4.
「じゃぁ、君たちも一緒に来なさい」
次々に手錠を掛けられるMAN&MAN。さながらそこは突入を受けた違法とばく場の様相を呈していた。
当然である。公務執行妨害である。そこに男気やまして超能力は意味を持たない。容疑者を連行しようとする警察官たちに立ちふさがれば、それは立派な犯罪である。
抵抗むなしくパトカーに乗せられていく男達。水島こよりは遠ざかるパトカーに「アホ」と一言見送りの言葉を贈った。
取調室はテレビで見るほど簡素だった。
違いがあるとすれば机にはスタランドライトなどなかった。理由はわかりやすく、机の上に余計な物を置いておけばそれは凶器になりかねないからである。
「で、障害事件ははじめて? 君、そういえば3階から飛び降りたって報告あがってるけど、なんかそういう部活に入ってるの? パルクール? とかって」
担当の警察官はわりとにこやかだった。ドラマで見るような眉間に皺を寄せた者はおらず、二人とも友好的な雰囲気を持っていた。どちらかというと悪戯を見つけた教師か親のような身構えであるように見えた。最も、対面に大人二人が座れば、大概の未成年は萎縮するであろうが。
狭間は答えなかった。
相手が友好的であるからなめている訳でもなく、ましてや伝家の宝刀「黙秘権」を貫く意思などは持っていなかった。質問者は視線が泳ぎ、落ち着きのない少年に「どうかした? 具合でもわるいかい?」と優しく声をかけた。優しくはあれど、なにか確信を持った。そんな声であった。
「あの…」
「何?」
「かつ丼とかってまだですか?」
一瞬、時間が止まった。比喩であり、実際に時間が止まったわけではないが、警察官たちの表情は凍り付き、眉根一つ動かない。その凍結具合に「マズイことを言ってしまったか?」と疑問を持った狭間もやはり次の言葉を選びかねて凍った。数分経ったであろうか。警察官も伊達じゃない。切っ掛けもなしに取り戻して「えーと、ドラマとかでみるやつかな? お腹空いてる?」と返した。
「はい、空いてます!」昼食をとってから1時間ほどしか経っていないが。
「んー、まぁ、そんなに時間かからないつもりなんだけど…。カツ丼の件が片付いたら、ちゃんと話してくれるのかな?」
単語に違和感を感じたが、すでに脳はカツ丼の揚げ物独特の匂いに甘いタレと卵の混じった風味を再生していた。故に抗う理由などなく「はい」と答えた。
バンッと机の引き出しから取り出された物が机に出された。それはA4サイズのプラスチックケースに入った一枚の厚紙だった。それを見た狭間は驚愕の事実に震えながらまさか、まさか、と否定しながら確認する。
「こっ、…これってまさか…」
「自分で注文するんだよ? もちろん君の自腹。ドラマとかでやってるあれはね。給料の安かろう刑事がカツ丼を奢ってやる。という人情を演出した行動なんだよ。だから通常は自腹。食事はできますよっていうサービス」
ニコリと警官が微笑む。ワナワナと震えながら狭間は救いを求め顔をあげるがそこに慈悲はない。
「さて、事情聴取の続きをしようか」
取り調べは1時間程度で終わった。
しかし、その部屋を出るころには狭間は精根尽き果てていた。取り調べ自体が疲労につながった部分もあるが、自分の保護者に話が行っているだろうことは安易に予測できた。それが疲労の大部分である。
と、署の正面玄関に向かうと携帯電話が震えた。見れば霧島からの着信であった。そういえば早瀬と話ができたことなど連絡してなかったなと思い出し、通話状態にした。
「狭間っす」
「なんか騒ぎになってるらしいな」
耳ざとい。思ったが、別に害があるわけでもないと思いなおし会話を続けた。
「3年の早瀬明という女生徒が捕まったんだってな。一緒に連行されたらしいじゃないか」
「まぁ、いろいろありまして。そっちはどうだったんすか?」
話しながら建物を出ると見おぼえのある不良グループと目が合った。さすがに警察署の前で座り込んではいなかったが数人がそこにたむろしていた。なんとなく足取りが止まる。
