その瞬間――


“それ”が廊下へ一歩踏み出した気配がした。


空気がひんやりと冷たく変わり、視界の端の影が歪む。


奏が葵の背中に顔を埋め、震える声で言った。

「やだ……葵が連れて行かれちゃう……やだ……」


「連れて行かせない」

颯の声は低く、決意に満ちていた。


青年も短く言った。

「近づいてきた。次に声を発した瞬間、動くぞ」


廊下に沈黙が落ちる。


そして――


『……あおい……さ……』


それは、明確に“葵だけを”呼んだ。


颯の手が、葵の肩を強く掴む。

青年が前に踏み出す。


葵の呼吸が止まる。


闇が、形を帯び始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