「相沢に当時の記憶はない。強盗した時も、お前らに襲い掛かった時も記憶がないそうだ。もっと端的に言えば、2日前に学校に行った時から記憶がないらしい」
その話を聞いて早瀬との会話が想起された。
「そういえば早瀬先輩、俺にあったことを忘れてましたね。昨日の夜は鷲尾先輩のクラブに行ってたともいってました」
「…鷲尾さんのクラブは毎日営業している。警察が彼女を捕まえた以上、昨日の強盗騒ぎは彼女が犯人なんだろう。記憶がない可能性は存分にあるな」
ですね。と答えて霧島の次の言葉を待った。何もなければ帰りたいとも思っていた。死刑が確定しているのであれば早く失効してほしい。という内心もあったが、疲労困憊で早く休みたいという気持ちの方が勝っていた。
「まだ、警察署か? 一応、早瀬が出てくるまでそこにいてくれ。俺もそっちに向かう」
「親衛隊がいるから大丈夫だと思いますけど…」
「親衛隊? よくわからんけど、早瀬に直接話を聞きたい。相沢と共通点も確認したいしな」
人使いが荒い。
が、一応同じ学校の先輩だ。所在なさげに佇む不良たちを通り過ぎ、座り込む。一度は共闘を試みた男がそれを見習って隣に座った。
「度胸あんな。警察署の敷地で座り込むなんて。さすが俺が見込んだ男だ」
「いや、単に疲れただけだよ。同級なんだよな。狭間真だ」
「柏木信也だ」出された手を握り返す。
「2年の霧島って先輩知ってる? その先輩に早瀬先輩が出てくるまで待ってろっていわれちゃってさ」
聞かれてもいなかったが愚痴紛れに目的を話した。
「まぁ、先輩に言われちゃしかたないか」
すんなり納得した柏木に少し驚いたが反論を待っていた訳でもないから「だよな」とだけ返した。
「俺はたまに思うんだ」
柏木がつぶやくように話し始めた。
「先輩、後輩はわかりやすい。教師、生徒、親、子供も分かりやすい。だからいいと思ってる。年上ってのは少なくても1年は多く生きてんだからな。そこに何かの差があるってのはわかるんだ。わかりやすい。でも、その「年の差」が以外の『差』っていうのが俺にはよくわからないんだよ」
意図が掴めず狭間は少しでも理解の足しになるかと柏木の顔を覗き込んだ。柏木は真っすぐ前を見据えたままで表情が読めなかった。
「勉強ができるから優秀。いい人。勉強ができないから無能、不良。人並みのことができないのは申し訳ないと思うけど、頑張ってもできねぇのは仕方ねぇじゃねぇか。それなのに頭いいやつはチヤホヤされて、いい大学行って、いい会社に就職する。俺たち不良はダメだダメだと言われて、いけても3流大学。大概は高卒で就職。この差はどこからくるんだ? 勉強が苦手ってだけでいい大学に入れないか? バイクの修理が得意で大好きだってヤツは社会で生きてく価値がないのか? 俺には勉強ができる、できないもハンバーグが好きか、サラダが好きか。の差であって、けっして人の良し悪しじゃねぇと思ってんだよ」
心に伸し掛かる記憶が想起された。狭間は心を鎮めるために口を閉ざし、返答を見送った。柏木は相変わらずこちらを見ずにいたが、その表情は一変して明るくなった。
「でもよぉ、早瀬さんはよぉ、違ったんだよ。担任ですら「お前らが茶道部?」とか言いやがったけどよぉ。早瀬さんは「お茶がおいしいと思ったらそれでいいんじゃないの?」って言ってくれたんだよ。実際は苦いと思ったんだけどよぉ。早瀬さんは俺たちに「そこに居ていい」って言ってくれたんだよ。だから俺たちは早瀬さんを守る。相手が教師だろうと、警察であろうと、お前みたいに変な力使うやつだろうと」
狭間真が兄と慕い、保護者でもある狭間誠二に会ったのは8歳の頃だった。
それまでの記憶がほとんどなく、雨の日の夜、パトロール中の警官に保護された。それが狭間誠二であった。
その時はすぐに誠二と別れた。保護された後は国の定めにより健康診断を受け、養護施設に投げ込まれた。だが、すぐに『差異』は顕現した。
超能力。意識せずとも触れた相手が痛みを感じることがあったり、感情が高ぶれば周囲の物が破裂した。
最初は偶然や自然現象のせいにしていた大人たちも次第に気味悪がりはじめ、8歳の子供と距離を置き始めた。
自分ではどうにもならない。力を制御する術もわからず、一人で過ごした施設での思い出が蘇り目頭が熱くなった。
「わかる! わかりすぎる!」
「だろ? よかったぁー。多分、お前も俺たちと同じ落ちこぼれだろうから、わかってくれるとおもったんだよ」
「いや、落ちこぼれてはない」
「はぁ? この間のテスト何点だったよぉ? 赤点回避かぁ? 補修受けたことないのかよ?」
「俺は何事からも逃げない漢、狭間真だ。当然回避が必要なことがあっても真向から受ける! 赤点も回避しない! 補修は全部受ける!」
「さすが友よ! お前はわかってくれると思ってたよ!」
朋友どもは熱い握手を交わした。
「ところで狭間、俺はバイクには少しうるさいんだが、車のことはよくわからねぇ」
そういえばさっきもバイクが好きなような話が出ていた気がする。だがその話が再燃した意味が分からず狭間は次の言葉を待った。
「車ってのはあんな勢いでバックしてくるもんか? パトカーだけか?」
言われて視線を追えば白と黒の車体が真っすぐこちらに向かってきた。遠慮なく視界を占領していくパトカーの後部。「おっ、おっ?」柏木を押しやり立ち上がりながら狭間は右こぶしを振り上げる。
ガシャン。パトカーのトランクはまるで隕石の直撃を食らったかのように穴が開き、車体の前部は大きく跳ね上がった。遅れて再びガシャンと鳴ったのは跳ね上がった前部が着地した音だった。
「柏木!」
視線を振ったが怪我はないようだ。異常な音を聞きつけて建物から人が雪崩出てくる。合わせるかのように行動不能となったパトカーの運転席から警官が出てきた。その警官は無言で狭間を見据え、銃を引き抜く。
パンパンッ、と躊躇なく引き金がひかれた。2度ならず3度、4度、5度。弾を打ち尽くした後もカチンカチンと何度か引き金を引いた。
今、狭間に向けて銃が撃たれたのか? 撃たれた? 連続するアクシデントに柏木の脳は処理が追い付かない。カチンカチンという音を何度か聞いてるうちに柏木の現状把握が完了する。
「大丈夫か?」
狭間と声が重なった。
「いや、お前がどうだよ!」
柏木が答える。
「そっ、そうか!」
おいおい。柏木は心の中でツッコミをいれながら思った。あの至近距離で全弾外れた? 屋上で殴り合ったとき、今まで味わったことのない衝撃を食らったが、あれは車を破壊できるほどの力だったのか? 様々な思考が入り乱れ一時追い付いた処理が限界を超えた。しかし、この言葉だけはなんとか繰り出した。
「狭間! まだだ!」
銃を撃ち尽くした警官が今度は銃を振り上げた。狭間がそれを払うように左手で空を切れば、接触していないにも関わらず銃は弾かれたように彼方へと飛んで行った。それでも諦めず拳を繰り出そうとする警官。狭間がその腹に掌底打ちを食らわすと、その小柄でもない体は4、5m程宙を舞い、硬いアスファルトに落ちてさらに転がった。同じ警官が事故、事件を起こしていることにすべき行動を躊躇していたその仲間たちはさすがに転がった制服警官を取り押さえた。
またかよ。狭間は思う。車で突っ込まれたのは2度目だ。しかも今回は警官で、明確に自分に発砲してきた。つまり俺が狙われてるってことか? 内省的になってみても狙われる理由に心当たりがない。…なくもない。いやしかし、今更になって殺すほどのことか? それとも水島の言ってた致死伝説が本当で、知らず、研究所の実験体とでも接触してたか? 色々考えてみるが明確な回答にならない。自分には超能力がある。弾丸とて跳ね返すことができた。だからといって恐怖がないわけじゃない。なんで狙われているのか。誰に狙われているのか。今後も車に気を付ければいいのか? 何もわからないという恐怖。得体のしれない物への恐怖は心霊現象や都市伝説などからくる恐怖と同じであった。
わからない。
その者は警察署前の騒ぎを眺めらながら、どうしてよいかわからず頭を抱えた。
使いに出した生徒は用事をこなすことができなかった。
周囲に話を聞けばすぐに出てきた事実。「狭間真という転校生は超能力を持っている」ということだった。
自分と同じように「夢の女」に力を貰ったのか? しかし、その能力は「衝撃波を打ち出す」あるいは「衝撃で物を動かす。破壊する」能力だと聞いた。
自分と違う能力が授かっている奴がいるのか? そもそも天然でそういうヤツがいるのか? 他にも「能力を授かった」ヤツがいるのか? 仲間なのか? 敵なのか? わからないことだらけだ。が、一つだけ言えることがある。それは彼、狭間真が自分の邪魔をしたということだけだ。
能力を授かってまだ間もない。「夢の女」はどんな能力が授かっているか。どう使えばいいかまでは教えてくれなかった。何度か試すうちに「人を操れる能力」であることがわかってきたが、何時間もつのか。どこまでの命令を聞くのかがわからない。試しと一石二鳥をねらって出入りの業者に狭間真を轢かせてみたが、結果は散々だった。まぁ「人を殺せ」という命令が受けつけられたということは大きな進展ではあった。
しかし、狭間真は危険だ。ヤツの力を受けるとどうしても「とぎれて」しまう。支配から抜けられてしまう。
ここはやはり消しておくべきか。だが、銃弾すら物ともしないとなればやり方を考えなければならないか。どうしたらいいか…。わからない…。わからない…。
「丁度よかった」
警察署前の事件の事情聴取のため、建物に逆戻りかとも思ったが、「撃たれてた!」という柏木の証言により、事情聴取よりも病院での検査が優先された。
体に異常はなかったが、CT検査やレントゲン等一通りの検査が行われた。外は暗い。さすがに霧島に今日は会えないと連絡を入れようと思ったところに肩を叩く者があった。霧島良である。
霧島は「大丈夫か?」と声をかけ、「お前らしき人物が運ばれてくるって話がきたからな。鷲尾さんが気を利かせて病院の応接室で話そうってことになったんだ」と説明してくれた。狭間には別の疑問が浮かぶ。
「運ばれてくるって、救急車から連絡入ったんですか?」
「この病院にはな。鷲尾さんは面倒見がいいから、同じ学校の生徒が運ばれてくる場合は全部情報回してもらえるように父親に言っているらしい。ここを出ようと思ったときに鷲尾さんから『狭間君がこっちに検査で回ってくるらしい』と聞かされて待ってたんだ」
それってコンプライアンス的に大丈夫なのか? いや、医院長の息子だから問題ないのか? 細かい法律はわからない。とりあえず『鷲尾』という先輩には逆らわない方が良さそうだ。ということだけはわかった。
「警察署の事件ももうネットに上がってるんですか? それでも1時間前ぐらいか。出てるか?」
喋りながら想像してみればスピード感的にはおかしなことはないかと考えが至った。自己完結していたが、霧島は答えを返してくれた。
「ネットにもテレビにも出てはいない。警察署で起きた不祥事。警官が一般市民に発砲したんだからな。隠ぺいしないまでも発表までには時間がかかるんじゃないか?」
「えっ? じゃぁ、どうやって知ったんですか?」
「警察無線。俺が持ってる無線機にたまたま入ってくるんだ。いつも。意図せず。仕方あるまい?」
鷲尾という先輩が怖いのか、霧島という先輩が怖いのか。思い返してみればそもそも転校した市立護権高校という高校がヤバかったのか。自分は棚上げして悩む狭間真であった。
応接室は想像以上に広かった。4人掛けのソファーが相対し、1人掛けのソファーもセットされている。テーブル、調度品はデザインが統一されており、病院の応接室というよりは国会議員の使う応接室のような雰囲気を持っていた。両開きの重厚な扉が開くと座っていた男が立ち上がり「よぉ」と気さくに声をかけてきた。にこやかな笑みを浮かべていたが、眼光は鋭く、同年代には見えなかった。
「まぁ、座ってくれ」と言って狭間が座るのを確認してから自分も座る。フカフカのソファー。今まで体感したことのない感触に浮かれていると霧島が咳ばらいをした。自分の所作に気づき少し照れた。
「鷲尾亮だ。霧島君から聞いてると思うけど、同じ学校の3年で、ここの病院の医院長の息子だ。よろしく頼む。今、飲み物を持ってこさせるよ」
なんとも物腰の柔らかい男であった。しかし、眼光の鋭さとのギャップが狭間を緊張させた。
自己紹介を含め、これまでの事情を記憶の限り話した。霧島が所々を補足する。鷲尾はうんうん、と頷きながら話を聞く。その様は大企業の重役のようであった。
「なるほどな。暴れた後記憶がないか。それは最近この辺りで蔓延しているドラッグの可能性もあるな」
鷲尾が一通り話を聞いた後切り出した。
「エンジェル・ブレスという草がある。これは元々ある部族が人を奴隷化させるのに使っていたらしく、生成して薬剤の形にしなくとも、その葉を燃やして煙をかがせるだけで相手は思考が混濁し、なんでも言うこと聞くようになる。薬が効いてる間は記憶もなければ痛覚も鈍化するため、重労働させるのに重宝するというしろものだ」
霧島は口元に手を当てたまま何かを考えているようで押し黙っている。
「そんなのもあるんですね」狭間は答えながら「治安がよくなったんじゃないのかい!」と心の中にいる水島母にツッコミを入れていた。
「俺は警察官じゃないからそいつらを逮捕する義務はない。だけど、実際事件が起きている。それも同じ学校の人間が被害にあっているともなれば、それの出どころを突き止める必要があると思うが」
鷲尾はそこで言葉を切り狭間の腹を探るように見つめる。
「どうかな狭間君。協力して犯人を突き止め、元凶を打破しないか?」
狭間は即答せず、となりの霧島に顔を寄せる。
「鷲尾さんっていつもこんな喋り方なんですか? なんかわざとらしくないですか?」
「お前、ぶち殺されるぞ? 物理的だけでなく、社会的にも」
そこに恐怖心はなかったが、面倒くさいのはごめんだ、とばかりに狭間は求められた握手に答えた。
瞬間、部屋全体が震えた。地震か? と思ったがすぐに止んだ。鷲尾と霧島が視線は狭間に向けると「手だけです、手だけ。しかもこんなでかい建物揺さぶれないですよ」と嘘か真か回答した。
内線が鳴る。鷲尾が取ると「わかった」と言って電話を切った。
「正面玄関にトラックが突っ込んだらしい。しかも荷台から人が出てきて暴れている。狭間君、君の力、借りるぞ」
鷲尾亮。正直近寄りがたく、人物、人格を特定、確定できていない。信用していいかどうかはわからなかったが、「トラックが突っ込んできた」という事実を「3度目」と理解してしまった狭間は「当然です」とむしろ巻き込んでしまった責任感から答えた。
正面玄関は異常事態だった。
自動ドアの玄関は原型をとどめないほど大破し、トラックはそこが駐車地点だとでも言わんばかりに広いエントランスに入り込んでいた。診察時間外であったことが幸いし、患者はいなかったが何名かの看護師が倒れていた。他に5名。目につく物を手あたり次第に投げる者あり、大理石のカウンターを素手で壊す者あり。3人がエントランスを見下ろせる2階の吹き抜けに到着した時には映画さながらのカオス状態だった。
「狭間君、全部任せられるか? 霧島君と俺は怪我人と残っている人間を退避させたい」
こちらを向かずに言う鷲尾に「問題ないっす」と答え狭間は柵を乗り越え1階に飛び降りた。当然だ。おそらくこれは自分のせいだ。
ドンッ、と音を立てて着地すると暴れていた人間たちが一斉にこちらを見た。警官、学生、スーツ姿の女性。一貫性がない。統一感がない。が、それは今はどうでもいい。狭間は手近の暴徒は無視し走り抜け警官に一直線に向かった。
理由は銃だ。それを一番最初に無力化しなければならない。銃口を向けられた記憶は今日の警察署が初めてだ。銃弾など弾き返したことはなかったが、銃口を向けられた瞬間、恐怖で咄嗟に手の平を向けていた。幸い銃弾は体にあたらなかったが、それが「弾丸を壊している」のか「弾丸を弾いている」のかがわからない。ともなれば操られている人間に跳弾させてしまうこともあり得る。狭間は銃を引き抜こうとするその手に向かって力を放つ。ボキッ、と小気味よい音が鳴り、警官は銃を取り落とした。反対の手で拾い上げようとする警官の腹部に掌底を押し込んだ。
警官の体が壁際まで吹き飛ぶ。加減できたか? 銃を引き抜かれては間に合わないと思い、腕は骨が折れるだろう加減で打ち込んだ。しかし同じ勢いで腹に打ち込めば内臓にダメージを与える場合がある。医学に精通してる訳でない狭間は壁に打ち付けられた後の警察官をじっと見つめた。気を失っただけか? 呼吸はしているか? 見た目で確認しきれないと感じ近寄ろうとしたとき視界が歪んだ。
マズイ。痛みは症状よりも遅れてやってきた。頭に何かをぶつけられた。直接はぶつかっていないはずだが頭が振れた。視界が歪む。霞む。2投目はなんとか能力で粉砕したが膝が抜けてしりもちをついた。
すかさず、横から頭を蹴られた。普通の人間よりも力が強い。そういう趣味があれば少しは楽しめたかもしれないが、純情少年狭間にはまだ未開拓の世界である。さらに視界が白ける。両手で床を叩き
能力を使って後方に飛ぶ。が2階の軒に改めて頭をぶつけ床に落ちる。
「痛い!」自分の間抜けさに対した怒りも込めて叫ぶ。さすがに視界が戻らない。強い耳鳴りで音も分からない。残った4体の傀儡がここぞとばかりに狭間に襲い掛かった。
殴る、蹴る。合間を縫って椅子を振り下ろす。腕でガードして受けれる攻撃もあれば背中にまともに食らう打撃もある。たまらず床に手をついて跳ね上がり集団暴行の渦から飛び出した。頭を2度、3度振る。視界はぼんやりとしか戻らない。
「こんなんで区別がつくか! 当たりどこが悪かったらごめんなさい!」
狭間はこの方向であろうと当たりを付けて両手を向けた。ドンッ、という空気を打つような低い音がして襲撃者たちは吹き飛び、大理石でできた壁も床も割れて一部は剥落した。その音を聞きながら狭間は意識を手放した。
「大変申し訳ございません」
救急車、消防車、パトカー。子供の好きな車両のスター選手が揃ったのはトラックが突っ込んでから30分ほど経ってからだった。
鷲尾と霧島が現場に戻ると、狭間が土下座して待っていた。
「随分派手にやったな」と語気強くいったのは霧島がいうが、鷲尾が「まぁ、いいじゃないか」とフォローを入れてくれた。
霧島の言い分はわかる。どう見ても惨状である。大理石の壁、床、柱は砕け、自分がやったわけでもないが自動ドアは原型を留めていない。もっとスマートにやれただろうか? いや、あの時はあの時で精一杯やった。思いは交錯したが元が自分を狙ったものであることを考えればただただ頭をさげるしかなかった。
「いや、本当に大丈夫だ。損害は暴れた連中に請求するし、その親玉がいるならそいつに請求する。君はよくやったよ狭間君。君自身は大丈夫なのか?」
鷲尾はストレッチャーで運ばれていく暴徒たちを横目で見ながらいう。救急車は来ているが、結局受け入れができるのはこの病院だけである。暴徒たちは目が覚めたらどんな反応をするのであろうか。
狭間自身は少し休んだら目の霞も耳鳴りも戻った。頭はまだ痛いがそれも直に治るだろう。鷲尾の労いの言葉に狭間は「ありがとうございます」と答えた。
途端に気が抜けた。そういえば、随分の間食事をしていない気がする。ただでさえ今日は連闘で疲労感がすごい。もう夕飯の時間だろうか? 携帯を取り出し時間を確認しようとすると待っていたかのように着信が入った。水島母からである。また兄貴から連絡が行ったのだろうか。腹も減ったが服も汚れているし、今日は真っすぐ家に帰ろう。通話を始めると思いがけない知らせに狭間の血の気が引いた。その様子にただならぬ気配を感じた二人が「どうした?」と問いかけてくれた。
「水島が、行方不明らしいです。電話もでないって」